小説 | ナノ

Barcarolle


「そう、色々あったんだね」

あの、ドリームキングダムでの一日から今日に至るまでの全てを話し終えた時、彼女はしみじみ呟くと、一つ、長く息をついた。
並んで座っているから顔は見えないけれど、困惑しているふうでもなく、ただ事実を静かに受け止めただけのような雰囲気に、オレは一先ず安堵する。
ノアはゲームやギャンブルで人間の血が流れるような、殺伐とした世界なんかとは無縁の普通の女の子だから、ドン引きされたらどうしようかと密かに案じていたんだ。
彼女じゃなくても、殆どの人間はそうだろう。だから、ドリームキングダムで起こった様々な出来事、その時に植物人間になってしまったミツル、今、自分が手がけている裏のギャンブル…それらの事柄をノアに話して良いのかという点については散々迷ったのだが、どうやらオレの選択は間違っていなかったらしい。

「そう、色々あったんだ」

自分に言い聞かせるようにして、深く頷いた。
あれから数年が経ち、もう自分達は新社会人と呼ばれる年齢に達している。
出会った当時は隣の女子高に通う同級生だったノアも、今では華やかなOLだ。
彼女が陽の当たる場所で大学生活を謳歌している間、オレは対照的に陰から陰へと動いていた。いや、陰というよりも闇といったほうが近いかもしれない。それほどに暗く、光の当たらない世界。
以前、一人暮らしをしているアパートに板倉さんと末崎さんが訪ねてきて、ノアと鉢合わせたことがある。あまり大っぴらにできる話の内容ではなかったんだが、急用だったので彼女に構わず小声で話した。いくら声を潜めたといっても、会話の断片くらいは耳に届いていただろう。だけどノアは話の内容を詮索することはなく、いつものように屈託のない笑顔でオレに接してくれた。
そうやって重ねてきた月日が、彼女の心にどれだけの負担を強いてきたのかはわからない。わかっているのは、まだ暫くはこんな日々が続きそうだということだけだ。

「色々あった…っていうのは正しくないかもしれない。現在進行形で続いている事でもあるから」
「そうだね。まだ、終わってないのよね」

初秋の夕方、仕事帰りのノアと待ち合わせた。公園のベンチから見る空は、熟れたようなオレンジ色に染まっている。昇り始めたばかりの夕陽が、彼女の頬を柔らかな色で輝かせていた。
ノアはここへ来る途中で買ったラテが入ったカップに視線を落とす。いつになく表情がぎこちないのは、彼女なりに話の内容を消化しようとしているからなのだろう。

「それで…どうして零くんは、急に私にそんな話をする気になったの?」

厭味でも、非難するふうでもなく、彼女は努めて明るく言って、オレのほうを向き直った。無理をして明るく笑っているのがわかる。ノアにそんな顔をさせているのは自分だと知り、胸が鈍く痛んだ。
別れたほうが良いのだろうということは、頭ではわかっているのに、それでも離れたくないと願う自分がいる。彼女が生来の優しさ故に強い態度に出られないのを知っていて、それに甘えてきた。即ち、別れを言い出すなら自分からだと、決め込んでいたのだ。
それがどれだけ傲慢な考えなのかもわかっている。だけど、オレにはノアが必要で、彼女は自分と正常な世界とを繋ぐ唯一の糸……心の最後の拠り所だった。
昔から、勝算のない戦いはしない性分でここまでやって来た。
今回だって全ての事情を話しても彼女は拒否しない。必ず受け容れてくれるという確信を持っている。
そんな自分の過度な打算には、時折自己嫌悪に陥りそうになるけれど仕方がない。それくらい手離したくない相手なのだから。

「ノアにも、知っていてほしかったんだ」
「私に…?その…何ていうか、零くんが危ない橋を渡っていることを?」
「そう…命懸けの勝負をやっていることを」

“命懸け”という単語に、彼女が思わず自分の心臓の辺りを押さえる。
紙片で指先を切った時のように、ノアの表情が一瞬、痛そうに歪んだ。

「でも、私じゃ零くんの力になれないよ…」

そう答えた彼女の声は今にも泣き出しそうなほど頼りなくて、さっきから好きな女の子に悲しそうな表情ばかりさせている自分の非力さを呪った。

「別にそういうギャンブルをノアに手伝って欲しいって言ってるわけじゃない」
「じゃあ、私はどうすればいいの?」
「ノアは何もしなくていい。ただ、オレの傍にいてくれるだけでいいんだ」

隣で笑ってくれるだけでいいんだ。そして時々、一人で抱えきれなくなった思いに耳を傾けてくれればいいんだ――。
そんな自分の願いは、ただの我侭だっていうことはわかってる。それでもノアと離れたくはないのだと……思い付く限りのあらゆる言葉を並べて、オレは彼女に伝えた。

「勿論、こんなのは全部、オレの我侭だってことはわかってる。でも、ノア以外の恋人なんて、考えられないからさ」
「零くん……」
「だから全部話したんだ。もし君が嫌だっていうなら、別れる覚悟もできてるつもりだよ」

本当はそんな覚悟なんてできてないけれど、彼女を手放したくない気持ちと、苦しめたくない気持ちは同じくらいだから。

「別れたくなんてない」

ノアが、彼女にしては珍しく大きな声を出した。

「ノア……」
「零くんが、自分の恋人は私以外考えられないって言ってくれたように、私だって零くん以外の人と付き合うなんて考えられないよ」

そう言って、体当たりするように体をぶつけてきたノアの背中を抱く。彼女が手にしていたスタバの空になった紙コップが、カラカラと音を立てて地面に転がった。
嗚咽するたびに小さく跳ねる背中を擦ってやりながら、ふと、今なら言ってもいいかなと考える。

「ねぇ、ノア」
「……?」
「君の未来全て、オレにくれないか――?」

未来だけじゃない。今も、過去も含めて、これからノアが過ごす人生の全部を、オレに託してくれないだろうか――。
勿論、真っ直ぐで平坦な道のりではないこともわかってる。これまで以上に苦しいことが待ち受けているかもしれないけれど、それでも君が一緒に居て傍で笑っていてくれるなら、この先どんなに辛いことが起きたとしてもこの世界に絶望せずに生きていけると思うから。

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