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for 6 years


冷蔵庫に用事があってキッチンをウロウロしていたら、久し振りに家の中でしげる君と擦れ違ってびっくりした。

(背、伸びたなぁ…)

出会った時は同じくらいだった身長は、いつの間にかとうに追い越されていて、今は私のほうが頭一つ分以上小さい。

(6年も経つんだから、当たり前だよね)

私の脳裏を、長かったようで短かった6年間の様々な出来事が、走馬灯のように駆け巡ってゆく。
こんなにいい男になるなら青田買いしておくべきだったかしら…と考えた自分が、何やらテレビドラマや小説に出てくる金持ちの中年女のようだと気付いたら可笑しくなって、クスッと笑いを洩らした。

「何笑ってんの」

ふと、私に背を向ける形で立っていたしげる君が、訝しげな表情を向けた。
私と彼の関係は、一体どう説明すれば良いのだろうか。ただの同居人と居候というには親密過ぎるが、だからといって恋人というにはあまりにも私たちは近過ぎる。

「しげる君がこんないい男になるなら、早く唾付けとけば良かったって思ったのよ」
「ハハッ、何言ってんだか」

軽く笑い飛ばされて、私は安堵すると同時にほんの微かな寂しさを覚える。勿論それは尾を引くようなものではなく、次の瞬間には「仕方ないか」と苦笑混じりに消えてゆく程度のものだ。
それに、恋人同士になるよりも、こんな関係のほうが余程深くて淫靡なものだと私は思う。

「ノア、こっちに来るついでにビール持ってきてよ」
「はいはい」

しかしながら、実際は長い月日を共に過ごした熟年夫婦のような趣で、今さら好きだとか愛してるなんていう単語が出てきたら、それこそ相手の真意を疑うレベルだろう。
私は言われた通りに冷蔵庫からビールのロング缶を二本取り出して、食卓代わりにしているちゃぶ台で酒の肴をつついているしげる君の前に一本差し出した。

「どうぞ」
「サンキュ」
「そのふぐ刺し、私にもちょうだい」
「いいよ」

普段スーパーマーケットなどで売られているパックの刺身と違い、一目で高級品とわかるふぐ刺しを、彼は惜し気もなく私に分け与えてくれる。
13歳の時に始めた麻雀は、結局そのまま彼の生業となったようだ。毎晩のようにどこかの組の代打ちをやっていて、驚く程の金額を一晩で稼いで帰ってくることもある。
昨夜もどこかの料亭で賭け麻雀をしていたらしく、その時に金と一緒に刺身も包んで貰ったらしい。
そんな生活を送っているから、私はしげる君が未成年であることを、この頃ではすっかり忘れてしまっている。



三本目のロング缶を空けると、流石に酔いが回ってきた。
目の前で、涼しげな顔をして日本酒に切り替えているしげる君は、ザルとでもいうのか、酒にはかなり強い。同居し始めた当時、彼が中学生の頃から晩酌に付き合わせていたが、酔ったところを見たことがない。

「しげる君って、昔からお酒強かったよねー…」
「さぁな…。そんなの、意識したこともねぇし」
「いいわねぇ…。私、歳の所為か、最近は昔みたいに飲めなくなったわよ」
「そういや…ノア、昔はそれくらいじゃ酔わなかったな」

私たちはそれから取りとめのない会話を続けた。

「ノアっていくつだっけ」
「ナイショ。アラサーだとだけ言っておくわ」

私の返事に、しげる君が喉の奥で笑う。
結局、私の二十代の大半はこの子と共にあったんだなと、目の前にいる美しい青年を眺めながらふと思った。

「しげる君、彼女いないの」
「野暮なこと聞くね、ノアさん」
「そっか、そうよね…そんな相手がいたら、その女の子のお家に行くわよね」

何気なく一般論のつもりで言ったのだが、思いがけず強い調子で「いや、それはない」と即答される。私は一気に酔いが醒めていくのを感じた。
それに…と彼は続ける。

「俺はそんなに女には夢中になれないよ」

今度は私のほうが姿勢を正す番だった。少しショックでもあったのだ。上手くは言い表せないけれど、その一言は思いの外、私を動揺させた。

「どうしてよ」

かつて、この子に対してこんなに感情的になったことはあるだろうか。
恋人との喧嘩でヒステリーを起こし、苛立ったまま八つ当たりをして甲高い声を上げたことは数え切れないが、彼が直接の原因となるのは初めてだ。

「どうしてって言われても…。そういうタチなんじゃない」

彼は言う。女なんかよりも、博打に興じている時のほうが余程興奮すると。勝負事のほうが夢中になれると。
私は挟む言葉を見つけられないまま聞きながら、一方では、心底納得できたりもするのだった。腑に落ちる…といったほうが正しいのだろうか。6年間抱え続けてきた疑問が一気に解けたような、すっきりとした感覚。
不思議だった。何故妙齢の男女が一つ屋根の下で暮らしながら、一度もそんな行為に至らなかったのか。そういう雰囲気…ある種の隙が生まれる場面なら何度もあった筈なのに、私たちは6年間、結局一度も唇すら重ねることなくここまで来たのだ。
まだ中学生だった頃のしげる君をふざけて抱き締めたことはあるが、それ以上は何もない。考えてみれば、そういう点では神経を使う必要のない、気楽な同居生活だった。

「さっきから黙り込んで…どうしたの、ノア」

私はその声に、ハッと我に返る。やがて、停まっていた思考回路がまたゆっくりと動き出す。

「ううん、何でもないの。ただびっくりしただけ。そんな事考えてたなんて、思わなかったから」
「こんな話、ノアとしたことなかったものな」
「そうよ。6年間も一緒に暮らしてるのにね」

私は残っていた缶ビールに口をつけた。温い液体は緩やかに、カラカラに乾いていた唇を、喉を湿らせていく。
ふぅ…と溜息をつくと、漸くこれまでの日常を完全に取り戻せたような心地がした。
二人の間の雰囲気も、元通りの、穏やかで気ままなものに戻っている。

「今夜は出掛けないの?」
「いや、もうすぐ出るよ。石川さんと会う用事があるから」
「そっか」

会話も、いつもと何も変わらない。
私はその事にただただ安心し、一気に気が抜けた所為か、またアルコールの酔いが戻ってくるのを感じた。

「あー何だか眠くなっちゃった…」
「片付けとくから、寝たら。どうせ明日の朝、ノアが仕事行った後しか帰ってこないと思うし」
「んー、じゃあお言葉に甘えてそうしようかな」

重い体を無理矢理立ち上がらせて、私は襖一枚隔てた向こうの寝室へと足を踏み出した。その背中に、「ノア」と声がかかる。眠気で半ば朦朧とした意識で返事をすると、しげる君は手際良く食卓の上を片付けながら、

「でも俺にとってノアは特別な女だからさ」

と、まるで天気の話でもするかのような口調で言った。

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