小説 | ナノ

同居人についての一考察


徹夜の麻雀を終えて、雀荘を出た時にはもう陽が高く昇っていた。

「いやー、助かった…」

暗い場所から明るい地上に出て、眩しさに思わず手をかざした少年の後ろで、南郷が心底安心したような声を出す。
少年は彼の代わりに麻雀を打ち、その負債を回収してやっていたのだった。

「アカギが来てくれなきゃ、散々負けて帰るところだったよ」
「フフ…南郷さんにしては、珍しく突っ込んでたみたいだね」
「昨日はちょっと仕事でイライラすることがあって、熱くなっちまってたんだ」

面目ない…と苦笑してみせる中年の男性の姿が、少年の瞳には好ましく映り、つられてくすっと笑う。

「あれくらいの勝負なら、いつでも呼んでよ。どうせ夏休みで暇だから」
「そう言って貰えるのは有り難いが、アカギ、お前今どこに住んでるんだ?家の人が心配しないか?」

夜に人を呼び付けておきながら、やはり根は常識人である南郷の台詞が可笑しかった。
少年はふと同居人の顔を思い出しながら、「別に」と短く答える。
数ヶ月前から身を寄せているのはノアという女の家であるが、彼女曰く、

『チキンランとか喧嘩とか、危ないことしてるわけじゃないならいいわよ』

とのことで、昨夜も雀荘に行くと言った少年を、普通に送り出したのだった。

「ノアって、何かズレてるとこあるから。雀荘に行くって言っても気にしてないみたいだ」
「家の人は、ノアさんっていうのか」
「話してなかったっけ」
「ああ、今初めて聞いたよ」

そこで少年は、同居人のノアという女について簡単に説明した。
彼女は小さな会社に勤めるOLで、小さなアパートで一人暮らしをしている。
友人や恋人と呼べるような人間は見たことはない。
親兄弟がいるのかは不明だが、少年に負けず劣らずの波乱万丈な人生を送ってきたことは間違いなさそうだ。
時折、二十代の女にしてはあまりに肝が据わっている一面を垣間見ることがあり、ぞっとする。
だが、普段の彼女は生活能力が著しく欠如していて、料理もまともにできず、掃除洗濯もまめにしない。
酒とつまみとレトルト食品で生きているので、偶に少年が料理を作ってやったりする。
……そこまで話すと、彼が他人について語るのが余程珍しいらしく、南郷がぽかんとした表情で自分を眺めていた。

「どうしたの、南郷さん」
「いや、アカギの口から他の人間の話が出るのって凄く新鮮だから、正直驚いてた」
「……そういえば、そうかもね」

言われてみれば確かに、他人についてここまで人に語るのは初めてだった。
ノアのことなら、いくら話しても億劫に感じないから不思議だ。

「で、美人なのか、そのノアさんって人は」
「まぁ、見た目はそこそこね。中身は完全なオッサンだけど」

少年の言葉に、南郷が笑い声を上げた。

「二十代の女性に向かって、オッサン呼ばわりはないだろう」
「そうは言っても…」

少年は、自宅でのノアの行動を思い返してみる。
プロ野球が好きで、ナイター中継が始まると、缶ビール片手にテレビに噛り付くのが毎晩の日課だった。
球場に足を運んで、一人で観戦して帰ってくることもあり、時々、同じく一人で野球観戦に来ていた男と意気投合し、束の間の恋愛関係に陥ったりもする。
贔屓の球団が負けた翌日は機嫌が悪く、昨日の朝などは、スポーツ新聞を床に叩き付けていた。
趣味にしても、何となくうらぶれている。
麻雀はやらないが、パチンコとスロットは好きで、小額を賭けては、勝った負けたで一喜一憂している。
大金の賭けられた博打ばかりやっている少年からすれば、ノアのやっているギャンブルなんて可愛いものだが、本人は至って真剣なので、晩酌に付き合ってやりながら、勝ち負けの報告を聞くのだった。
外食するとしたら、レストランよりも安居酒屋。ワインよりもビールか焼酎。クッキーよりも煎餅。高級菓子よりもスナック菓子を好む。
全く、外見からは想像も付かない。
彼女は毎晩のように、スーパーで売られている安いパックの刺身を買い、それをつまみにして酒を飲んでいる。
長い髪を無造作に束ね、着古したタンクトップとハーフパンツで胡坐をかいてプロ野球を観ている時の横顔を、少年は何故か気に入っていた。

「まぁ、あんまり女々した人が一緒だと、アカギも落ち着かないか」

その言葉を、少年は肯定も否定もせずに、ふふっと笑っておく。
これから不眠のまま仕事に行くという南郷とは駅で別れることになり、

「じゃあ南郷さん、また」

軽く手を振って踵を返そうとすると、「ちょっと待ってくれ」と、引き止められた。
振り返ると、財布から徐に抜いた紙幣を手に握らされる。

「少ないけど、昨晩のお礼みたいなものだよ。その同居人のノアさんとやらに、美味いモンでも食わせてやれ」
「そういうことなら、遠慮なく」

少年が金を受け取ったのを見届けると、慌しく代打ちの礼を言って、南郷は腕時計と時刻表を交互に眺めながら、改札の向こうへと消えていった。



「ノア、ただいま」
「おかえり〜」

部屋の奥から、寝ぼけているのか、間延びした声が聞こえてくる。
少年が自宅へと帰り着いた頃にはもう午前十時を過ぎているのに、ノアは相変わらず布団の上でゴロゴロしているらしい。

「今日は仕事じゃなかったの?」
「うん、休み。こないだの日曜、休日出勤したから、その代わりにね」

布団の傍には、新聞やワンカップの空き瓶が散乱している。

「もー、昨日しげる君が出て行った後、試合の展開が最悪でさー。逆転サヨナラ負け喰らってヤケ酒よぉ」
「へぇ、そうだったんだ。結構大差で勝ってたのにね」

そんな会話を交わしながら、少年は不意に可笑しさが込み上げてくる。

(中学生の朝帰りより、野球の結果のほうが大事かね)

無論、不快な感じでは全くなく、こういう所に逐一頓着しないから、自分はこの女と長く暮らしていられるのだと思った。

「そうだ、これ、ノアにと思って…」

少年はふと思い出して、手に提げていた紙箱を差し出す。

「なぁに、これ?」

寝そべったまま受け取った同居人は、箱を眺めて店の名前に気付くとあっと声を上げた。

「うわ、これよくテレビに出てるケーキのお店じゃん。食べたかったけど高くて買えなかったのよね…。これ、私にくれるの?」
「ああ」
「やったー!あ、でも二個入ってるから後で一緒に食べよ。ね?」
「はいはい」

勢い良く布団から起き上がり、まるで宝物を捧げ持つようにしてケーキの箱を冷蔵庫に入れている同居人の背中を見ていると、思わず口元が綻ぶ。

「でもよく買えたわねー、こんな高級品」
「まぁ、ちょっと臨時収入があって」
「何、また麻雀で勝ったの?私もしげる君に教えて貰って麻雀覚えようかな」
「フフ、ノアなら毟られるだけだからヤメといたほうがいいと思うよ」

軽口を叩いているうちに、徹夜した所為か、ひたひたと睡魔が襲ってくる。
無人の布団を眺めていると、そのまま寝転びたい衝動に駆られたが、ヤニの臭いが染み付いた服のまま寝るとノアが煩いので、シャワーだけは浴びようと、欠伸を噛み殺しながら風呂場へと向かった。

手早く汗を流して戻ってくると、同居人はまた布団に包まっている。
どうやら今日は、一日中家でゴロゴロする算段らしい。
当たり前のように隣に潜り込む。ノアに背中を向けて瞳を閉じると、

「起きたら一緒にケーキ食べようねー」

と欠伸混じりの声が聞こえ、少年はそれにつられたように、返事をするよりも先に深い眠りへと引き込まれていった。

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