小説 | ナノ

Rogic×Rogic


一体、自分は何をしているのだろう……。
路地裏にある、小さな居酒屋のカウンターで、私は温くなったビールのグラスに口付けつつ、もう何度目かわからない自問自答を繰り返した。
隣では、平山が酔いも手伝っていよいよ愚痴っぽくなっている。彼にとっての仕事である賭け麻雀の代打ちで、余程嫌なことがあったらしい。
「くそっ…アイツ、確率論を馬鹿にしやがって…。確率とかデータっていうのは大抵裏切らないんだ」
だから確率を基にコンスタントに勝ちを積み重ねている自分の麻雀のスタイルを組長は買ってくれているわけで…云々という話が、会った時からエンドレスループで続いている。
私は「うん」とか、「そうだね」と相槌を打ちながら、ふと、何で平山は彼女に愚痴らないのだろうと考えていた。
顔も可愛くて、聖母マリアのように優しい彼女がいるのが、彼の自慢ではなかったか。
私と平山は、ただの高校時代の同級生だ。何故か、学生時代から妙にウマが合って、社会人になった今でも、いいお友達の関係が続いている。
もう十年近く一緒にいるというのに、男女の関係に陥りそうな糸口すら生まれなかったという珍しい間柄で、だからなのか余計に、私は彼に親しみを感じていた。
性的な匂いのしない男女のほうが余計いやらしく見える…と言ったのは誰だっただろう。友人だっただろうか。それとも、何かの本で読んだのだろうか。その指摘は強ち外れていないと思う。
「平山、可愛い彼女がいるんだったら、その子に慰めてもらえばいいのに…」
いつも惚気話を聞かされていたから、彼女の話題が出ないと却って不自然だ。
それが私に妙な焦燥を駆り立てているのかもしれない。
靄がかかったような意識の中、半ば自棄になってそう言うと、
「いや、アイツにはこんな話はできない」
きっぱりとした返事が返ってきて、私は慌てて正常な意識を取り戻す。
「何で?マリア様みたいに慈悲深いって言ってたじゃない」
「だけど、ノアとは違うんだよ。アイツは話しても理解できないから、無駄っていうか…」
平山曰く、自分の彼女はフワフワしていて、確率とか数字とか統計とかいう堅苦しい言葉はまるで通じないのだそうだ。
「例えば、ノアなら確率論っていきなり言っても、凡そのことは察してくれるけど、アイツは首を傾げるだけなんだ」
「へぇ…」
頷きながら、私の脳内には童話に出てくるお姫様のような少女の姿が浮かんでいる。
しかし同い年だと聞いているから、そんな女がいるなんていうのは俄かに信じられない。数学の勉強をしていたら、誰でも少しはピンと来る話ではないか。
「やっぱノアは頭いいよ。女でも、それくらい話がわかったほうがいいよな。アイツ見てると、余計にそう思う。顔が可愛いだけじゃ駄目だって」
「何よ、その言い草。いっつも、顔が可愛くて優しいだけで十分って言ってたじゃん」
私は可笑しくなって噴き出した。ところが平山は真面目な表情のまま、
「いや真面目な話…」
と酒の残ったグラスを両手で持って覗き込んでいる。私は笑いを引っ込めて、話の続きを促した。
「確かにアイツといると癒されるし、可愛いとは思うんだけど、話していて空しくなることがある」
「人形を相手に話しかけているような気がするのね」
「ああ、そんな感じ。何ていうのか、打っても響かないんだよ。だから会話もあまり弾まない」
それに…と、グラスを呷って続ける。
「何か的外れなんだよな。オレが愚痴るとすぐ、じゃあ麻雀なんてヤメたらいいのに…って。そんな話をしているわけじゃないのに」
私は黙って、彼の話に耳を傾けていた。頭の中で、砂糖菓子のような女の子の像が出来上がる。お菓子の国で造られたお姫様。
そりゃあ、周りはどこを見渡しても甘いから、自ずと脳味噌も生クリームのようになるのだろう。
(何かさっきから意地悪な見方ばっかりしてるな…)
意識しているわけでもないのに、妙に苛立っている自分に小さく苦笑した。
嫉妬?まさか…と、瞬時に否定できない辺りが余計に神経を逆撫でする。
「それでも、別れようとか思わないの?」
どこか突き放すような、それでいて媚びるような、不可解な言い方になってしまった…と気付いた時には遅く。
「え…?」
平山は、虚を突かれたような表情で私のほうを振り向いた。
「い、いや…そんなに話していて空しくなるなら、別れようって思わないのかなぁ…って」
素朴な疑問よ…と笑顔を作るが、ぎこちなくなっているのが自分でもわかる。
平山は拗ねたようにそっぽを向いていたが、やがて憮然として口を開いた。
「別れたら、また一から恋愛することになるだろ。そんなの、面倒くせぇよ」
一瞬、喉に魚の小骨が刺さったような、鈍い痛みを覚える。
何故だろう……と疑問に思う反面、それ以上考えてはいけないと、自制する冷静な自分がいて戸惑う。
(私は……)
危うく、口に出してしまいそうになった。
私は、平山の彼女にはなれないのだろうか、と。
答えはわかっているのに。平山の性格上、私のような女とは付き合わない。恋愛はイレギュラーの連続ではあるけれど、二人の過ごしてきた約十年間と照らし合わせてみれば、こと恋愛に関してはほぼ既定路線を辿ることはわかっている。
なまじ付き合って日の浅い恋人同士よりも親密な間柄なだけに、聞かずとも返事はわかっているのが辛い。
(だけど…)
私は本気で平山の彼女になりたいのかと問われれば、瞬時に首を縦に振ることもできず、結局彼と同じように、他人が聞けば呆れるような男が自分の好みのタイプなのだ。
(自分に彼氏がいないから、他人の恋愛のお節介を妬きたくなるのかな)
そうだ、きっとそうに違いない。ヒマだから、平山の恋愛に興味を持ってしまったのだ。
それは丁度ワイドショーを観て、芸能人のゴシップで騒ぐのと同じくらい、現実感とかけ離れている。いや、友人の恋愛について芸能人のゴシップは言い過ぎか…と、一人でめまぐるしく思考回路を回転させている私を見て、平山が、
「ノアは…」
と徐に口を開いた。
「何?」
「ノアは、今は彼氏いないんだっけ?」
「いないけど…」
――何で?
そう訊き返そうとしたのに、言葉が続かない。どこか気まずい雰囲気が漂って、お互いに黙り込んでしまう。
(何よ、この空気…)
平山との間がギクシャクした時は、自虐的なユーモアで明るく返して何事もなかったようにしてしまうのが、私の身上ではなかったか?
自分で自分自身に苛立つ。そして、私は何をやっているのだろうか…と、途方に暮れる。
感情に支配されるのは苦手だ。論理的でないものは、何となく怖い。
沈黙がひたすら続く。何か言ってよ、平山…と縋るような気持ちで祈ったのが通じたのか、ふっと場の緊張が解けて、平山が「ああもう、何だかな」と投げやりな溜息をついた。私も釣られて、口元を綻ばせる。
「なかなか上手くいかないね」
「本当だな」
何が、とは言わなかった。恋愛が、人生が、仕事が。何を思案しているのかは、各々の胸の内にしまっておけばいい。少なくとも、今この場では。
「そろそろ出るか」
「うん」
その日の会計は珍しく、平山が持ってくれた。
「いつもみたいに割り勘でいいよ」
店を出たところで財布を出そうとしたけれど、笑って私の手を押し止める。
「いいよ、今日はノアに愚痴聞いてもらってスッキリしたから」
「そんな、あれくらいのことで…」
「いいんだって」
そう言われると、何も言い返せず。じゃあゴチになります…と冗談めかして手を合わせると、今日初めて、平山が明るい笑顔になった。心臓の辺りに蝋燭の火が灯ったような、ささやかな温かみを感じる。
覚えのある感触に、脳の冷静な部分が警鐘を鳴らしている。
「ノア、また近いうちに飲もうな」
「そうだね。次は私が奢るよ」
「わかった」
恋人同士じゃないから、一方的に奢ったり奢られたりするのはナシ…というのは、私たちの間で暗黙の了解のようになっている。
いいのだ、これで。きっとこの距離が縮まったら、平山と私の十年来の友情も壊れてしまう。
恋人同士になるには、考え方が似過ぎた二人なのだ。ロジックの好きな二人。男と女のことは、理論では上手くいかないということも知っている二人。
「彼女と仲良くやるんだよ」
「ノアも早くいい男探せよ」
「それは余計なお世話」
怒ったフリをする。平山が笑う。夜道に軽やかな笑い声が二つ響いた。
(そうだ、これで良かったのだ)
自分に言い聞かせながら、私はそれでも、チャンスを逃してしまったような後悔を、背中に薄ら寒く感じている。

prev / next
[戻る]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -