小説 | ナノ

別れの言葉を私から


「ノアは将来、何になりたいの?」
「私?私は……普通のお嫁さんになりたいの」

そう答えた時の、零くんの表情には隠しようのない落胆が滲んでいて。
ああ、やっぱり彼は私という一個の人間ではなく、私という人間が持つ能力を愛していたのだと悟った。

「そんなの嘘だろう?ノアが自分の能力を活かさないなんて、オレには考えられないよ」

急に二人の間だけ、頭上の空が曇ったように、視界がみるみるうちに暗くなる。
どんよりとした雰囲気が漂い、私は重苦しさに抗いつつ口を開く。

「……どうして?」

打てば響くような速さで返ってくる答え。

「だって、世の中の女性の大半が、ノアみたいになりたくてもなれないんだ。キミみたいに優秀な人は将来、世界を背負って立つような仕事に就くべきだと思う」

私には反論する言葉が見つからない。
彼の言うことは至極尤もだ。莫大な額を投資して私をここまで能力の高い人間に育ててくれた両親に報いるためにも、私は自分の持つ力を誰かの為に役立てねばならない。
だけど、そう冷静に判断する理性と実際の感情は必ずしも一致するわけがなく。
他人からの期待は、今の私にはただの重荷にしか感じられなかった。
それなのに零くんまでもが、私にそんな負担を強いようとしているなんて。

「零くんが好きなのは、普通の女の子の私じゃなくて、頭が良くて何でもできる私なんでしょう?」

私は泣きそうになるのをぐっと堪えて声を振り絞る。
硬く握り締めた拳が、血の気を失って白くなっているのが視界の端に映った。

「違うよ…!」

零くんは困惑した表情を浮かべつつも否定する。

(そんなの嘘だ)

私は信じない。
だってさっき、あからさまに失望の色を浮かべたではないか。
しかしそれを指摘しても、水掛け論になるだろうから、

「仮に違うとして……零くんは、私にそうして欲しいの?」

私は静かに問うた。

「勿論そうだよ。ノアが活躍するところを見ていたい」

人をまるで観葉植物のように、簡単に言ってくれる――。
咄嗟に怒りが沸く。
が、天才型の彼にはわからないのだろうな…と、それはすぐに寂しさへと変わった。
私は独り言のように呟く。

「零くんは本当に私のことが好きなのかな」
「それってどういう意味?」

怪訝そうな表情で問い返される。

「何ていうか…零くんは、私がどちらかといえば成績も良くなくて、運動も音楽も美術も人並みにしかできなかったら…」
「……」
「テレビや恋愛や漫画の話しか話題がなくて、オシャレすることばかり考えてる、どこにでもいるような女子高生だったら、見た目が同じでも付き合わなかったよね?」
「そんなことは……」

ない…と、即座に言い切れるか、一縷の希望に縋ったが、彼はそのまま黙り込む。
沈黙が雄弁に、私の問い掛けを肯定していた。

「零くんは、私のスペックが好きなだけなんだよ」
「スペック…?」
「そう。成績の良さとか、語学力とか、運動神経とか、一見抽象的に見えるけど、どれも数字で表すことが可能そうな能力」

オール5の通知表とか、満点の全国模試の結果とか、金銀銅…必ず三位以内に入ってもらう、賞状やメダル、トロフィーとか。
それらを必ず手にしてくる私だから、彼は興味を持ったのだ。

「つまり、オレはノアを数値化して、その値で好きだと判断してるってこと?」
「うん。百点満点中、満点に近いってことで、好きだと判断して告白したってこと」

自分で言いながら、途方もなく悲しくなる。
だけどいつかは、言わなければならない日が来たに違いない。
それが少し早まっただけだと、自分に言い聞かせる。
私は、完璧な私でいることに疲れてしまった。
だけど零くんが私に求めているのは、その完璧さだと知っているから。
本当の私はそんなにカッコイイものではなくて、周りの女の子より余程弱くて、誰かに凭れ掛かりたくて、でも不器用だから出来なくて、零くんの前でも精一杯虚勢を張っていた。
嫌われたくなくて、嘘でもいいから、必要とされているという実感が欲しくて。
けれどもう限界だ。恥も外聞もなく誰かに甘えたかった。
でも、零くんはその相手にはなり得ない。

零くんが好きだった。
私…即ち“ノア”という女の子の本質を愛しているわけではないとわかっていても、優しくて賢い零くんがどうしようもなく好きだった。
だけど、いくら頭で解っていたこととはいえ、実際に確認すると胸が痛くて。
このまま付き合い続けるのは辛過ぎて耐えられない。


……今、わたしはかつてない程に緊張している。
海外のコンクールや大会に出場した時でさえ、心臓がこんな出鱈目な鼓動を刻んだことはなかった。
言ってしまえば、もう元には戻れないだろう。
引き返すなら今のうちだとわかっていても、一度冷めてしまい、逃げたいと逸る感情はどうしようもなく。
大切なものを失うことの恐怖がこんなにも苦しく悲しいことだとは、知らなかった。
天才少女と持て囃され、何でもわかっているつもりでいたのに、知らないことがまだいくらでもあったのだと、別れを前にして初めて気付く。
零くんは、色々なことを教えてくれたんだと、空虚なのにどこか充足しているという、矛盾した思いの中、私はぐっと唇を噛み締めた。
ありがとう、そしてさようなら、大好きだった人。
思い出が走馬灯のように脳裏を過って、涙で視界が霞む。

「ノア、どうしたの…」

零くんは、いつになくおろおろして、私の肩に手を伸ばそうとした。
それを払いのけた瞬間に、引き返せないところまで来てしまったことを知る。
できれば私からは、こんな台詞を言いたくはなかったけれど――。

やがて、決心のついた私はゆっくりと口を開いた。

「零くん、もう別れよう……」

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