小説 | ナノ

駄目なアイツと駄目なワタシ


「ただいまー」
残業を終えて帰宅すると、アパートの小さな部屋には、既に明かりがついていた。
「お、おかえり…」
洗い物をしているらしく、声が水音に重なってキッチンから聞こえてくる。
「何だ、帰ってたんだ」
「ああ」
ちらっと壁の時計に目をやった。まだ午後八時を少し回ったところで、彼がこの時間に家にいるのはおかしい。
(さては、スッたな…)
どうせ、パチンコかスロットだろう。今朝、出掛けに貸した諭吉数枚。
普段は頼んでもしようとしない家事を、自ら進んでやっているのは、使い込んだ疚しさからか、また無心するつもりだからなのか。
「メシ、まだだろ?」
「うん、食べるヒマなかったからね」
「冷蔵庫にある残り物でチャーハン作っといたから」
「マジで?助かるわ、ありがと」
その甲斐甲斐しさに、空々しいと苛立つ反面、疲れた体で料理をしなくていいことを素直に喜ぶ自分がいる。
これを優しさと勘違いして、自分に都合の悪いことには目を瞑り、また同じ事を繰り返してきた。
スーツ姿のまま、台所のテーブルに腰掛けて、天井を仰ぐ。
取り敢えず、朝貸した金はどうしたのか、訊かなくては…。
そう思うのに、空腹が思考回路を鈍らせて、上手く言葉がまとまらない。
「お待たせ」
目の前に、綺麗に盛り付けられた食事が並ぶ。
「おおっ。相変わらず、料理上手いなぁ」
「まぁ、飲食店でバイトしてたことがあるから…な」
私は飛び付くようにして箸を取った。とにかく腹が減っている。我ながら現金な性格だと呆れてしまうが、口中に広がる温かい感覚に、逆立っていた気持ちがどんどん凪いでいく。
「疲れただろ。後片付けは俺がやっとくから、ノアは風呂に入ってゆっくり休めよ」
「ありがとー、カイジ」
ビールの酔いも手伝って、私の頭の中は「めんどくさい」で占められている。
めんどくさい…何もかも。
食事の片付けも、貸した金の使い道を問い詰めることも。
更に言えば、スーツを脱ぐことも、メイクを落とすことも、風呂に入ることも全て。
このまま布団に潜り込んで一度でも瞳を閉じたら、明日の朝まで起きない自信がある。
明日のことは明日の朝、また目覚めてから考えれば良いんじゃね…と、投げやりに考えた。
そして…おそらく、それがカイジの狙いなんだろう。
疲れて帰ってきた私に食事を取らせ、酒を飲ませ、毒気を完全に抜けば、自分の一日について追及されないで済むから。
いや、そこまで考えてなくて、ただ人が好いだけなのか。
きっと後者だな、と嘆息する。悪い人ではないのだ。
私は彼に甘い。しゅんとした表情を見せられると、すぐに問い詰めるのをヤメてしまう。
少し優しくされれば、「もういっか」という気持ちが態度にモロに出るし、金を貸せと言われれば渋々といった体を作りながらも最後は貸してしまう。
結局は、好きなのだ。惚れているのだ。こんな駄目な奴なのに、それでもこうやって作ってくれる美味しい食事や、愛撫と睦言に騙されて、愛情と勘違いしてしまい、ここまで来たのだ。
出会いから三年近く経っている。カイジがこの家に転がり込んできたのは出会ってすぐの頃で、時を同じくして彼はそれまで何とか続けていたバイトをヤメた。たまに、日雇いの仕事などで小銭は稼いでいるようだが、定職には就かないし、稼いだ金を私に渡すこともない。ギャンブルと酒代に遣い、それでも全然足りないから、私に無心する。
『それでお金を貸すノアもどうかしてるよ…』
どうせ、貸した…って言っても、返ってこないでしょ?と、友人たちは口々に言って冷笑を浮かべる。私は何も言い返せず、頷くだけだ。
『別れたほうがいいよ』
親友にも大真面目に諭され、私自身も頭では解っているのだけれど……。
別れられない。カイジは、私がいなくなると、別な女の家に転がり込んで同じような生活を送るだろう。
そこで、私に対してそうやっていたように、食事を作り、風呂を用意し、夜は優しく体を抱いてくれる。
その様子がありありと想像できて、ああ嫌だ…と、私は身震いした。
失うことに耐えられないのは私のほう。下心と不純な動機しか含まれていない優しさでもいいからと願う、自分の弱さが心底嫌になる。


風呂に入って熱いシャワーを浴びると、いくらか意識がスッキリした。
鼻歌混じりに機嫌良く洗い物をしている背中に、いくらか緊張しながら声をかける。
「ねぇ」
「ん?」
振り向いた表情は柔らかく、私はつい、こんな優しい人を問い詰めようとしている自分こそが冷たい人間なのではないか…と、錯覚を抱いてしまう。
極力、声の調子を明るくして尋ねる。
「朝貸したお金、どうしたの?」
笑顔を作ろうとしても、顔の筋肉は強張ってしまって上手くいかない。
私に痛いところを突かれたカイジは、「えっと、その…」とか「あー…」とか言いながら視線を彷徨わせている。
根っこがイイ人だから、開き直れないのだ。明日の朝には忘れているのに、今ばかりは、心の中では悪いと本気で思っている。それが手に取るように伝わってきて、私はそれ以上突き詰められない。
もじもじと、とても言い難そうにしている姿に愛しささえ感じてしまい、
「どうせパチンコでスッたんでしょ」
と先回りして言った。助け舟を出してどうするんだと、自分を責める声を、自分の中に聞く。
カイジは案の定、助かったとばかりに表情が明るくなって、全く悪いとも思っていない声音で、
「今日はスロットで負けちゃって…。マジでゴメン!!」
顔の前で両手を合わせる。私は、
「あー…そうなんだ」
と返事をしながら、今日こそは思うざま罵ってやろうと勢い込んでいた心が、みるみるうちに萎んでいくのを感じる。
カイジは、私から怒気が去ったことを敏感に察知したのか、話は終わったとばかりにまた背を向けて洗い物を再開した。
「先に布団入ってろよ。俺はこれ片付けて寝るから」
ノア、今日は疲れてるだろ?明日も朝早いんだから、無理しねぇほうがいいぞ……。

心からといった調子で、カイジが言う。果たしてこの世界に、私にこんな風に声をかけてくれる男がどれだけいるというのだろう。

否、いない。

反語のように自問自答して、私は「ありがとう」と小さな声でその背中に呟いた。
この人が冷たい人ならば、私も遠慮なく罵倒できるのに。
同じ過ちを繰り返す愚かさも、言い訳する時の居心地悪そうな態度も、私にかけてくれる全ての優しい言葉の、撫でてくれる指先の感触も、何もかもが愛おしい――。
そう考え至った時、私は自分の完全な敗北を改めて悟った。
明日もまた、数枚の札をテーブルに置いて家を出るだろう。
銀行の預金残高を気にしながら、まぁ来月にはボーナスが入るからいっか…と、自分に言い訳をして。

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