君がどうであろうとも | ナノ

※R-15G!!達磨注意!!

 1

「イド、喉乾いた」
「イド、お腹すいた」
「イド、お風呂入りたい」
 イド、イド、と何をするにもメルヒェンはすぐに同居人を呼びつける。
 手足を無くした、その状況故に一人では何も出来ないメルヒェンは、その生命維持、生活に係るすべてをイドルフリートに頼っている。
 移動も、食事も、入浴もすべて、イドルフリートがいなければ何もできない。ベッドの上に転がって、ぼんやりと過ごす日々。
 けれどメルヒェンは、そんな日々を当たり前だと思っている。彼には、以前の記憶がない。気づけばこうで、気づいた時には既にイドルフリートがいた。それだけ。外に出たこともないから、窓から見える空の色しか、外界の事は知らない。
 またその空を見て、メルヒェンはもぞりと自由にならない体を動かした。
「どうしたんだい、メル」
「ん、なんでもないよ」
 ベッドの隅に腰掛けたイドルフリートが、ベッドに横たわるメルヒェンの髪を梳く。それがくすぐったかったのか、メルヒェンは首を竦めて笑った。
 目を細め、優しげに口元が孤を描く。ふと何かを思い立ったのか、イドルフリートは唐突に、メルヒェンの背に手を差し入れて抱き上げた。
「イド?」
 抵抗もままならないメルヒェンは、そのままイドルフリートの腕の中にすっぽりと収まる形になる。いつもされていることだが、その落ち着かなさにもぞもぞと無い手足を動かした。
 くすぐったいな、と思えば、彼の綺麗な金髪が頬を擽っており、顔を逸らしていたら、すまない、と言われて髪を払いのけてくれた。
 まるで幼子をあやすように、身体を前後に揺られる。イド、と見上げるままに名を呼べば、優しく微笑んで、ちゅ、と頬に口づけられた。
「ん、イド、」
「何だい、メル?」
「ずっと、一緒に居てくれるかい?」
 額に、髪に。ちゅ、ちゅと唇を落とされる。それもいつものことだ。イドルフリートは、何を当たり前のことを、と言うように、口づけるのを止めない。
 ぎゅ、と一つ抱きしめられて、離されたと思ったら、優しい笑みのまま最後に唇を重ねられる。漏れる吐息に差し入れられた舌で、びくりと身体を震わせても、メルヒェンはただイドルフリートを受け入れるだけ。
「ん、んぅ…ふ、」
 ちゅる、と水音を立てて離されて、唇同士を繋いだ糸は、音もなく静かに切れた。散々呼吸も奪われて、メルヒェンはくたりとイドルフリートの腕に身体を預ける。荒げた息が、上下する肩が、潤む瞳に上気する頬が、イドルフリートにとっては堪らなくそそられるものだ。
「い、ど…っ、貴方は、ど、して…」
「ふふ、君が可愛いからさ」
 悪びれるでもなくしれっとした表情で言われて、メルヒェンは更に顔を赤くする。
「君が嫌だと言っても、私は君の傍にいるし、君を大切にし続けよう」
 何せ私は君を愛しているからね、とそう囁いて、また額に口づけた。メルヒェンは恥ずかしげに目を伏せており、何度言っても変わらないその態度が、とても愛おしく感じられた。
「私も、貴方の事が……」
 好きだよと、そう言う前に抱きしめられて、その温かさにずっと触れていたいと、メルヒェンは思った。
 もっと、もっと。


 
 2.

 イド、と。小さく呼んだ声に返答はなかった。
 呼んだ相手はすぐそこに座っている。けれど反応はない。ゆっくりと上下する身体から、彼が寝てしまっているのだとわかった。暖房もついている室内とはいえ、そのままでは風邪をひいてしまうだろう。
 いつもイドルフリートは自分の世話を焼いてくれる。だから少しくらい、返したい。そう思ったメルヒェンは、口に毛布を加えて、もぞもぞと動き出す。
 並であれば決して高いとは言えないベッドだったが、メルヒェンにとっては息を飲む高さに違いはない。恐る恐る、ゆっくりと身体を傾けていく。
「……!!?ぐっ…」
 後少し、というところで、ぐらりと傾ぐ身体。肩から強かに打ちつけて、息を詰めた。
「痛………」
 ひりひりとする身体を叱咤して、見渡せば毛布も落ちている。よかった。これで毛布が届かなかったら、ただの落ち損になるところだった。
 再度毛布をくわえて、ずり、と身体を引きずるように動かす。イドルフリートまでの距離が、途方もなく遠いものに思えて仕方なかった。
「あと、少し…」
 しかし、彼の足元まで来て気づく。自分では、イドルフリートの肩に毛布を掛けることも、出来ない。
 その事実に気づいた。見上げる金髪が、果てもなく遠くて、眩しい。
「……ふ、ぐっ…ひっ…」
 嗚呼、泣けてきた。やはり自分では、何も返せないのだ。冷たいフローリングに頬を擦り付けて、嗚咽に身体を震わせた。
 どれくらいそうしていただろうか。目的も果たせず、ベッドにも戻れず、不甲斐なさに涙は止まらない。もうこのままでいいか、と思いながら目を伏せる。
「…メル?」
 降ってくる声に顔を上げようとしたが、それは叶わなかった。立ち上がるまま抱き上げられて、また涙があふれてきた。
「まったく…どうしたんだい?」
「イドがっ…寝ていた、から…毛布、掛けようかと思って…」
 けれど、だめだった。自分では、イドルフリートのためになるようなことは何も出来ない。
 そう言うとイドルフリートは、驚いたように目を見開いて、それから手で涙を拭ってくれた。
「まったく、君は低能だな」
「ごめ、なさい…」
「君の気持ちは嬉しいよ。けれど、君が怪我をしてしまう事の方が心配だ」
 闇色の髪をかきあげた手をそのままに、イドルフリートはメルヒェンの目尻に唇を落とし、その涙を舌先で掬った。
「んっ…イド…」
「さぁ、もう寝ようか。身体も冷えてしまっている」
「ふふ、それはお互い様だろう、イド?」
 ベッドに横たえられ、その隣にイドルフリートが添い寝をするように寝転がった。
 小さい子供にするような手つきで、イドルフリートはメルヒェンの背を撫でる。
「ねぇ、イド…」
「ん…?どうした?」
「嫌いにならない…?見捨てない…?」
 うとうとと、半分閉じてきた瞼にあらがうように、メルヒェンはそう問いかけた。
 くすりと笑って頬を寄せたイドルフリートは、彼の頭を抱えるようにして、ぎゅっと抱きしめる。
「やはり君は低能だな。そんなことあるはずないだろう?」
「イド…」
「ほら、もう寝給え」
 おやすみ、と言われて、髪を撫でる手が優しくて。メルヒェンはその手に誘われるように、眠りに落ちていった。
「いつまでも、どんな姿であろうとも。君は私のものだよ」
 そんなつぶやきは、聞こえないままに。


 
 3.

 彼が事故にあったのは、もう数年は前の事になる。もともと肉親のないメルヒェンは、イドルフリートを兄のように慕っていた。
 年の離れた弟、その認識が変わったのはいつのことだろうか。その、宵闇を思わせる髪の色が、闇に浮かぶ月のような瞳の色が、ふとした時の何気ない仕草さえ、気づけば愛おしいものとなっていた。
 イドルフリートの携帯に電話があった日。病院に駆け込んだ彼の目に飛び込んだのは、全身を包帯で巻かれ、呼吸器と、点滴、モニターに繋がれた『弟』の姿。
 メル、と呼ぶ名は彼には届かず、ただ目を閉じて眠り続けるその顔は、苦しさとはほど遠いもののように思えた。もともと血色のあまり良くなかった表情が、さらに血の気を失って、途方もなく白く見えた。ぴ、ぴ、と音のするモニターと、幽かに上下する胸が、彼が生きていることを鮮明に告げていた。
 見晴らしの良い、道路だったそうだ。背後から乗用車に突っ込まれたらしい。
 一命は取り留めたものの、変わりに四肢を無くした。無くさざるを得なかった。命の代わりに、手足を。それでも良かった。生きてさえいれば、それで。
 喪うのが怖かった。彼を喪ってしまうくらいなら、この腕に閉じこめてしまおう。暗く固い決意を、イドルフリートはその時にしたのだ。
「メル、君は、私のものだ」
 離れるなど、赦さない。
 以前のことを忘れてしまっていたのは、むしろ好都合だった。依存して、依存させて、最後まで。
 すべてにおいて頼られるのは、悪い気がしないどころか、独占欲が満たされた。
 まるで昔からそう言う関係であったかのように、撫でて、抱き締めて、キスをして。君はそのままでいいのだと言い聞かせて、イドルフリートだけを見るように。
「メル、メルヒェン…」
 静かに寝息を立てるメルヒェンを抱き寄せて、イドルフリートは確かめるように名前を呼び続けた。
 それはまるで、朧気なその存在をつなぎ止めるかのように。



Ende.




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それは所謂、共依存


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2012.1.15