ein Zwischenakt | ナノ


 おや。君は傍観者だね。何故今頃…いや、まぁいい。今は丁度幕間でね。何も演じられていないのだよ。あの低能は、まだそこらで呆けているだろう。
 奴にも困ったものだ。いつになったら、私の話を正しく理解できるのだろうか。
 一度一度こう休まれては、観客もいなくなってしまうよ。
 …ああすまないね、こちらの話だ。そういう訳で、再開にはもうしばらく時間がかかりそうだ。
 しかしまぁ、折角だ。つまらない昔話でよければ、聴いていってくれ給え。何、つまらないとは言っても、暇潰しくらいにはなるはずさ。

 おっと、申し遅れた。私の名は、Idolfried Ehrenberg...イドと呼んでくれ給え――












 航海士である私が生まれたのは、海とは縁のない森に囲まれた村でね。
 物心ついた時、既に親は亡く、引き取り手となる親類その他もなかったようで、私は教会の孤児院に預けられ、育てられた。外へ出ることもほぼ赦されない場所だった。
 閉ざされた空間だったからだろうね、幼い頃に本で読んだ海に憧れたものさ。そこには自由があると、私は信じていたのだからね。
 あそこは、何もしなくても生きていけるような温い場所だったけれど、とても窮屈だった。自分自身の選択もなく、責任もなく…決められた道ばかりだった。こんな風も通らない澱んだ場所にいたら、私はいつか腐ると思ったほどだ。
 だから私は、12歳の誕生日…、まぁ、本当に誕生日なのかはわからないのだが、そう育てられたのだから今更曲げることもできないだろう?…話が逸れた。
 ともかく、12歳になったと同時に、僅かな金とナイフを手にそこを出たのさ。え?脱走じゃないかって?ははは、その辺りは想像にお任せするよ。
 それから、昔地図で見た記憶を頼りに海を目指した。不思議と空が私の居場所と今の時間を教えてくれたから、あとは頭に入っている地図を辿るだけで、そう極端に迷うこともなかった。
 昔から足腰には自信があってね。けれど森を通るには夜は些か危険ではあったから、朝日と共に歩き出して、夕日が沈む前に森を抜けてしまう、ということの繰り返しさ。初夏だったこともあって、日は長くなりはじめた頃だったし、気候も悪くなかったのが幸いしたようだ。
 食べ物はどうしただろうか。動けば誰しも腹は減る。最初のうちは街で買っていたけれど、あとの方になれば金も底をつき、仕方なしに物乞いのような真似もしていたと思う。夜は泊まる金などなかったから、他人の家の納屋に忍び込んだり、襤褸一枚で道端で野宿だったな。
 そうして疲労に足をもつれさせながらも海を目指して、7度目の朝、ようやくそこに着いたのさ。漂う潮の香りが心地よかったのを覚えているよ。
 足腰に自信がある、とはいえ、そこまで歩き詰めではさすがに体力も限界だった。
 眩暈から逃れるようにその場にへたり込んで、肺いっぱいに潮風を吸い込んだ。朝日に煌めく海の美しさと言ったら!12年間、あれを知らなかった自分は本当に損をしていたと思う。
 極端に疲れているときはね、一度座り込んでしまうと、次なかなか動けないものさ。どのくらいの時間そこで呆けていたかは忘れてしまったが、みすぼらしい私の姿に同情したのか、男が一人声をかけてきた。
 両手に荷物を抱え、急に話しかけてきた男に私は警戒心を持ったが、疲労と空腹にはどうにも勝てなくて、何かあれば忍ばせたナイフで身を守ればいい、と覚束ない足で男に着いていった。
 男の家は海から程近い場所で、彼の妻は夫の帰宅と共について来た私を見て、酷く驚いてはいたけれど、直ぐに表情を崩して家に迎え入れてくれたよ。
 湯を用意してくれ、上がれば丁寧に拭ってくれた。久々のそれは私にとって酷く安心できるものだったらしく、少し潤んでしまったのはここだけの秘密だ。
 あそこまで無茶をしていながら、怪我らしい怪我はほとんどしていなかった。細かい擦り傷や切り傷はあったのだけれどね。彼女はそれに気づいて、消毒をし、どこでつけたかもわからない左手の甲から手首にかけての裂傷だけは、ガーゼを当てられて包帯でまかれた。痛い、と手を引こうとすれば、今まで我慢しておきながら、と彼女に笑われてしまった。仕方がない、本当に、痛みを感じていなかったのだから。それほど必死だったのだろうね。
 包帯を巻きながら、あなたの名前は、と尋ねられてIdolfried...と答えれば、じゃあ、イドと呼ぶわね、と彼女は言った。イド、イドと数度反芻し、その愛称は私の中へすとんと落ちた。まるで昔からそう呼ばれていたかのように。
 何故あそこまで親切にされるのか、私にはわからなかった。
 世間と切り離されて育てられたとはいえ、孤児院を取り巻く作意や悪意は肌で感じてきたし、ある意味、あそこで育った者達は表面上仲が良かったとはいえ、腹の底では何を考えているかわからない奴も多くいたのだから。…私もその一人だったのかも知れないね。
 優しさには裏がある。幼心にそう植え付けられた私には、見返りを要しない優しさもあるということが、まだ信じられなかったのだよ。
 それでも用意された私には少しサイズの大きな服に身を包んで、温められたミルクを口にしている時に名を呼ばれながら撫でられた手は、忘れてしまったはずの親の存在を思い出すのに充分で、人への甘え方も知らない私だったけれど、二人がしばらくここにいるといい、と言うものだから、その言葉に安堵してそこに置いてもらうことにした。
 申し訳ないとは思ったけれど、私が孤児院を出た理由が海を見ることだったから、それが果たされてしまった今、目的を失ったのも事実だった。けれど、その時の私には孤児院に戻る、なんて選択肢はまったく存在しなかったよ。折角自由を手に入れたんだ、易々と手放してたまるか、とね。
 数日の後、私は彼が船乗りであることを知った。海へ行くときいた私は、彼に縋って、私も連れて行ってくれ、と懇願した。彼は困惑はしていたが、既にここまで来た目的は話してあったし、一度船長に訊いてみる、という返事だった。
 その後、彼の船の船長から許可をもらい、彼の妻からは気をつけてねと優しく送り出され、私は初めて海というものを知ったのだよ。
 船の上は、働かざる者食うべからずの世界だ。だからもちろん私も働いたし、一日が終われば美味しいかどうかわからないが、とりあえず食事が待っていた。仕方ないだろう、船の上には男しかいないんだ。何、多少切り方が豪快でも、腹に収まれば同じさ。
 夕食後、歓談に混ざりながらその場にあった地図にその日の航路を書き込んでいると、周りからは驚かれた。こんな子供が、という視線だったが、不思議と悪い気はしなかった。
 何か学んでいたのか、と訊かれたが、私には首を振るしかない。なんと言っても、私が育ったのは森の中、海だって、私は数日前に初めて実物を見たのだから。
 それを見ていた船長は私に、この船で働け、と言った。お前に向いている仕事があるが、まだ心許ない。学校に通わせてやるから、学費の代わりにここで働けと。
 願ってもないことだった。海に関われる。それだけで私の心は躍った。
 航海士という職業を、私はその時初めて知ることとなり、普段は学校へ、休みの時には船へという生活が始まったのさ。
 それは大変だったけれど、根を上げるようなことはしたくなかった。見ず知らずの、見るからに怪しい私を拾ってくれた夫婦のこともあったし、学費を出してくれる船長のこともあったからね。
 ああ、結局その夫婦には、学校に言っている間は世話になり続けてしまったよ。本当に、家族と言っても過言はない人達だった。
 それから月日は流れ、学校を卒業した。昔は星や月を見るだけだったが、海流のこと、航路のこと、海に関する様々な知識を得て、私は海をもっと好きになった。とりわけ天候に関しては、船にいるうちにその変化に敏感になっていたよ。
恩義もあってしばらくは船長の下で航海士として働いていたのだが、いつしか自分の船を持つ、というのが目標になった。
 その為には、知識だけじゃない、経験も必要だったから、修行のつもりで働いていたし、倹約して必至で金も貯めた。
 20歳になった年、私は独立することにした。大きくないながらも海を渡るには充分な船を手に入れてね。
 船長らは名残惜しそうだったが、私の決断を受け入れてくれたよ。ありがたい人達だった。おそらく私はあの場所で、愛と言うものを知ったのだと思う。恥ずかしい話だけれどね。
 自分自身の技術に驕っていたわけではないけれど、いざ船を手に入れて船員を集めてみれば頭が痛くなるほどの低能揃いでね。誰でも良いから、なんて思うものじゃないと改めて思い知ったよ。
 右と東が同じだと信じている奴すらいた。君だってこれは低能と思うだろう?
 勝手に動くな、私の指示に従い給えと何度言ったらわかるのかと思いたくなるほど、口が酸っぱくなるくらい言い続けたが、しばらくすればそれも忘れられてしまう。
大幅に航路が狂った時も、結局私が舵を握ることになったのだが、操舵術の心得はなかったから、まったくの出鱈目な舵になってしまった。それでも奴らに任せておくよりはいくらかましなくらいだろうね。
 掃除をするくらいしか役に立たない船員で、何度も頭痛がしたが、それでも海は楽しかった。
 すべてが自由で、自分の責任だ。鬱屈したあの場所にいた自分が嘘のようだった。
 ある時嵐に巻き込まれて、船は漂着したわけだけれど、まったく、天候の変化に気付いているのに回避できないとは、私の矜持に些か傷がついたような気がして、ようやく自分が自信に溢れていたことに気がついた。少しばかり謙虚にならなくては、いつか手酷いしっぺ返しが来そうだったからね。
 船は修理で直るかも判らない程の損傷だったが、奇跡的にも船員が欠けることはなかった。
 ただ、皆が皆気を失ってはいたから、とりあえず全員浜辺から引っ張り上げて、自分は近くに何かないか、探しに行くことにしたのさ。
 幸い、小一時間も歩かない場所に大きいとは言えないがしっかりした街はあって、そこならばなんとかなりそうだった。
 そこまで来て、安堵したのか膝をついた私は、私自身が酷く緊張していたのだと思い至って、低能だな、と自嘲したものだ。膝が笑って、立てないのだからね。
 私はどうもそういう場面が多いようで、曲がり角から顔を出した男がこちらを見てぎょっとした表情を、私は今でも覚えているよ。
 それが、私と彼との最初だったのだから。
 その男は、慌てたように駆け寄ってきて、私に何事かを伝えようとしていたのだが、私がそれを理解する事はできなかった。
 それは私にとっては初めてとなる異国の言葉だったが、心配してくれているのは何となく理解できた。当たり前だろう。ところどころ破れた衣服に、濡れた髪。頬にへばりつく砂や傷を見れば、誰だって彼のような反応をする。
 私は何とか身振りで船員のことを伝え、限界だったのだろう、そのまま意識を手放してしまった。は、まったく、とんだ低能だよ、私は。奴の前でこんな失態、今にして思えば穴を掘ってでも入りたいくらいだ。
 目を覚ましたときも、奴はそこにいて、布団に突っ伏すその姿に、私が奴の寝床を奪ってしまっていると思い至った。
 決して広くはないが、質の良さはよくわかる。
 最初の船が貿易を生業としていたこともあって、こういったものはよく見ていたからね。だから私は、奴のこともお坊ちゃん、くらいにしか思わなかったのかもしれない。
 ここがどこかもわからない、けれど異国ということだけは確かで、いつになったら母国に戻れるかは検討もつかなかった。知らない場所では、空を見ても何もわからない。確実に刻む時間だけが、私に焦燥感を植え付けたよ。
 それでもところどころに巻かれた包帯に、ゆったりとした過去を思い出したものだ。
 どうしようか、と私が決めあぐねていたところへ、ようやく奴は目を覚ました。私が起きていることに気付いたときの安心したような表情といったら…まったく。 ともかく、そこから私と彼の交流が始まった。
 自己紹介は簡素なものだった。紙に名前を書くだけ。Hernan Cortesと名乗る彼は、25歳かそこらに見えた。
 奴の母語はしばらく後にわかったから、まずは語学からだった。奴は奴で私の母語を学んでくれていたらしいが、何せ奴は法律はかじったようだが語学はさっぱりだったようで、どちらにせよ船をどうにかしない限りここを発つことは出来ないのだから、私が奴の母語を覚えた方が、いろいろと都合も良い。
 船員にしばらく各々過ごすようにとほっぽりだし、私は見知らぬ土地に好奇心を抑えられず、彼の邸にあった本を片っ端から読み進めた。
 半年もすれば何となく彼らの言語は掴めてきたし、今いる場所はとうの昔に理解できた。私はね。本当に海を渡ってしまっていたのだよ。不本意ながらではあるけれども。
彼と語らううち、彼が大きな夢を持っていることを知った。奴もまた、私の海への想いを理解してくれた。
 まだ見ぬ景色を、世界を見たい。海はその無限の可能性を秘めていた。
 私が船長であり航海士であると知った奴は、驚いていたな。滑稽な表情だったよ。まあ無理もないか。
 星と月を頼りに海を往く私の航法は、奴の興味を引いたようだった。今までの話をしてやれば、さも面白そうに話を聴いていた。
 生まれ持った特性、と言えばいいだろうか。野生の勘みたいなものだ。地図と晴天さえあれば、私は何処にいても迷わない。だから極端に私は雨天を嫌い、その変化に敏感になったのかもしれない。空を雲が覆えば、それは意味のないものになるのだからね。
 先にも言ったとおり、奴は夢を持っていた。新大陸の夢だ。野心に満ち、希望と夢を語るその瞳を、私は好ましいと思った。年は訊かなかったが、おそらくその時の私よりもいくらか年上だろう。人のことを言えた立場じゃないが、少年の心をいつまでも忘れていないような男だった。
 やがて奴は私を、自分が率いる船の航海士にと請うようになった。船員のことは心配だったが、悩む私に彼は望む者は全員無事に母国へ送り届けると言ったから、それはそれで良かった。私の船はもう駄目になっていたし、また海へ行けるのなら何でもよかった。いや、違うな。奴の夢を、見届けてみたくなったのさ。壮大な、夢をね。





 けれど私は、彼の夢を見届けられない。
 彼の船の航海士となって数年後、たまたま立ち寄った故国の港町。ふと私は気になって、己の故郷へと向かった。ついてくると言った奴に、過保護は止め給え、と笑って言って、一人で。まあ、あんなことになるなんて夢にも思っていなかったのだから仕方ない。
 私が育った孤児院は既に朽ち、大きいと思っていた教会はそれほどにも感じられなかった。私が大人になったということもあるだろうが、それ以上に、何かが朽ち果てていた。その下にぽっかりと開いた井戸は、使われなくなって尚もどういうわけか水を湛えていた。村にも人影はなく、家々の様子から、人が消えて決して短くはない時間が経っているのは容易に判断できた。
 井戸を覗き込めば、ゆらり、と綺麗なままの水が揺らめいていて。...Ehrenberg、と声がした後の、振り返る前の背中の衝撃。今でも生々しく覚えているよ。
 それをしたのが誰なのか、私は未だもってしらないのだけれど、孤児院で共に育ったものだったのかもしれない。私がそこを出た後、朽ちるまでに何があったかはわからないし、知る必要もない。ただあるのは、私が井戸に落とされた、という事実だけだからね。
 未練がない、といえば嘘になる。死して尚、不思議と私は意識を保ち続けたままなのだけれど、今は一人ではないから、この狭い井戸でも寂しくはないよ。











 嗚呼、ようやく屍揮者殿もお目覚めのようだ。まったく、いつまで呆けているつもりなんだね?
 策者である私を正しく理解できないなんて、全く低能もいいところだ。だからそうなってしまうのだよ。
 君は屍揮者なのだから、私を理解するのも仕事のうちだろう?
 ん?どうした?ああ、そんな顔をしないでくれ給えよ。私はこれでも君を大切に思っているのだから、君が応えてくれなくては困るのだよ。
 ほらメル、メルヒェン。こちらへ来なさい。次は待ってはくれないよ。
 …待たせてすまなかったね。だが、暇つぶしにはなっただろう?さて、屍揮者殿も戻ったところで、本題に入ろう。よろしいかな?



 題目は、繰り返される第七の喜劇。さぁ、物語を続けようか。















――あぁ君、もし君がどこかで奴と逢うことがあったら、こう伝えてくれ給え。
  「君が今笑っている、眩いその時代に。必ず其処で逢おう」とね――





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時間の流れもわからぬ程



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2011.10