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 顔中がまた真っ赤になって、心臓がバクバク言っているのが自分でもわかる。何を言っていいか分からず、雪男は口を半開きにした間抜けな表情のままただリュウの顔を見た。

 腕が背中に差し込まれたかと思うと、雪男の上半身はふわりと抱き起こされた。…雪男は長身で重さもそれなりにある。けれど簡単にそうされて茫然とした。頭の回転が追いつかない。

「…怒ったか?」

「…え」

「安心しろ、…初日からいきなりお前をどうこうしようと考えていたのが間違ってた。もう変なことはしないよ。…怒ったならこのまま帰ってもいい」

「そん、…な…」

「案内は他の者に頼もう。…俺も大人気なかった。一週間しかお前に会う機会が無いと思ったものでな」

「……」

「子供相手に何をしているんだろうな、俺は」

 するりと離れていったリュウの手。彼はそのまま雪男の座っている場所の隣に敷いてある布団に横になってしまった。

「どうした、帰らないのか」

「あの…えっと」

「…このまま隣に寝てくれるのか?」

「………」

 一度雪男はリュウから視線をそらした。あんまりじっと見られるから、いたたまれない。

 こんな風に好意や興味をもたれたのは初めてで―――多分好意だ―――、驚いた反面、どうしていいかわからなくなる。けれどどこか嬉しさに似たようなものが混ざっていることに、雪男は気づいていた。受け入れるかどうかは別として、好意を持たれるというものは悪くない。…まぁ、どこまで本気か、そもそも本気が少しでもあるのかわからないが。

「な、…何もしない、ですよね」

 リュウは僅かに笑ってみせた。

「………」

 だまって布団の中にもそもそと入ると、リュウが声を上げて笑う声が聞こえた。…こんな風に彼が笑うところを見るのは初めてだ。

「…明日も僕がリュウさんの相手、しますから。…さっきみたいなへんなことは、なしですけど」

「そりゃあ嬉しい。お前を指名したかいがあった」

 そう言うと、あっさりと彼は目を閉じてしまった。

 宣言どおりもう襲ってくるそぶりもなく、結局リュウは戸惑う雪男を差し置いて先に眠ってしまったらしい。

 雪男は部屋の明かりがつけっぱなしなことに今更気づき、そっと起き上がって消した。



「…………はぁ」

 それから一週間、リュウの滞在している間は結局毎日顔を突き合わせ、気づいたら夕食は必ずと言っていいほど一緒になった。もちろん、そのことに対して燐は常に怒っていたし、雪男の携帯は燐からの着信で一杯になった。

 リュウが帰国する本日は丸一日オフらしく、土曜だったこともあり、雪男は早朝から終日観光に付き合わされた。

 買いこんだ土産の袋を雪男も三つほど持たされながら、にぎわしい正十字南商店街の大通りを歩く。

「まだ買うんですか…」

「そうだな、あと半分くらい」

「えええ…」

「荷物はまとめて台湾に送る」

 自分も二つほど大きな袋を抱えていたリュウはそう言った。
 
「そういえば、飛行機の時間、大丈夫なんですか?」

「まだ余裕はある。夜の便だからな。でもまぁそろそろ空港に向かった方がいいか。あとは空港でも買えるような土産だけになったしな」

「…そう、ですか」

「どうした?寂しく思ってくれるのか」

「…………」

 一瞬ためらったが、雪男は素直に「はい」と答えたので、リュウも少し意外そうな顔をして笑った。

「そんな答えが聞けると思わなかった」

「へ…変な意味じゃないですよ」

 手荷物をすべて先に送ったあと、空港への近道にと長いエスカレーターに乗りながら、半分傘で顔が隠れたまま振り返れば、リュウより二段ほど下に乗っている雪男が見上げて来ている。雪男の方が背が高いので、リュウが見下ろす形になるのはあまりなかった。

「空港でぎりぎりまで見送ります」

「ほう」

「その、…ちゃんと最後までもてなしてこいと上から言われていますので」

「そりゃあ感心」

 しかし、雪男はハッとなって口を開ける。まるでこれじゃ、仕事だから仕方なくリュウの相手をしているような言い方だ。

「…あ、…せっかくなので、…僕自身も!…少しでも長く案内できればと…思っ……て」

 言い直すと、リュウは口元を隠して笑っているようだった。

「おかげで有意義な一週間がすごせた。帰国するのが名残惜しいよ」

「僕には緊張の一週間でした。…初日にあなたが驚かすから」

「驚かせようと思ったわけじゃあないんだがなァ」

「お、驚きましたよ、いきなり、その」

「悪かったよ」

「…い、いえ…僕こそ、……すみませんでした…?」

「なぜお前が謝るんだ」

「な、なんとなく…」

 頬を染めながらそんな風に言う雪男を笑って、何度目かになる、頭へ「いい子いい子」をした。エスカレーターの上にいるとそれがしやすい。

 燐以外の人間からそんなことされたのはいつ振りだろう。そうされると、結局は「弟」体質の雪男もなんだか文句も何も言えなくなる。

 そして彼は、冷静な顔にはいささか似合わない、いつも携帯しているオモチャみたいな菓子の容器を雪男に向けるので、咄嗟に口を開いた雪男だったが、放たれた飴は口に入らずメガネのレンズに当たってあられもない方向へ飛んでいってしまった。

 空港までの移動がいやに長く思えて、雪男はじっとリュウの背中を見ていた。


 ―――それにしても、一週間はあっという間だった。…最初の日はいきなり襲われかけたりもしたが、それからは雪男があからさまに顔を赤くして警戒していたせいか、リュウは何もなかったように振舞った。ただ、たまに先ほどのように頭を撫でてくれる。子供扱いされているのか、弟のように思われているのか、それとも単に好意を向けてくれているのかよくわからなかったが、正直なところ嫌ではなかったので雪男はそれを黙って受け入れていた。

 理不尽な大人や言う事を聞かない兄、そんなものばかりに振り回されていたから、リュウとの交流は今までとは全く別物だった。たぶん、こういう人が上司だったら、自分はもっと心が軽かったのかもしれない。それに、彼は雪男を一人の祓魔師として認めてくれている珍しい人でもあった。

 二人が空港につくと、正面入り口の前で仁王立ちしている人物の姿が目に入った。……燐だ。不機嫌そうに出しっぱなしの尻尾を左右に振っている。いくら魔障を受けた人間にしか尻尾を見られないといえど、あまりに堂々としすぎていて雪男は呆れた。

「おう、リュウは今日帰るんだってな。折角だから候補生代表として見送りに来てやったぜ」

「奥村燐、久しぶりだな」

「うちの弟がお世話になりマシタ、うちの!…俺の!弟が!!」

 わざとらしく声を張り上げた燐は、リュウを警戒しながら、その後ろを歩いている雪男に駆け寄って肩で小突いた。

「雪男!…なんもされてねーだろーな!」

「は!?…何言ってるの、っていうか、どうしてここが…」

「シュラに聞いてきた」

「ふぅん…珍しいね、兄さんがわざわざ見送りなんて…」

「お前が連れて行かれねーか心配で来たんだよ!!」

「ハァ?」

 燐のあからさまに疑っている台詞に、リュウは噴出した。なんてわかりやすい奴だ。

 それから手続きや、同じ飛行機に乗って帰る部下との合流、見送りに来た別の祓魔師と挨拶、もろもろを済ませている間も燐はずっと雪男の傍にいて、気づいたら腰を抱いていたり肩を掴んでじっとこちらを睨んでいるので、見ていてあまりにおかしかったリュウは始終ニヤニヤと笑っていた。
 
「そろそろ時間だ。土産も全部買えたし…見送りはここまででいい」

「…あ…」

「一週間、つき合わせて悪かったな」

「いえ、こちらこそ、…日本を楽しんで頂けたなら幸いです」

 不機嫌そうにしている燐の首根っこを捕まえつつ、雪男は少しだけ寂しそうにそう言った。…少なくとも、燐の耳には雪男の声が寂しそうに聞こえて、正直イラっとした。もちろんそんな燐の心情はリュウには丸分かりだったらしい。

「奥村燐」

「なんだよ、あんだけ土産買っておいて買い忘れとか言うなよ」

 リュウは手荷物を全て地面に置くと、少し背の低い燐にぐっと顔を近づけた。…燐はツリ目をがっちり開いたまま、リュウを見つめ返す。

「おまえ、この先もちゃんと弟を見ておくんだな」

「…はっ!?」

 食いつきそうな勢いで牙を剥く燐の頭を手のひらで遠ざけて、今度は雪男を見上げた。

「今度こそおまえの弟を台湾に持ち帰ろうと企んでいたのだが」

「なっ、てめぇ!!やっぱ雪男を狙ってんじゃねーか!!」

 怒った猫みたいにぎゃあぎゃあみっともなく喚いている燐を適当にあしらったリュウは、雪男の後頭部に手を差し伸べて、わしゃわしゃと髪を撫でた。

「次に来る時も今回のように油断していたら…最後まで食べてしまうからな」

 そして相変わらず、なんつってな、などと付け加えたリュウのふざけた言葉。
それを聞いていよいよ激しく怒ったのは燐だ。急いで雪男に触れているリュウの手を払い、人目もはばからずガッチリ雪男の腰を抱く。そのまま触るなと叫んだ。空港内で重そうな荷物やカートを引いた人々が何事かと振り返っている。

「てめぇぇ!!…お、俺の弟に何したんだ!!」

「何も。残念ながら」

「嘘つくな!!だったらなんで雪男がこんな顔真っ赤にして唇震わせてんだよ!!」

「兄さん、…何も、ないから。やめてよ…」

「おまえもおまえだ雪男ォォ!兄ちゃんの知らないところで何されてたんだ!!」

「そう取り乱すな。また日本へ来る日を楽しみにしている。…それか奥村雪男、お前がこっちに来ても構わないが」

「前回、丁重にお断りしたはずです…!」

「相変わらずつれない返事をするな。二度もふられてしまった」

 笑い声を上げたリュウは片手をひらりと挙げたあと、そのまま部下の二人と共にあっさりと搭乗口のほうへ消えていった―――――。



「…兄さん、いい加減離してよ…」

 リュウを見送った空港からの帰り道、燐はずっと口を尖らせたまま、雪男の腕を掴んで離さなかった。すれ違う人が奇異の目で見ようと、燐はおかまいなしに。

「おまえ、…本当にあいつと何もなかったんだろーな」

「ないって言ってるでしょ…」

 雪男は一瞬だけ、あの夜頬を掠めた長い髪の香りを思い出した。

 次は「最後まで食べてしまう」なんて言われてしまって、どう返していいかわからなかった。あれは本気なのか、冗談なのか。相変わらずわからない人だ。

 分からないけど、撫でてくれる手はとても優しかったし、安心するほどしっかりした大人の腕だった。それがなんだか心をぐらつかせるのだ。

「雪男」

 呼ばれてハッとすると、まだ憮然とした表情で燐がこちらを見上げていた。

「…なに?」

「今日は俺と一緒に寝ろ」

「なんでだよ」

「いいから!」

「宿題やったの?」

「今それ関係ねーだろ!…やったよ!バカにすんな!」

「じゃあ、いいけど」

「雪男」

「なぁに」

「…お前は俺の弟なんだからな」

「………は?何を今更…」

「アイツにはやらねーからな!今度またアイツ来ても、お前は傍に行っちゃダメ!あぶねーから!わかったか!!大人はこえーんだぞ!!」

「は。……何を言うのかと思ったら…」

 必死になってそう叫んでくる燐が面白くて、雪男は思わず頬を緩める。…取られるだの、誰のものだの、いちいち言う事が可愛い。

「安心してよ、兄さん」

「…ん?」

「僕は兄さんの弟だから。兄さんを置いてどこかに行ったりしないよ」

「……ん、そうか……。…なら、いいけどよぉ」

「でも、リュウさんみたいなお兄さんがいてもいいかなって思ったことはあるよ」

「んな!!…て、て、てめぇ…!!」

 かっくりと顎が外れたような顔をする燐。思わず雪男は噴き出した。

「変な顔」

「おおおおおおまえ!!あいつの弟になることは絶対許しません!!」

「はは、そんな本気で怒らなくても」

「本気にもなるわ!バカメガネ!!」

「冗談だよ」

「言ってもいい冗談と、悪ぃ冗談があるだろうがーー!!」

 夕暮れの空に燐の叫び声がむなしく響く。

 …とりあえず燐は寮の部屋に戻るまで、ずっと雪男の腕を離さなかった。

(2013劇場版発売記念)

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