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ヴァチカン土産



「……ああ、くそ」

 雪男は朝早くから携帯電話のメール受信を知らせるバイブレーションに苛立ち、顔をしかめた。

 この時間はまだ兄も寝ていて、自分ももう少し眠れるはずだったのに。

 目を凝らして携帯電話の画面を見ると、メールを送ってきたのはシュラだった。

 こんな朝早くに、奇妙だと思う気持ちと、睡眠を邪魔されたことへの怒りが同時にわいてくる。

 机の上のメガネを掛けて、受信したメールを最後まで読む。

 シュラからのメールの内容はいやに簡潔だ。

 件名も無題、メール内容には絵文字すらない。

『今すぐ祓魔塾の教室に来い』

 たった、それだけ。



 シュラの寄越したメールのとおり、雪男はあれからすぐに着替えて、そのまま登校できるように支度をし、不細工な顔で寝ている兄の燐を放ったまま、塾のいつもの教室へ訪れた。

 …しかし、呼び出した本人はそこにいなかった。

 腕時計を見る。

 メールを受信したあと急いで寮を出てきてから、そう大した時間は経っていない。

 まさかいたずらじゃないだろうな、と思ったとき、扉がガラッと開いた。

 雪男より遅れてやってきたシュラは半分目がまだ眠っていて、頭をガシガシと掻いている。しかも寝巻きのままで、顔色はあまりよくなかった。

「はっやいな〜ビビリメガネ。待たせちったかにゃ…」

「待ってません、15分くらいしか」

 冷たく返す雪男にあくびをしながら近づき、シュラは「悪ぃ、悪ぃ」と言った。

 彼女は寝巻きの袖口の中から何かを取り出し、何も言わず雪男にその拳を突き出す。

 雪男が小首を傾げていると、シュラはもう一度拳を雪男に向けて強く突き出した。

「何ボーッとしてんだ、シュラ様からの土産じゃねーか」

「…は?」

「土産っつったら土産だろ。ほれ、受け取れよ」

「…あの、何のお土産ですか?」

「ヴァチカンから来てんだからヴァチカンの土産だ」

「……ヴァチカン…」

 いつまでたっても警戒しているのか雪男が土産を受け取らないので、シュラは乱暴に彼の右腕を掴み、その手のひらに土産を押し付けた。

「ホントは獅郎に渡そうか迷ってたんだけどな」

「…じゃあ僕に渡すんじゃなくて、自分でとうさんの墓前に供えて下さい」

 シュラは雪男の言葉を無視して続ける。

「燐にも渡すなよ。アイツ馬鹿だから大事な物でもスグなくすだろ。それに元々ひとつしか買ってないし、お前だけに渡してやる」

「なにを…?」

 握らされた右手の平を開き、それを見る。

「…ロザリオ」

「そう。ソレな、けっこーいいやつ。日本で買うと万単位かにゃ」

「何でこれを僕に…」

「だから、土産って言ったろ。定番だけどやっぱそれが一番ヴァチカンらしいだろ?ビビリな雪男くんはそれで毎晩神様にお祈りでもしてくださ〜い」

 にゃはは、と笑って見せたシュラの顔を睨みながらも、雪男はそのロザリオを受け取った。


「…わざわざ僕にこれを渡すために早起きしたんですか?」

「そうだよ。…まぁ、これからもっかい寝るけどネ」

「……」

 眠くてだるくて吐きそうで死にそうだ、とシュラはつぶやき、そのままきびすを返す。

 しかしふと、一度振り返って、じっと雪男を見つめた。

「…背、でかくなったな。それに獅郎に……」

「とうさんに、…似ていますか?」

「似てねーよこれっぽっちも」

 ふん、と鼻で笑い、しかしシュラはまだ雪男を凝視している。

 その様子を怪訝に思い、雪男は少しだけ眉根を寄せたあと、そっと視線を彼女から逸らした。

「おい、私から目をそらすな、雪男」

 急な強い口調にぎくりとして、雪男はもう一度シュラを見る。

 彼女はもう、笑っていなかった。

 ただじっと雪男の眼鏡の奥の瞳を見つめている。
 
「それ、大事にしろ。さもないとお前はビビリメガネの少年王になる」

「意味がわかりません」

「獅郎にも何か贈ったことなんてないんだからな。結局ソレもお前行きだし。有難く思え」

「…シュラさん」

「あとな、アタシはアタシより弱い男は嫌いだ。お前があんま変わってなくて心底ガッカリだよ。だからお前は早くアタシより強くならなきゃなんねーんだ、わかったか」

「どういうことですか。一方的すぎます、シュラさん」

「あと、ま〜だ一緒に酒が飲めないってのもなァ〜…」

「年齢ばっかりはどうしようもありません」

 雪男があきれたようにそう言うと、シュラは真面目な顔で「早く大人になれ」と言った。

 そしてそのまま去ろうとする彼女を、今度は雪男が呼び止める。

「シュラさん」

「ん〜?」

 シュラは扉に手を掛けて、首だけで振り返る。

「…ありがとうございます、お土産」

 雪男はシュラに渡されたロザリオをぎゅっと握っている。

 礼の言葉を聞いた後、それを見て、シュラはニヤリと意地悪く微笑んで見せた。

「礼ならチューでもいいんだぞ」

「……え」

 頬をほんのり染めて固まった雪男に、けらけらと笑い声を立てて指を差す。

「安心しろ、チョットからかっただけだ。子供からのチューなんかいらにゃ〜い」

「…っ、ば、…馬鹿にしないでください」

 精一杯そう言った雪男に軽く手を振り、「また夕方、塾の時間にな」と言い残し、シュラはそのまますたすたと去ってしまった。

 ボロボロの教室に取り残された雪男は、シュラに渡された土産のロザリオをじっと見つめて、しばらくそこに立っていたが、ハッとして腕時計を見ると、いつもの登校時間をすこしすぎていたため、慌ててその場を後にした。





「雪男、なんだそれ」

 燐は雪男のコートの腰の辺りをちょいと指差した。

 ああ、と軽く相槌を打ち、雪男はその腰辺りを燐に向ける。

「昨日はそんなのつけてなかったじゃねえか」

「ロザリオ、貰ったんだ」

「…誰に?」

「兄さんには内緒」

「この俺に隠し事とはどういうことだ、雪男のくせに」

 口を尖らせてそう言いながら、燐は雪男の腰元で光を受けて揺れているロザリオをじっと見る。

 そのロザリオは錆も曇りもない銀色に光って、十字架が大きくゆらりと揺れる。

「それって首にかけるんじゃねえの?たまにそういう奴見るけど…」

「アクセサリーとして掛けてる人もいるけど、これは本来首にかけるものじゃないから、これでいいんだよ。とうさんだって腰につけてただろ、覚えてない?」

 そういやそうだった、と呟いたあと、燐はもう一度、「それ、すげー綺麗だな」と言った。


<終>

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