「遠い、とか、思ってんじゃないの?」

 にやにや笑う明里さんの言葉は、ここ最近俺を悩ませている問題というか胸の奥底に眠る劣等感を痛いくらいに突いてきて、俺は言葉を詰まらせるほかになかった。そう、それは彼女に対する劣等感以外の何物でもなく、俺なんかが今までのように彼女と一緒に居てもいいのだろうかという一言では言い切れない不安でもあって。
 途端閉口してしまった俺を見遣って明里さんは、青春だなぁ、と言ってけらけら笑った。普段だったら少し彼女に似ているその笑い方も特に癪に障ったりするものではないのだけれど、今に限っては無性に腹が立つ、他人からしてみれば笑い話のようなものでも、俺にとっては到底笑い事なんかじゃ済まされない。

「……それが、何だって言うんですか」

 想像していたより、ずっと低めの声が出た。多分今までこんなに低い声音で喋ったことなんて無いんじゃないかと思うくらいに、低い声、地を這うような重々しい云々っていう表現ははきっとこういう声とかを指すんだろう。それなのに声量はちっとも無くて、本当に、蚊の鳴くような声という奴だった。
 生意気な返答だ、まるで我が儘な子供が追い詰められて必死に体裁を保とうとしているような言葉しか返せない。
 心臓を揺るがすほどの不安をよそに、明里さんは相変わらずな笑顔を浮かべるとマグカップに入った珈琲を煽って、咽せた、大分熱かったらしい。

「明里さん、俺は殊に真面目な話をしようとしてるんですけど」

 盛大に咽せる明里さんに向かって、冷酷にも思える言葉を投げかけながら突っ立っている俺の姿は傍から見れば滑稽だろう。件の少女がこの光景を見たらきっと何してるんだと眉を寄せて言い放つだろう、それくらい容易く想像がつく。毒されてる、胸中でそうぼやいて俺は明里さんを睨んだ。
 明里さんは未だ自らの喉と必死の格闘を続けており、落ち着いては咽せを度々繰り返している、しかし俺の心境としては最早そんなことに構っていられるようなものでもなく、明里さんが落ち着くのを待たずに口を開いてやる。

「ええ、思ってますよ、遠いって、手の届かない場所にいるんじゃないかって」

 それは本心だ、誤魔化しも何も無しに俺の口から飛び出した言葉は少なからず明里さんに衝撃を与えたようで、彼は大きく目を見開いた。言葉を濁すだろうなどと思われていたのだろうか、だとしたら俺個人としては非常に不服である、常日頃から女の陰に隠れやがってと揶揄される俺だって幾らなんでもそこまで意気地無しなんかじゃない。
 そこまで俺は甘く見られていたのか、そう思うと無性に腹が立ってどうしようもなくて、俺は苛立ちに任せて吐き捨て続ける。ぽつぽつと呟いていたはずの言葉はいつしか絶叫のようなそれへと変貌しており、俺の胸は居心地の悪い圧迫感と自己嫌悪の嘔吐感で潰されそうだった。

「釣り合ってないでしょうね、俺と彼女じゃ、天秤に掛けた瞬間俺のほうが空にすっ飛びそうですよ、全く!分かってるんですよ、彼女と共にいるには俺は軽すぎるって、どうしようもなく弱すぎるって!平凡で普通で、おまけに決闘だってしなくて、こんな俺が彼女の隣に居るなんてどうかしてるんです!」

 気がつけば明里さんはひどく真面目な表情で俺の方を見ていた、その目に何処か彼女の真っ直ぐさと似たものが映っているのはきっと気のせいではないのだろう。俺の言葉は終いには今にも泣き出しそうな涙声へと姿を変えていて、どういうわけか目の奥がじんわりと熱くなった。
 つらい、彼女と共に在れないという現実を己自身に突きつけられて、まるで溺れたみたいに苦しくなる。悲嘆は決してその姿を涙という形では現さなかったけれど、今にも泣き出しそうなのは事実だった、が。

「ま、お兄さんは君と妹が釣り合ってないとは微塵も思ってないわけだが」

 明里さんの口から飛び出した言葉に、俺は次の言葉を紡ぐのも忘れて唖然とした。今、この人は何て言った、釣り合ってないとは思わない、とか言ったか。話を持ち出したのはそっちだというのに一体全体どういうことだ、俺の脳は必死に答えを探していたが結局対して理解も及ばぬままに明里さんは次いで口を開く。

「……別段、遊馬だってそんな風には考えてないと思うけど。言っとくけどな、小鳥君、俺ら兄妹は君の事を誰より信頼してるんだぞ、そりゃまあ、遊馬の周りには本当に色んな奴らが居る、でもな、そんな中でずっと隣に居てくれた奴を、頼りないとか弱いなんて思えるわけ無いだろ?」

 遊馬だったら尚更、と付け加えて明里さんは笑った。先と違って、苛立つなんてことは無かった、寧ろ何時ものようにやたらと明るい気分にさせられた。何故だろうか、先程まで頭を抱えて悩んでいたのが馬鹿馬鹿しく思えてきて、俺は不意に噴き出してしまう。本当に何を悩んでたんだろう、俺。
 勇気づけられたと言うのだろうか、そうでなかったとしてもその言葉が俺の胸の内にとてつもない自信を据え置いていったのは事実だ。目元が腫れていようが鼻先が赤くなっていようが関係無い、少々気恥ずかしくはあったが、俺は明里さんの目の前で不格好に笑ってみせた。

「立ち直ったならそれで何より、んじゃ、盛大に胸の内を告白しちまえ、その方がずっと楽だ」

 言われなくても、そう返事を返して俺は遊馬の部屋へと駆け込んだ。ベッドに腰掛けている小さな体が真っ先に目に入る、そうすればもう後はその場の勢いに任せてしまったようなもので、遊馬以外に目もくれず俺は無防備な後ろ姿に声を掛ける。
 遊馬は俺の声に気がついて、ゆっくりと此方を振り向いた。相変わらず綺麗な柘榴の瞳、それを縁取るやたら長い睫毛、少し赤らみがちな頬、艶やかな唇、細い首筋、それらは今更ながら彼女がか弱い少女だった事を思い出させる。どうしたんだ、と言って首を傾げた遊馬にそっと笑いかけて、取り敢えずその小さな体を抱き締めてやった。

「え、ちょ、小鳥、なにしてっ」

 どうやら困惑しているらしい、まあ当たり前と言えば当たり前ではある。肩口に顎をのせて顔を覗き込んでやれば爆発寸前まで真っ赤になった遊馬の顔が見えた、今まで見たことがない、それこそ女らしい羞恥心を露わにした表情。
 どうして今まで気付かなかったのだろうか、こいつは、遊馬は幾ら男勝りで決闘馬鹿でお洒落に興味が無くて少女性に欠けていても、紛れもなく、誰かが護ってあげなくてはならない女の子なんだ。その誰かが誰なのかは分からない、彼女に近しいものなのか、はたまたこれから出会う誰かなのか、まるで予想もつかない。

「やっぱり、俺、お前の事大好きだわ」

 だけど今ぐらいは、俺がその誰かでいたっていいじゃないか。力があるわけでも特別な何かがあるわけでもない俺だけど、彼女の隣だけは何があっても譲れない場所だから。彼女を一番近くで見守るその席は、これからもずっと俺のものであってほしいなんてとんでもない我が儘だけど、今回ばかりはその我が儘を許してほしかった。
 贅沢でごめん、だなんて、気取った風に呟いてみる。ついでに一つ贅沢を言わせてもらえば、次にお前が顔を上げた時は、俺の大好きな笑顔で居て欲しいんだ。



恋 想



2012.11.14


 

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