秋風が寒い。ひゅう、と甲高い音を立てて吹き付ける風は二人の体を冷えさせるには十分で、殊にやたら細い遊馬に関しては常の溌剌具合は何処へやら、コートに首元まで埋めて子兎のようにぶるぶる震えている次第である。
 遂には女らしさをかなぐり捨てたかのように大きな嚔をした遊馬を見かねて、ミハエルは自らのマフラーを解き、無言のまま遊馬に手渡した。当の遊馬は暫しきょとんとしていたが、ぐいぐいと半ば無理矢理の如くマフラーを押し付けてくるミハエルの意を察してか、申し訳なさそうに眉をハの字にしてそれを受け取り、もたもたと首元に巻き付ける。まだ人肌の優しいぬくもりを残すマフラーに口許を埋めながら、遊馬はくぐもった声でぼそりと呟いた。

「こういうトコは紳士だよな、ミハエルって」

 そう口にしたきり、遊馬は仄かに赤く染まった頬まですっぽりとマフラーに埋めて沈黙してしまった。ミハエルはと言えばその言葉に小さく笑みを零して、悴んで赤みを帯びている遊馬の手を取り先導すると言わんばかりに先を歩き出した。
 重々しく響くブーツの足音と、相対して軽いスニーカーの靴裏から零れる音が冷え込みはじめた秋空の下で二重奏を奏でる。街路樹の葉が疎らに散る道を進みながら、ミハエルは軽く後ろを振り返って笑いながら口を開いた。

「ま、僕は常日頃から紳士のつもりだけど」

 そんなミハエルの言葉にはどこか落胆めいたものが含まれていたが、鈍い、という形容がまさしく相応しい遊馬がそれに気付く筈もないのだ。きょとんと目を丸くする遊馬を見遣って、ミハエルは少々困ったような、眉を寄せた笑顔を浮かべると、再び前を向き歩き出す。
 目的地は、すぐ目の前にまで迫っていた。



「もう少し、こう、女っ気のある洒落た靴くらい履けよ」
「冗談じゃねぇや」

 きちんと並べられたブーツやら革靴やらに紛れたスニーカーを見て、二人を迎えたトーマスは呆れたようにそう口にしたが、スニーカーの持ち主は余計なお世話だと言わんばかりに顔を顰めてつんとそっぽを向いた。確かにどことなく少女らしい趣向のデザインではあるが所詮スニーカーである、女らしさに関してはミュールやブーツには程遠いと言わざるを得ない。
 全く、彼女には女としての自覚が足りていないらしい。街に溢れる少女らと同じく可愛げのある恰好をすれば中々のものであるというのに、化粧どころか服装にすらまるで頓着が無い彼女が本当に女なのか、時に疑わしくなる。今日は少々身なりに気を遣ってか上はカットソーにオーバーサイズのパーカー、下はデニムのショートパンツにやたらもこもこしたニーソックスといった出で立ちではあるが、やはり洒落っ気に関しては街角で見かける少女らには程遠い、特に靴。女らしさについては、彼女の生来の性格も少なからず影響はしていそうだが。

「見繕うくらいだったら、してやってもいいぜ」

 ぼそりと消え入りそうな声でトーマスが零した言葉に、遊馬は何処か怪訝そうな表情を浮かべて、金欠、とだけ返した。確かに、昨今の若者達にとってお財布事情という奴は学業に並ぶ悩みの種である、特に遊馬なんかは金の使い方に頓着が無く、少々財布の中身が暖かくなったと思ったら二日三日の間にすっからかんになっているのが常だ。
 彼女からしてみれば服に小遣いを費やすなんて馬鹿馬鹿しいとでも言いたいのだろう、そんな意を酌み取ってか、トーマスはやはり小さな声で呟く。

「その、服くらい買ってやる、っつってんだよ」

 少しだけ、トーマスの視線が宙を泳いだ。遊馬はその言葉に暫しぽかんとしたまま立ち尽くしていたが、ふと我に返ったのかへらりと無気力に笑んで言葉を返した。

「なんか、彼氏みたいなこと言うんだな」

 それも成立一週間くらいの、と付け加えて遊馬は玄関を後にした。トーマスとしては妙な空しさのおかげで心に隙間風が吹くような気分だったが、壁に据え付けられた鏡を目にした瞬間自分が耳まで真っ赤なのに気付いて、うわ、と嫌悪とも驚愕とも取りがたい悲鳴を上げる。彼女に見られていなくてよかったかもしれない、こんな姿を見られたら馬鹿にされる以外に考えられなかった。



 菓子を頬張っている姿は少女というよりかは栗鼠やハムスターのほうが近いだろう、目の前でクッキーをもさもさ食する遊馬を見つめながらクリスは溜息を吐いた。色気より食い気とはこの事を指すのだろうか、過去の誰かさんもよくぞ言ったものである。
 暫し状況を静観していたクリスだったが、遊馬が頬を膨らませたままミルクティーのマグカップに手を伸ばしたので、やめなさい、と一言口にしてその手をやんわりと止めた。彼女としては不服なようだったが、年長者の言葉に従ってクッキーを飲み込み口内を空っぽにすると、マグを包むようにして持ち上げる。

「……なんつーかクリスってさ、兄ちゃんっていうより、母ちゃんっていうか」

 そんな最中ぼそりと呟かれた遊馬の言葉にクリスは大分仰天した様子だったが、当の遊馬はふうふうとミルクティーを冷ます作業に準じておりそんなことはいざ知らず、漸くマグに口を付けたが未だ熱に勝てなかったのか、ほんの少し眉を寄せてそれを置いた。
 ゆらゆらと揺れる飴色の湖面を暫し睨み付け、遊馬はふと顔を上げる。その先にあった如何にも納得いきませんといった風情のクリスの表情を見て、遊馬はぽかんと呆け、時計の秒針が十ほど音を響かせた後に合点がいったのか笑い出した。

「なんだよ、拗ねた?」

 けらけらと響く明朗な笑い声の中でそう口にした遊馬を見て、そこそこに図星を突かれかけたクリスは今度こそ苦虫を噛み潰したような顔をした。盛大に歪む秀麗な顔に向かってあまり反省の意が感じられない謝罪の言葉を投げかけ、遊馬は再びマグを手に取る。

「これでも褒めてるんだぜ、優しいなって思ったから」

 ふぅ、と唇から零れた息がマグから立ち上る湯気を歪ませ、心地よい香りを漂わせる、しかしやはりミルクティーは未だ心を許してはおらず、遊馬はまた眉間に皺を寄せることとなった。
 母親、というとんでもない形容はクリスを複雑な気分にさせる、優しいと言われはしたものの、嬉しいやら悲しいやら虚しいやら、滅茶苦茶に混ざりあった感想はクリスの眉間にも深い皺を寄せるばかりだ。



「ふむ、やはり牙城の陥落には程遠いようだね、流石は遊馬だ」

 三人息子と一人の少女との複雑極まりない感情が入り交じった遣り取りを傍観しながら、トロンは愉快そうに笑った。
 まさに鈍感と言うべきか、それ故の鉄壁さは三人と彼女の間に妙な隔たりを造り上げており、息子らの思いが見事空回りしているのを示しているに他ならない。恐らくは三人からしてみれば笑い事ではないのだろうが、トロンからしてみればどことなく、理由無しに笑えてしまうのだ。

「極寒に照りつける太陽とは、これまた変わった趣向だね」

 くす、と再び笑みを零してトロンは呟いた。確かに彼女は太陽だ、しかしどういうわけか愛という方面に関してはひどく冷たい、それこそ凍てつく雪山のように。
 さて、何時になれば雪解けの時期になるのだろうか、子供達に春が訪れるのは大分先の話になりそうだ。



秋 空



2012.11.05


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