「別れようか」

 カイトの口から飛び出したその提案は実に唐突で脈絡など欠片も無く、だからこそこの上無いほどに残酷な響きを以てして遊馬の鼓膜を震わせた。
 遊馬とてそれこそ最初はどういうことだと問いかけたかった、しかしながら真剣と言うべきカイトの瞳を見遣って直ぐに閉口してしまうこととなる。どうして、たった四文字が、言えない。遊馬の困惑を知ってか知らずか、唖然とする遊馬から、すい、と視線を外してカイトは言葉を紡ぐ。

「……そもそも、友情と恋情の境界線は、ひどく曖昧だ……俺は、境界線を、見間違えていたのかもしれない、いや、今更過去の言葉を覆す気は、無いが」

 ぽつりぽつり、普段のやたら強気で自信家な物言いからは想像できない程に辿々しく、まるで言葉を選ぶようにして紡がれる、遊馬からしてみればカイトの持論、カイトからしてみれば遊馬に対する体の良い言い訳。
 寂寞とした部屋の中で、カイトの拙い言葉と、その言の葉が重ねられる度に規則性を失う遊馬の呼吸だけが大きく響く。

「解らないんだ、これが、友情なのか、それとも恋情なのか」

 己の事だというのにな、そう付け加えてカイトは苦笑した。困惑、葛藤、自嘲、その何れに当たるかは定かではないが、何にしてもそれは決して見栄えの良い笑いではなかった。
 紅色の瞳を零れ落ちる程に見開いた遊馬が、薄く唇を開く。それは遊馬が言葉を紡ごうとしたサインだったが、それを知りながらカイトは遮るようにして言葉を続けた。

「もし、これが唯の友情なのだと解ったら、俺は、お前を傷つけてしまう、だから、せめて解る前に、傷つける前に、」

 そこまでだった。己の意志に逆らって震える唇を必死に開き、ひたすらに言い訳を続けていたカイトの言葉は、唐突に、壊れたラジオのように不意に止まった。しんと静まりかえった部屋の中で遊馬は困惑した、しかし数瞬の後、遊馬は突如訪れた沈黙の理由を知ることとなる。
 カイトは泣いていた。その秀麗な顔をくしゃりと子供のように歪ませ、青碧の瞳から止めどなく涙を流し、閑かに嗚咽を上げながら。息を呑む、寧ろそうでもしなければ驚愕の余り呼吸が止まってしまいそうだった。

「なんで、泣くんだよ」

 遊馬はその有様を見ても涙を流さなかった、すん、とひとつ鼻を鳴らして、それだけ。今にも泣き出しそうな程にその顔を歪めてはいたが、泣きはしなかった、この状況で涙を流すということが、ひどく馬鹿馬鹿しく思えたのだ。齢にして五つも上の男が、ひたすらに謝罪と懺悔を呟きながら、少年の前でぼろぼろと年甲斐も無く泣いている。どうしてこの状況で涙を流すことができようか、少なくとも遊馬はそう思って、決して悲しみを涙という形に変えなかった。

「……どうして、今まで言ってくれなかったんだよ、ずっと黙ってたんだよ、そんな風に素直に言ってくれたら、俺だって推考したよ、ちゃんとお前の気持ちを受け止められたよ!」

 涙は抑制した、しかし箍の外れた濁流のような感情は留まることなど知らず、心の内が決壊したかのように溢れ出す。カイトの告白は、幼い遊馬にとっては些か重すぎた、遊馬が理解するには余りにも暗く、深く、そして何より複雑すぎたのだ。
 半ば悲鳴のような遊馬の言葉を耳にしても、カイトは涙を流すだけだった。もう感情にリミッターなど利くわけが無い、荒ぶる衝動に任せて遊馬は再び叫びを上げようとした、が、それはカイトの思いがけない行動によって憚られることになる。
 眼前が黒で埋まった、遊馬は一瞬何が起こったのかと困惑したが、直ぐにそれがカイトの纏うコートの色である事を思い出して顔を上げた。

「本当は、解ってるんだ」

 視線を上げた先にある、涙に塗れてぐしゃぐしゃになった、顔。その白い顔に張り付いた口が、唇を戦慄かせながら嗚咽混じりに紡ぎ出す。

「友情、だなんて、そんなわけ、が、無い、恋情に決まってる、知ってるんだ、だから、否定が、拒絶が、怖く、て、堪らなくて」

 涙は止まらない、感情にまかせた言葉も止まらない。そんなカイトの言葉を耳にしながらも、遊馬は別段驚いたようではなかった。本当になんとなくではあるが、気付いていたのだ、嘘の言葉に塗り込められた本当の感情を、この上なく利己的な恐怖心を。
 ひたすらに胸の内をさらけ出し、ぼろぼろと泣きじゃくるカイトに抱き締められながら、遊馬は諦めるようにしてそっと瞳を閉じ、呟いた。

「別れようか」

 それは、はじめの言葉の鸚鵡返しに近かった。恋人という境界からお互いを追い立て、曖昧な関係と距離感を保ちながら改めて友情ごっこに勤しもうという、碌でもない提案。ぽつりと呟かれた言葉は己が放った言葉と寸分違わぬ残酷極まりないそれである筈なのに、カイトにとってはそれがひどく優しい言葉に思えて仕方がなかった。
 細い躯を抱き締めて、ああ、と嗚咽混じりに一言だけ返す、それに遊馬はふわりと柔らかく、慈愛に満ちた笑顔を浮かべて。

「きっと、それが一番幸せなんだよな」

 ゆったりと、唄うように別れを告げる。結局彼は最後まで、涙のひとつも流すことはなかった。



メ ラ ン コ リ



2012.10.19


 

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