愛に実体は無い、愛に証明は無い。確かに愛情なんていうものは触れる事ができないし、それそのものが愛だという論理的な証明だってできないだろうけど、Xの口癖とも言えるそれが未だ子供の俺にはよく理解できなかった。好きっていう気持ちは目に見えるものじゃないけれど、心の底から大好きだと口にすればそれが証明になるんじゃないだろうか、そう思って何度か話してはみたけれど、Xは頑として聞き入れてくれなかった。
 だから、時折不安になる。実体が無く証明もできない愛なんかに縋ってるのは馬鹿馬鹿しい、とか論理的で哲学的なことを言って、俺を捨てちゃうんじゃないかって。

「好きじゃ、不満なのかよ」

 そう思うことだって少なくなかった、愛情に満足する、文字通り満ち足りる事がないんじゃないだろうかとも思ったけれど、その質問に対してXは緩く首を横に振った、どうやら違うみたいだ。
 大人ってやつはこれだから分かり難い。何を考えてるかも何を思ってるかも全然解らないし、何より何を言ってるのかすら解らないことがある。意思疎通が難しいってわけじゃないけれど、多分、相互理解ってやつができてないのかもしれない。

「何が嫌なんだよ、毎日毎日、好きの哲学ばっかり提唱して」
「別に不満や嫌悪は無いさ」

 俺の半ば八つ当たりじみた子供っぽい疑問にだって、Xは優しく笑って答えるだけだ、その笑顔が誤魔化しに近いものだって事はよく知っているけれど。
 大人ってやつは狡い、そうやって張り付けた笑顔で何でも誤魔化そうとする、それに事実誤魔化し方を熟知しているんだから余計に質が悪い。不満を込めた横目で視線を送ってみれば、Xは困ったような笑顔を浮かべてから本に目を落とした。
 余談ではあるけど、Xは面倒事や詰問から逃げる時は本の世界に逃避することが多かった、よく考えてみればそこだって中々に狡い。

「うそつき」

 Xが逃げ込もうとした世界を、分かり易く言うなら馬鹿みたいに分厚い本を叩き落として、恨みがましそうにそう言ってやった。俺の暴挙にXは驚いたみたいだったけれど、俺が先程の嘘を見抜いている事に気付いたんだろう、床に放られた本を拾おうとすらしなかった。
 Xが寂しそうに笑ったと思った次の瞬間、俺は背後のベッドに突き飛ばされていた、無駄に高級なマットレスは貧弱極まりない俺の体を必要以上に跳ねさせる、幸い怪我は無かったらしい。行動があまりに突然すぎる、流石に吃驚してXを怒鳴る為に体を起こそうとしたけれど、Xに両腕を押さえつけられて起きるに起きれなくなってしまった。

「……本当に、君には敵わないな」

 そう言ってXがあまりにも寂しそうに笑うものだから、怒鳴る気も、抵抗する気も失せた。頬にあたる毛先がくすぐったくて身を捩るけれど、Xはそれすらも気に掛けずじっと俺を見つめてくる。
 体重を掛けられた手首が痛い、それを訴えようと口を開きかけた、が、その前にXが言葉を口にしたから言うに言い出せず、俺はその言葉を静かに聞くしかなくて。

「正直、不安なんだよ。愛に実体は無いのだから、何時か、私達の気付かないうちに煙のように失せてしまうのではないかと思ってね」

 目の前に俺がいるっていうのに、Xは独り言を零すみたいに語っている。それも、今にも泣き出しそうな表情を浮かべて。

「存在を証明することもできない、だからこそ虚しいんだ」
「なに、を」

 溜息のような笑みを零してXがそう言ったものだから、俺は無意識にそんな事を聞き返していた。曖昧な質問だったけれど、Xにはその奥のほうに隠れた俺の真意が分かってしまったんだろう。
 だから大人は狡いんだ、子供には絶対解らせないくせに、子供のことはすぐ解ってしまう。
 不意に手首にかかった力が弱まる、その上先程まで押さえつけていたそこを労るようにして指先で撫でてくるものだから、余計に悲しかった。どうして優しくするんだろう、だんだんと目の前が潤んでいく。

「もし君が少女であったらならばと、時に、想わされる」

 そんな言葉を投げかけられて、俺はひどく死にたい気分になった。



イ ク リ プ ス



2012.07.28


 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -