不思議と僕は、彼の前となると途端に欲深くなってしまうようだった、少なくとも、何が欲しいなんて聞かれて全部と答えてしまうくらいには。こんな欲しがりで欲深な僕を許してほしい、そう言って彼に許しを請う姿だって傍から見れば強欲そのもの、結果的に僕が欲望に忠実であることに他ならないのだ。
 そう、今だって彼の全部が欲しくて堪らない、肉体も、心も、それからその思考までもが欲しい。だけど下さいなんていってほいほいあげられる程軽いものじゃないことも、十分に知ってる。彼の全ては世界の何よりも尊くて何よりも美しい、幾らお金を掛けたって、幾ら時間をかけたって、手に入る確証なんて有る訳がないんだ。

「どうすれば、いいんだろうね」

 彼を前にして僕はぽつりとそう呟いた、それは無意識でありながら意識的で、その矛盾する感覚の中で僕はしまったと後悔したが今更遅い。零れてしまった言葉を拾ってどこかに隠すなんてできやしない、事実彼の耳は僕の失言を綺麗に拾ってくれたようだった。
 主語のない疑問文、それを耳にした彼の表情はまさしく訝しげの一言に尽きる、眉を寄せて眼を細めて。どうやら彼を困らせてしまったらしい、僕は先程の言葉を掻き消すようにして、忘れてほしい、とだけ声をかける。これもまた下らない欲望の一端なのかもしれない、僕の失言に対する忘却を求める、そんな言葉だ。
 彼は僕の言葉にこくりと小さく頷いて、何事もなかったかのように踵を返しさっさとどこかへ行ってしまった、彼にまだ言いたかった事があった気がするけれど、引き留める気にもなれなかった。去りゆく彼の背中にひらひらと手を振れば、此方は見えていない筈の彼も肩越しに手を振り返してくれた、それに言いようのない充足感を覚える。
 不思議だ、先まで彼の全てを欲していた筈なのにどういうわけか彼と小さな別れの挨拶を交わせただけで満ち足りてしまう僕が居る、僕はどこまで矛盾すれば気が済むんだろうか。

「…わからないなぁ、」

 そう、ぼやく。僕のこの不可解な感情がどこに向かっているかも解らないし、それ以上に僕自身が何を求めているのかが解らない。何から構成されているか解りもしない欲望を他人に向けて、それでいて何か小さなものを与えられただけで満足して、心の底から馬鹿げていると言わざるを得なかった。
 ふと思う、僕は与えられるだけでいいのだろうか、僕自身が彼に何かを与えようという些細な欲はないのだろうか。他人から与えられる感情だけで充足感を得て、それだけで僕は幸福なのだろうか。

「なんだっけ、なにか、言おうとしたんだけどな」

 遠くに見える、先程別れを告げた彼が消えた雑踏を見つめながら零す、誰一人としてそんな呟きに耳を澄ます者は居ない、人も、鳥も、空も。
 思い出そうと苦心してみるものの僕の頭はそれを拒否したようだった、彼に伝えたかった言葉は疑問と夢想とそれから理想とがごちゃ混ぜになった黒い海に呑まれ、小さな泡のようにはぜて消えてしまう。思い出せない、何を伝えようとしたんだろうか、僕は。
 ぼんやりと人混みを見つめて現実と空想の狭間に沈む僕を、頭上を舞う黒羽の鴉が、かぁ、とひとつ啼いて茜色の現実に引き戻した。
 結局、僕は今日も彼への言の葉を思い出せないままに無意味な八万六千四百秒を終えるのだろう、世界は相変わらず代わり映えしないまま不必要に時を重ねていた。



ロ ス ト ワ ー ル ド



2012.07.15


 

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