薄黒い雲を湛える空の下、九十九遊馬は今正に自らの行いを恥じていた、同時に何故自分が面倒事に首を突っ込みやすい性格なのだろうかと半ば自棄気味にこの時ばかりは親を恨みもした。自分が不良に絡まれている隙にまんまと逃げおおせてた先の被害者の申し訳なさそうな顔がふと脳裏に浮かぶ。
 三方向は隙間無くビルに阻まれて残った逃げ道にはこれでもかという程の不良がひしめいている、否、実際は十にも満たない数の筈なのだが追い詰められた獲物である遊馬にとっては無数も同然であった。普通だったら生け贄に捧げられてしまうであろう財布は都合の悪いことに自宅に置いてきてしまった、実際ここにあったとしても焼け石に水程度の中身なのだが。

「……見逃してくれない?」

 だらだらと冷や汗をかきながらそう懇願した遊馬であったが、一昔前の成りをした不良達はお断りだと下卑た笑みを浮かべるばかりだ、埒があかない。負傷することを覚悟すれば恐らく逃げ切れないことはないだろう、しかしその予想される怪我の度合いを危惧して遊馬は身動ぎもできぬままに立ち尽くしていた。
 不良のうち一人がにたりと気色悪く笑んで此方に手を伸ばしてくる、その目つきがどこか品定めをするようなものであるのは恐らく気のせいではないのだろう。やば、と遊馬が小さく零したその矢先である。
 不良の群れの後ろのほうから、つまり逃げ道に近い方から、ぐげぇっ、とそれこそ蛙が挽きつぶされたような悲鳴が聞こえ、数瞬遅れて相当な巨漢が宙を舞った。自らの保身のために頭を熱暴走寸前まで稼働させていた遊馬であったが、男が綺麗な弧を描いて吹っ飛ぶのを見て頭の中が真っ白になる。
 なんだてめぇ、とかありきたりな罵声が響く合間に混じるのは悲鳴、怒号、そして打撃音。目の前の男に遮られて一体何が起こっているのかすら伺えないが、かませくさい不良達が大変な目にあっているのは間違いないようだ。どこの誰だか知らないがこれぞ一筋の光明、遂には目の前の男までが無駄に立てた襟を引っ掴まれて引き倒された、後頭部を強打し呻き終いには意識を失ってしまった男をよそに遊馬は顔を上げて救世主に礼を言おうとした、が。

「何してんだ、お前」

 呆れ気味な声でそんな言葉が掛けられて、ぽかんと中途半端に口を開いたまま唖然とすることになってしまった。見覚えのある紺藍の髪は紛れもなく一学年上の先輩の色で、案の定そこにいたのはその先輩こと神代凌牙だった。
 暫し呆然としていた遊馬であったがアクアマリンの瞳が何があったと詰問してきていることに気付き我に返り、未だ開きっぱなしだった口から言葉を零した。

「え、その、不良に絡まれてる人みつけて、そんで助けようとしたら、」

 そこまで遊馬が狼狽えながら言ったところで剥きだしの額にびしりと一撃デコピンが飛んだ、予想だにしていなかった攻撃に遊馬はぎゃあと可愛げの無い悲鳴をあげて額を押さえる。なにすんだと遊馬は叫ぼうとしたものの、眉間に皺を寄せ沈黙しながらもその無言の中に明らかな苛立ちを抱いた様子の凌牙を見て口を噤んだ。
 どういうわけか怒っているような様の凌牙は、額を押さえたままの遊馬の躯を力強く引き寄せてその腕の中に収める。凌牙の突然の行動に遊馬は大慌てでその腕から逃れようと藻掻いたが、当然のことながらただのか弱い少女が男に力で勝てる訳もなく徒労に終わってしまった。

「危機感の無さもいい加減にしろよ、自覚が有ろうが無かろうが、お前は女なんだぞ」

 粛々と、しかし確かな響きをもってして掛けられた言葉は遊馬の心にずしりと重くのしかかった、たかが一つしか歳の違わない少年の腕から逃れられないこの状況だから尚更だ。
 自らの非力さを実感ししょんぼりと項垂れる遊馬に追い打ちを掛けるようにして、凌牙は続けた。

「今回だって俺が偶然通りがかったからよかったものの、一人でどうするつもりだったんだ? あの人数ぶっ飛ばそうとしたのか? それとも、逃げられるとでも思ったのか? 女一人があの連中に勝てると、少なからずそう思ってたのか?」

 その言葉は正論以外の何物でもなく遊馬の心に絶え間なく突き刺さり、遂には遊馬の瞳にじわりと涙が浮かぶ。
 とうとう許容量を超えて溢れ出した涙を思いの外優しく拭って、凌牙は先程の苛立ちと憤怒など嘘のように穏やかな表情を浮かべて遊馬を殊更強く抱き締めた。片方の手は子供をあやすようにして遊馬の頭を撫で、もう片方の手は逃すものかと言わんばかりの力で遊馬の細く非力な躯を抱き締めている、否、それはどこか恋人への抱擁というよりは束縛に似ていた。
 ほろほろと涙を流しながら顔を上げた遊馬の赤く腫れた額に凌牙はひとつ口付けを落として、ふ、とアクアマリンの瞳を細め柔らかく微笑む。

「頼れよ、俺が、お前の事を護ってやるから」

 ぎゅ、と抱き締めてきた腕の力強さは遊馬の非力を嘲笑うようでありながら、明らかな加護の意志を持って細い躯を束縛していた。凌牙の護るという言葉にこの上無い安心感と同時に奥底の知れぬ不安という相反する感情を抱きながら、遊馬はその抱擁を甘受する。
 いよいよ鼠色に染まり始めた空は遊馬の心を映し出すように薄鈍の地面に黒々とした沁みを穿ちながら、ぱたぱたと涙を零していた。



鳥 籠



2012.07.01


 

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