▼ 出会う 白色に統一された、病院特有の消毒液のような薬品の匂いがする病室。 染みや汚れ1つない、純白のシーツが引かれているベッドの上、俺はもう着慣れた淡い色の患者服を纏い、小説を読んでいた。 栞を挟み、ぱたんと音を立てて小説を閉じる。 もう俺が倒れてから何日、いや何ヶ月経ったのだろうか。 病室の中にいると、時間感覚が狂ってしまった。 する事が無くて、時間を潰せない。 ふと窓枠で四角に切り取られた澄み切った空を見た。 近くに桜でもあるのだろうか、ひらりと淡い桃色の花弁が雪のように降っていた。 「…俺は、何をしてるんだろうか」 こんな閉ざされた病室という世界で。 やりたいテニスも出来なくて。 ただただ時を待っているだけ、だなんて。 今の自分がとても弱く、とても滑稽で笑える。 「屋上にでも行こうかな」 気分転換と称し、ゆっくりと布団から足を出し、スリッパを履いた。 少しふらつくが、手すりを使えば歩ける。 木製の滑りの良い手すりを使い、一歩一歩慎重に歩きながら、俺は屋上を目指した。 ▽▽▽ がちゃりと錆びれた音を立て、屋上へと続く少し古びた扉を開けば、ふわりと少しだけ暖かくなった風が頬を撫でる。 屋上に人影は無く、否、俺の他に1人だけ。 屋上に設置されているベンチに深く腰掛けている女性。 いや、横顔しか伺えないが、年は俺とそう変わらないように見えるから、少女と記した方がいいだろうか。 彼女は真っ直ぐ前を見据えたまま、こちらを見る様子はない。 時折、彼女の長い髪が風で靡く。 バタン、と錆びれていたからだろうか、遅れて扉が閉まる音がした。 その音が聞こえたのか、彼女は俺の方を見た。 トクンと心臓が跳ねたような気がした。 硝子玉のような透き通った目が俺を見つめている、そう思うと、またトクンと心臓が跳ねた。 「…誰、ですか?」 彼女の凜としたソプラノの声が鼓膜を揺らした。 だが、それと同時に異変、いや違和感を感じた。 少女と目が合わないのだ。 もしかして、と思考に過ぎったその言葉が、いつの間にか声となって解き放たれていた。 「…目、見えないのかい?」 言葉にしてしまってから後悔した。 こんな見も知らぬ自分に、突然目が見えないのか?と聞かれ、困らないだろうか。 他人に知られたくない事かも知れないのに。 「良く分かりましたね、確かに今日は見えませんね」 “今日”と言う単語に眉を寄せた。 今日は見えないが、明日は見えるかも知れないと言う事なのだろうか、よく分からない。 「…突然すみませんでした、俺は幸村精市です」 名乗りもせずに突然話しかけてしまったので、非礼を詫びると共に自己紹介をした。 どうかしたんだろうか、名乗られてもいないのに、自分から名乗るなんて、と内心驚きを隠せない。 「私は宮本沙織です」 ふわりと笑った彼女、宮本さんがあまりにも儚く、とても綺麗だった。 「…あの」 俺が口を開いた瞬間、屋上の扉が開き、白いナース服を着こなした看護師が「あ、やっぱり此処にいた」と宮本さんを見て微笑んだ。 「佐々木さん、診察の時間ですか?」 「えぇ、そうよ…、あら?幸村君と一緒だったのね」 看護師(佐々木さんと言うらしい)は俺を見て、にこりと微笑んだ。 どこかで見たことあると思ったら、俺の世話を担当してくれている看護師だった。 「こんにちは」 「こんにちは…、さて、宮本さん、行きましょうか」 「はい」 宮本さんはゆっくりと立ち上がった。 佐々木さんが彼女の元に歩み寄り、手を握った。 「幸村君、長居しちゃ駄目よ?」 「あ、はい」 「では、また機会があれば」 宮本さんは最後に柔らかい声色でそう言って、佐々木さんと屋上から去っていった。 “また”会えるかな。 俺は緩んだ頬をそのままにし、ベンチに座って青い空を眺めた。 *2012/10/13 (修正)2015/12/22 |