不眠症の花びらたち
しとしとと降り注ぐ雨の音が、鼓膜を突き刺すように押し寄せてくる。もぞもぞと布団の中に潜り込んで、必死になって耳を押さえてみた。だけど、それは全く意味を為していないといわんばかりに無くならない音たちが、どんどん私の心を疲弊させていく。
__姉さんが、死んじゃう!
それと同時に思い浮かぶのは、無力だった自分と、神に縋り付くように泣く幼馴染の姿。最近、更に隈を酷くさせている彼だって、きっと今も眠れていないのだろう。
雨が降っていた、あの日。私と秀次は大事なものを沢山失った。自然とベッドサイドに置いて居るスマホへと手が伸びていく。ゴソゴソと手繰り寄せて掴んだそれをタップすると、眩しい光が瞳を刺激してきた。それは自然と涙へと変わり、頬を濡らしていく。そんなことお構いなしに、ただただ声が聞きたくて、目当ての連絡先をタップした。プルルルル……プルルルル……と着信音が、クリアに響く。それは、なんだか心地よく感じてしまった。
『……なんだ』
時刻は、深夜1時過ぎ。声から察するに、秀次も眠れていなかったのは一目瞭然だった。
「ごめんね、こんな時間に」
『別に怒ってない』
「うん…」
淡々と返ってくる言葉。だけど、それに優しさが込められていることを私は知っている。少し気難しいところがあって、生真面目すぎる上に融通が効かないところがあるけれど、秀次はいつだって優しいのだ。なんだかんだ、私の手を離したりしないから。
『眠れないのか』
断定した問いに、否定することなく頷いた。それは、秀次だって同じだろうに。ほら、こうやって私の身を案じてくれるのだ。
「ねえ、秀次……会いたいよ……」
情けなく漏れた言葉を最後に、プチンッと通話が切れる音がした。
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やってしまった。その罪悪感から、更に瞳から涙が零れ落ちて、シーツを濡らしていく。どれだけそうしていたかは、わからない。だけど、気がつけばそれらは乾いていて、瞼が真っ赤に腫れ上がって重たかった。泣きすぎたせいか頭がぼーっとする。最近、秀次に甘えすぎていたかもしれないと後悔した。私よりも、秀次の方が大変そうだったのに。
「ごめんねっ、ごめんねっ」
目の前にいない彼に向かって、情けなく漏れゆく謝罪は残念ながら当事者には伝わらない。誰もいない広いこの家で、ひとりぼっち。リビングまで降りても、他の部屋を覗いても。その光景は、4年半前と何1つ変わらないのに。私しか居ない。私だけが動いている。それを証明するかのような空間が、酷く気持ち悪くて、徐に玄関へと向かった。靴を履いて、扉を開けて、鍵を閉めて、それから__。辺り一面に、忌々しい雨が降り注いでいる。それは、どんどん私の身体を濡らして冷たくなっていった。
しかし、はっと息を飲んだ。急に、それが無くなって、視界が温かい何かに覆われる。その途端、大好きな匂いが鼻を掠めて、私を包み込んだ。ドキンドキン、と高鳴る鼓動がダイレクトに響いてくる。生きている。目の前で、私の大事なものが今日も生きている。唯一、私に残った希望の光。
「……何処行くつもりだ」
「……どこだろう」
「風邪引きたいのか、このバカが」
「お家にいるのが怖かったから」
「だから来たんだ」
「それなら、そう言って切ってよ。怒らせたかと思った…」
「悪かった」
ゆっくりと身体が離れた後、やさしく頭を撫でられる。そして、顔を覗き込まれた後、瞼に触れられた。申し訳なさそうな顔をした後、秀次は、私の欲しい言葉を続けてくれる。
「名前。次からは、泣く前に電話してくれ」
君の泣き顔なんて見たくないけれど、自分の知らないところで泣いているのは、もっと嫌だから。しとしとと降り注ぐ雨から守り会うように、2人で1つの傘の中に入って、来た道を戻りはじめた。
20210623