やさしい嘘なんていらない


あの日は確か雨が降っていた。新学期がはじまって1ヶ月も経ってない5月のことだ。ゴールデンウイークが終わって、また学校かと憂鬱になってたように思う。1時限目の後の休み時間、クラスメイトの友人と他愛もない会話を楽しんでいると、ボーダーで同期の犬飼澄晴に呼び出された。近々、自分の隊と犬飼の所属する二宮隊とで、防衛任務があるからその話だろうと悠長に思っていると、深刻そうな顔をした犬飼は、今は使っていない空き教室の前まで私の腕を引いた。そして、告げられた内容は想定外すぎて、開いた口がしばらく塞がらなかった。

「は?いきなり来て何言ってんの?」
「信じられないかもしれないけど、これは事実だよ」
「そういうことじゃなくて。私は、なんでそんな嘘を吐くのって聞いてんの」

私の親友で、犬飼が所属する二宮隊の一員である鳩原未来が、ボーダーを辞めたと。

「嘘じゃない。ほんとに辞めたよ」
「理由は?」

空き教室に、私と犬飼の声だけが響く。ザーザーと降り注ぐ雨の音が、酷く五月蠅く聞こえた。

「近界遠征、行けなくなったんだ」
「それは知ってる。それが理由だって言いたいの?」
「俺たちには隠してたみたいだけど、酷く絶望してたらしいよ。レイジさんが言ってた。」
「犬飼はそれを信じるんだ?」
「まあね」

ヘラヘラと胡散臭い笑顔で、意図も容易く答えた犬飼は、それ以上何も言わない。だが、長い付き合いの私には分かる。目の前にいる男が嘘を吐いているということくらい。犬飼の瞳に映る私の表情は、嫌悪に染まっていた。

「じゃあ、レイジさんは犬飼を騙すのが、とっても上手ね」
「そうだね」
「それを本気で信じてる犬飼は、馬鹿なんだね」
「そうだね」

軽々と皮肉を流していく姿に、フツフツと怒りが込み上げた。

「おかしいなー。私の知ってる犬飼は、もっと賢い人間だと思っていたけど」
「苗字ちゃんが俺を買い被りすぎなだけだよ」

とうとう我慢出来なくなって、バンッ、と思い切り近くにあった机を蹴る。ガラガラと転がった机は、綺麗に並べられていた他の机や椅子をなぎ倒していく。犬飼は、それに驚いた様子もなく。ただただ、いつも浮かべている笑顔を此方に向けるだけだった。それを見た途端、私の中で何かが壊れる音がした。

「犬飼が、そんなやつだとは思わなかった!」

空き教室に、私の声が木霊する。犬飼の表情は変わることはない。まるで、こうなることが分かっていたかのようだった。

「苗字ちゃ、」
「もう知らない!」

ふいっと、その日を境に自分の視界から犬飼の顔が消えた。







鳩原未来は、私をボーダーに誘ってくれた親友。私と未来は境遇が、とても似ていた。大事な存在を失ってしまったという点だ。ただ少し、違う点があるとすれば、未来の場合は希望の光があった。私も未来も4年半前のあの日、弟を失った。否、未来の場合は、"あっち"の世界に連れ去られたのだ。

「……どうして、何も言ってくれなかったの」

弟を連れ戻したいという感情は、遠征に行けなくなったくらいでなくなるわけがない。あの子なら、何が何でも行くまで諦めないと思っている。それぐらい一緒に居たし、それぐらい気持ちが分かるからだ。私だって、もし、弟が生きていたら同じ事をするだろう。だから、未来の目標は私の目標だった。だから、未来がいなくなってしまった今、私は生きる意味を失ったのだ。

「……苗字ちゃん、」
「来ないで、」

ザーザーと雨が、私の身体に降り注ぐ。立ち入り禁止の屋上に、こっそり来たというのに、なんでこの人には私の居場所がバレてしまうんだろうと恨めしく思った。誰も居ない場所で、犬飼とただ2人ぼっち。拒絶したのに距離をつめてくるこの人を視界に捉えたくない。4年半前のあの日と同じ、今日も雨が降っている。

「……ごめんって、苗字ちゃん」
「犬飼なんて知らない!あっち行って」
「泣くなら、俺の胸貸すからさー。ねえ、苗字ちゃん」

悲しげに呼ぶ名前。それを聞いた途端、少しだけ脳がクリアになった。……本当は、分かっている。犬飼が嘘を吐いてるのは、きっと、機密に関わるからだって。だけど、犬飼には嘘を吐いてほしくなかった。私の事情を知っている1人だったから。言えないなら、言えないって言って欲しかったのに。

「……犬飼は、なにもっわかってないよっ、」

情けなく漏れる嗚咽。顔を上げれば、雨と涙が一緒になって流れ落ちる。どちらがそれか分からないだろうに、まるで分かっているかのように、器用に手先で拭うのが狡い。いつも、飄々としてヘラヘラと笑っているくせに。こういうときだけ、真面目な顔をして、見たこともないような優しい顔で、壊れ物を扱うかのように私を包み込むのだ。

「ごめん、ごめんね」
「犬飼にだけは、嘘を吐いて欲しくなかったのに」
「……うん、ごめんね」

__名前、あの子もきっと戻って来てくれるわよ
__ボーダーに入るのか?

大人は、簡単に嘘を吐く。嘘を吐いて子供を守った気でいるのだ。その嘘に子供が気づいたとき、子供がどうするべきかと考えたりしないのだろうか。

__うん、私が連れ戻すから

見抜いている嘘に、気がつかないフリをして。全て分かっているのに、分からないフリをして嘘を重ねる辛さを、どうして、誰も分かってくれないの。

__名前。私と同じ目標を持ってくれてありがとう

「私が、嘘が大嫌いだって知ってるくせに!!都合の良い時だけ優しくしないでよっ!私、わたしっ、「名前、」」

犬飼の逞しい腕に引き寄せられて、スッポリと顔を埋めた。未来が呼んでいたように、私の名前を呼ぶ声。いつも、あの声に助けられていた。家に居場所がなく感じて、苦しくて泣く度に、そうやって名前を呼んで、私を守るように優しく包み込んでくれた。その親友が、どこにも居ない。ボーダーにも、学校にも。

「……どうしても言えないの」
「うん。ごめん」
「……どうせ機密になってるんでしょ」
「………」
「いつも、ちゃらんぽらんな癖に、こういうときは真面目なんだから」
「ははっ、酷い言い草だ」

ポンポン、と私の背中を撫でる手が、震えているような気がした。顔を上げれば、犬飼の瞳が赤く充血している。もしかして、と思った言葉を呑み込んだ。例え、指摘したところで、きっと真実を教えてくれない。そうすれば、もしかしたら、また嘘を吐かせてしまうのかもしれない。降り注ぐ雨が、私たちの体温を冷やしていく。

「ちゃんと、見つけるから」
「……え?」
「鳩原ちゃん。ちゃんと、オレが見つけるからさ」

ごめん、もうこれ以上は言えない。切なげに笑う犬飼の言葉に、それ以上は何も追求せず。ゆっくりと寄ってきた唇に、慰めの想いを込めて触れた。




20210621





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