いつか重なる3つの心音


手元にある妊娠検査薬を視界に入れて、大きなため息を吐いた。キレイにくっきり縦線の入ったそれは、私の心をぎゅっと掴んで締め付けてくる。世の女性は、これを見た瞬間喜びに満ちあふれるのだろうか。私のような例外もいるだろうか。何度瞼を擦っても変わらない。頬を抓ってもピリリと痛みだけが走る。夢なんかではない。

「……嘘でしょ」

自然と零れ落ちる雫がトイレの床を塗らした。汚物入れに検査薬を投げ捨てる。これからどうしようかと頭を抱えた。現代の医学では検査薬で陽性が出たのならば、ほぼ間違いはないと言われている。「最悪…」と呟いた途端に罪悪感が漏れ、自然と下腹部に両手が向かっていった。私は、セフレの子供を妊娠してしまったのだ。







書き置きに"さようなら"と記して、私自身に結界を張る。病院で貰った母子手帳を握りしめた後、実家に電話をかけた。

「…もしもし?しばらく連絡つかないと思うけど、生きてるから」

私の家系は、結界術に秀でた呪術師を多く輩出してきた家系だ。本気で逃げれば、誰にも見つかることはないだろう。長年住んできたこのマンションで、私と彼は何度も繋がった。勿論、避妊もしていたはずだ。なのに、なんでこんなことになってしまったのだろう。

『何?あんた、何かやらかしたの?』
「んー、まあ。心配しないで」
『……無理するんじゃないわよ』

母親のそんな声を聞いて、とりあえず曖昧に頷いておいた。プチンと電話を切った後、瞼の裏に焼き付けるように、段ボールが積み重なった部屋を眺める。本来ならば、きちんと別れを告げるのが筋だろうけど、生憎私たちは恋人ではない。それに、アイツのことだから、すぐに代わりの女を見つけるだろう。そう思うと、虚しくなった。深い息を吐いてマンションを後にする。そして、東京駅まで行き新幹線に乗り込んだ。

__ナマエさん

不意に聞こえてきた幻聴。彼に名前を呼ばれるのが苦手だった。呪術師の御三家である五条の家に生まれ、天才的な才能を持った彼の周りには、人が溢れていた。それは良い意味でも悪い意味でも。昔は、とても生意気だった。目上の者に対しても、実力が伴っていないと下に見ているような雰囲気を醸し出していたし、勿論、それには私にも該当する。だけど、とある出来事を境に人が変わったようになった。飄々とした態度で、物事の核心を上手く躱しているような様子をいつも見てきたのだ。

__ナマエさん、行かないで。
__クソうるせえ、パイセンだ。

私は、どちらの彼も嫌いになることはなかった。寧ろ、好意的に見ていた。なぜなら、幼い頃から好奇の目に晒されながら生きてきた彼の瞳が、いつだって美しかったからだ。汚い物や、人間の醜いところを隅々まで見たはずだろうに。それに触れたのにも関わらず、否、触れたからこそ美しくなったのかもしれない。

♪〜

発車を知らせるメロディーが鳴り響く。キレイな音色の筈なのに、どこか、気持ち悪く感じた。その途端、ポケットに入れていたスマホがブーブーと鳴る。画面に表示された名前を一瞥した後、電源をオフにした。

(思った以上に見つかるのが速かったな)

別に今日は特に何も約束していないのに。唐突に彼が家にやってくるときは、酷く弱っている時が多かった。もしかして、何かあったのだろうか。窓に映る自分と目が合うと、不安そうに瞳が揺れたのが分かった。それと同時に、新幹線が動き始める。もう、後戻りは出来ない。

__愛してるよ。

行為中の熱にあてられたかのように、顔が熱くなる。私は慌てて頭を振った。







岡山で列車に乗り換えて、はじめての土地に足を踏み入れた。なぜ、この地を選んだかと言うと、此処ならば、いくらあの最強と謳われる男でも検討がつかないだろうと思ったからだ。何も思い入れのないこの土地に、私が来るとは思わないだろうと。列車を降りて、まず鼻を掠めたのは潮の匂い。美しい海が、そこには広がっていた。タクシーを拾って、予約していたホテルの住所を伝える。まだ明るいのに、畑だらけの町並みには、人の姿が、あまり見られなかった。田舎独特の雰囲気がとても気持ちが良い。

「……頑張ろう」

ホテルに辿り着いてチェックインを済ませた後、直ぐにベッドに横になった。妊娠初期のせいか、身体がとても怠い。自分自身に結界をかけているせいもあるだろうけど、疲労困憊で今にも意識が吹っ飛びそうだ。

(ここまで来たから、大丈夫かな)

張っていた結界を緩めて、頭まで布団を被る。シーツから仄かに香る柔軟剤の香りに、嘔気が襲ってきた。不味い、と思って立ち上がりトイレに行こうとした途端、平衡感覚が狂ったように視界が回り始める。倒れる、と思ったところで温かい何かに包み込まれた。ビクリと身体を震わせた途端、呆れたため息が振ってくる。

「……酷いなー。僕を置いて1人で旅行?」
「な、んで…」

いくら何でも見つかるのが速すぎると思った。たった今、結界を緩めたばかりなのに。否、緩めたからこそ分かったのか。強度な結界は、それ相応の呪力を要する。盲点だった。

「大事な彼女が、"さようなら"なんて書き置きを残していなくなったら、探すでしょ?」
「かのじょ…?」

何を言っているのだ。私と貴方は、恋人なんて関係ではないはずだ。

「えー?付き合ってると思ってたの、僕だけ?」
「……え、悟、私のこと好きなの?」
「あんなに愛し合ってきた仲なのに、そんなこと言うなんて酷いな」
「う、そ…」
「ねえ、ナマエさん。どうして、こんなことしたの?」

労るように背中を撫でられる。顔を上げると、いつもは隠れている瞳が、今日は露わになっていた。それだけ本気で探してくれていたのかと思うと、一気に罪悪感が募る。それと同時に、彼から先程告げられた事実が頭を支配した。恋人だと思っていなかったのは、私だけだったなんて。

「……いつから?」
「ナマエさんのハジメテをもらった日から?」
「っ…」

当時のことを思い出して、高鳴る胸の鼓動を抑えられなくなる。悟の親友が呪詛師になって、荒れに荒れた彼の全てを受け入れてあげた日にはじめて繋がった。それから、ズルズルとした関係を築いていたと思っていた。

「ごめんね、悟」

聡い貴方ならば、もう全てが分かってしまっているのだろう。

「……嬉しかったんだよ、ナマエさん。だから、僕の傍に居て」

背中と膝裏に手が回ってきて、抱き上げられる。浮遊感が襲ってきた後、ゆっくりとベッドへと寝かされた。そして、悟の手が私のお腹へと触れる。

「いつ気づいたの?」
「トイレ入ったときに汚物入れ倒して、その時に」

投げ捨ててあった検査薬を見つけてしまったのだろう。

「ナマエさんの口から聞きたかったのに、いつまで待っても言ってくれないし?挙げ句、失踪しようとするし?あのね、色々考えてるんだろうけど、僕、最強だから」

誰にも文句は言わせない。熱帯びた瞳に捕らわれた後、抱きしめられる。とくんとくん…と同じリズムを刻む心音が、もう1つ増える時には、笑顔溢れる世界を創りたいと思った。





20210131





よだ様へ。この度はリクエストありがとうございました。当サイトの作品も読んでいただいているようで嬉しく思っております。まだまだ未熟なので拙い文も多いでしょうが、やさしいメッセージがとても嬉しくて何度も読み返してしまいます。本当にありがとうございます。寒い日々が続きますし、今のご時世、感染症など怖いので、よだ様の方もお体にお気を付けください。

今回のリクエストを機に、初五条さんを書かせていただきました。妊娠のお話は、自分が未経験なことなのでプロットを練るのに、こんなに時間をかけてしまいました。すみません!大変お待たせ致しました!!切甘ということでしたが、ご要望にきちんと添えているでしょうか。ちょっぴり不安です…。楽しんでいただけたら幸いです。この度は本当にありがとうございました。







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