我が愛を喰らえ


__仕事疲れた、仕事なんて辞めてやる!!

治のお店に着いた途端、そう叫んで、お酒と大好きなおにぎりを頼みまくり、暴飲暴食をした後、ふて寝した。なんて迷惑な客だ。自分でもそう思う。だけど、文句1つ言わずに仕事に励む姿は流石だなと思った。

「うう…」

少し感じた寝苦しさに寝返りを打った。その途端、お腹に布が絡み込んでくる。微かな違和感に、うっすらと目を開けて確認してみると、紺色のパーカーだった。抱きしめるように、それを抱え込むと、大好きな匂いが広がってくる。治の匂い。やさしくてあたたかくて、落ち着く。眠ってしまった私にかけてくれたのか。ぎゅうん…と愛しさが増した。その途端、なんとも言えない寂しさが襲ってきて、ゆっくりと身体を起こす。トントントントン…とリズム良く食材を切る音がする方へと、歩を進めた。それが、だんだん近くなってくると、ようやく大好きな背中が見えてくる。昔から大きくて逞しい背中。よく飛びついてしまっては、危ないやろって怒られていたっけ。もう良い年なので、ゆっくりと近づいていくと、

「起きたんか」

こちらに目も向けずに、問われた。物音1つ立てずに近づいたつもりなのに、どうしてバレてしまったのだろう。もしかして、治の背中には目でも着いているんだろうか。なんて、バカなことを思う。その問いには答えずに、ゆっくりと治のお腹の方へ腕を回した。そして、懐かしい台詞が私に降りかかる。

「ちょお、危ないやろ」

治の手には、包丁が握られている。そんなことは知っている。だけど、どうしようもなく、その背に縋り付きたくなってしまったのだ。だから知らない。そのまま、グリグリと背中を押しつけてやる。

「ふは、ちょお待ってな。構ったるから」
「……どれくらい?」
「仕込み終わったらな」

そう言われて、店内がとても静かだったことに気がついた。私が治の所へと向かうまで、数歩の間。お客さんが全くいなかった。そんなことに気がつかないくらい、私は疲れてしまっているらしい。無言で、また頭をグリグリと押しつける。早く早く、そんな想いを込めて。なんだか楽しくなってきてしまって、自然とお尻までフリフリと揺れる始末だ。治の背中に縋り付きながら、ダンスを踊っているかのよう。お客さんがいない時間帯で本当に良かったと思う。もし、誰かいたら、こんな姿見せられないから。

「なんや、えらい甘えたやな」
「……治不足」
「なんやそれ。……お疲れなんやなあ」

クツクツと笑う声が。労るように降ってくる優しい言葉が。疲れた心を癒やしていく。

「仕事しんどい。ご飯いらん」
「さっき、ぎょうさん食ったやつが言うことか?」

治の作る物は別だ。お菓子は別腹とよく言うけれど、私にとって、治の料理はそんな感じに近い。だから、治の作る料理がこの世から無くなってしまったら、途端に私は廃人と化すだろう。

「うるさい。治のご飯は別。もう、治のご飯しかいらんもん…」

ピクリ、と背中が揺れた。そして、途端に無言になる治。不思議に思って名前を呼んでみると、急にくるり、と振り返った。そして、真正面から抱きしめられる。

「あれ…仕込みはいいの?」
「……おん」

ふんわりと身体が浮いて、空いてあったキッチンのスペースに座らせられる。久しぶりに見下ろす治の顔が、とても柔らかくて泣きそうになった。そんな私の両頬を、温かな手が包み込む。ゆっくりと近づいてきた額が、私の額に触れた。コツン、小さな音をたてて静寂な空間を切り裂くように主張する。

「……あかんで。そういうとこ」
「え、怒ってるの?私、なにかした?」
「そういうこととちゃう」

よく見ると、治は耳まで真っ赤になっていた。それをしたのが自分だと言うことは理解出来たけれど、一体何が原因でそうなったかが分からない。こてり、と首を傾げると、盛大に溜息を吐かれる。

「名前。今日は、はよ休み」

頬に伸びていた手が、ゆっくりと頭と背中へと移動していく。ポンポンとやさしく撫でられた後、ちょっぴり強引に引き寄せられた。唇と唇が触れ合って、じんわりと熱を帯びていくのが心地よい。冷たい日常に温かい熱を送り込んでくれる存在に感謝をしながら、再び瞼を落とすと、大好きな香りが全身を包み込んでくる。送られてくる甘い蜜があるから、私の日常は決して闇へと溶けたりしないのだ。




20210621


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