白い項と細い喉頸


白衣に身を包んだ白布先生が、気怠そうに乱雑にそれを脱ぎ捨てた。私は苦笑を漏らしながら、放り捨てられた白衣を手に取り、丁寧に畳んで休憩室にあるデスクの椅子に立てかけてあげる。そうすれば、青のスクラブ姿だけになった白布先生が、眉間に深い皺を刻み込んで見つめてくる。その眼光の鋭さは、きっと小児の患者が目の前にいたら泣かせてしまうだろう。この場に私しかいなくて本当によかった。

「どうしたの?」

ソファに腰掛けてテレビを見ていた私を、ずっと見つめてくるので埒が開かずに問うと、首を上下に動かして「…ん」と言うだけだ。だけど、視線はソファの端を向いていて、横にずれろと言うことだと安易に想像できたので、再び苦笑を漏らしながら、白布先生が座れるだけのスペースを開けてあげる。

「…もっと奥行けよ」
「えぇ…」
「あ?文句あんのか?」
「ないけど、何そんな怒ってるの?」
「……別に、怒ってねえし」

いやいや、怒ってるじゃん。寸前のところで言葉を飲み込んだ。仕方なしにギリギリまで奥にずれてやると、満足そうに腰を下ろした白布先生は、そのまま私の方へと倒れ込んできて、頭を私の太ももへと乗せた。流石に「ちょっと、ここ職場」だと文句を言ってやるけれど、目を瞑ってしまった彼は聞く耳を持とうともしない。深いため息が漏れた。

「なに、どうしたの」
「うるせえ」
「ええ…」
「黙って座ってろ」
「はいはい。もー」

さらりとした前髪を手に取って撫でてやると、突然目を見開いた白布先生が「触んな」と呟く。丁寧に払いのけられたそれを不快に思うことはなく、むしろ愛しさまで湧いてくるのは重症かもしれないなあ、なんて呑気なことを思った。それにしても、想像以上に機嫌が悪そうだ。そんな白布先生は、いつの間にか目を開けていたようで、私の首元を見つめている。そこはネックオーマーで覆われている。そこで、もしかして、と思った。

__苗字先生は、どうして夏なのにマフラーしてるの?

研修医時代に事故に遭い、生命の淵を彷徨った経験のある私は、首元に気管切開の痕が残っている。普段はそこを隠しているのだけど、今日外来で診た子供に指摘されたのだ。

「私は大丈夫だよ」
「何も言ってねえけど」
「言いたいことがわかったから」

たまに傷痕のない身体を持つ人たちを羨ましいなと思うことがある。けれど、これがなければ私はこの世にはいないから。ちなみに、この痕をつくったのは、ただの同僚時代だった目の前のこの人だったりする。ドクターが全然捕まらなくて、唯一執刀できるのが白布先生だけだったらしい。つまり私は、白布先生が初めて緊急オペで救った患者で、私にとって白布先生は命の恩人なのだ。

「……なんか、ムカつく」
「えぇ」

そう言って首元に触れる。擽ったくて身を捩ると、グリグリとつねられた。「痛い」と抗議してやるけれど、効果なし。仕方なしに、私も同じように白布先生の首元に触れる。彼は別に首は弱くないので、どこ吹く風だ。そのことが少し癪に触ったので、そこへ唇を近づけて、強引に触れてやる。ちゅ、と立てられた音は、この場には不相応なものだ。なんだか、少しいけないことをしているような気がする。私と違って傷1つないキレイな首筋。日にあまり当たってないせいか、私よりも肌の色が白くて美しく感じた。

「なあ、名前。はやく冬になればいいな」
「……それは、」

コンシーラーとファンデーションを使えば、目立たなくなってきた傷跡。隠してしまっている分際で、こんなこと言えないけど、毎回それを塗るときに口角が上がってしまうのだ。鏡に映るそれをみながら、優しく隠していく作業。これは、私が白布先生に救って貰った証だと思うと隠すのがもったいなく感じる時だってあるほどだ。

「なんだよ」
「ううん、なんでもない」
「あ?言え」
「……あのね、気にしてくれてありがとうって思うんだけど、私はこの痕気にしてないから」

どちらかと言うと、この痕を見る度に眉を下げた白布先生の方が気になっていた。徐に身体を起した白布先生が、私の真正面に立って、背中に両腕を回してくる。額と額をくっつけ合うと、なんだか気恥ずかしくなってクスクスと笑ってしまった。目の前にある喉仏が、不満そうに揺れる。美しいそれに見惚れていると唇が近づいてきて、そっと、触れた。

「ねえ、ここ職場」
「誰も来ねえよ」
「そういう問題じゃないんだけど」
「あ?先にやってきた奴が何言ってんだ」
「ちょ、」

ちゅ、ちゅと甘い音を立てながら、やさしく労るように唇が肌に降ってくる。冷淡に思われがちだけど、誰よりも患者のことを考えて、胸に熱い物を秘めている白布先生のことを、研修医時代から尊敬しているのは私だけの秘密だ。すぐにカッとなってしまうせいで、ナースに敬遠されがちなのは偶にキズだけど、その全てが患者がこれから歩く人生のことを想ってるからだということを知っている人間は、どれだけいるのだろうか。そのことに、なんとも言えないもどかしさがある。やがて、痕の上に白布先生の唇が触れた。それから数秒見つめ合う。職場で、こんなことをしている後ろめたさからか、いつも以上に鼓動が早くなっている気がした。

「はっ、なんて顔してんだよ」
「え?」
「心配しなくても、これ以上はしねえよ」

そう言われた途端、一気に頬が火照る。そんな私のが移ってしまったのか、珍しく白布先生も頬を赤らめていた。その姿に、フツフツと沸き起こる感情を沈めるように、強引に首筋に口づけを落とす。何度かそれを繰り返して、唾液で少しだけ湿ったそこを見てほくそ笑んだ。

「私、主治医が白布先生で良かったよ」
「阿呆なこと言ってんなよ」

その途端、PHSが鳴り響く。ガシガシと乱雑に頭を掻いた後、立ち上がった白布先生は、キレイに立てかけた白衣を靡かせて羽織った。そして、精悍とした顔つきになった白布先生の瞳には、もう私は映っていないだろう。でも、

「おい、行くぞ"苗字先生"?」

その隣に並べることを光栄に思う。私たちは、今日も。1つの命に何度も向き合うのだ。


20210613

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