しあわせを嘆くな


(※社会人設定、白布は宮城の医大に進学したことになってる)

大学を卒業して社会人となって3年目。徐々に仕事にも慣れてきて、友人の何人かは結婚したり子供が生まれたりしている時期のことだった。もちろん、私も"それ"を意識していたし、相手もいる。 

「ねー、名前は瀬見といつ結婚するの?」
「………」
「名前?」

キラリと薬指に指輪をつけて、ニコニコと幸せそうに笑う友人が、とても恨めしかった。彼女と会う約束をした数週間前は、こんな気持ちで彼女と会うなんて予想していなかったのに。

「……別れようと思うんだよね」

その言葉に、当然のように友人は目を見開いた。







結局、友人にはその理由を告げることができなかった。別れようと思う理由を告げるのが嫌だった。それを告げてしまえば、現実を受け入れないといけない気がしたから。

「……受付番号27番の方ー。待合室へどうぞ」

名前を呼ばれて待合室に入る。一瞬、頭に過ぎったのは恋人の顔。なんで、こんな時に思い出すのだろうか。胸元が熱くなって、苦しくなる。私の恋人である瀬見英太は、一言で表すならば私服以外は完璧な人間だ。イケメンだし性格も良いから人望も厚い。当然女性にもモテるけれど、一途な人。浮気なんて絶対しない人だと思う。というか、もし浮気したら秒でバレるタイプだと思う。

付き合って、もう7年になる。周りからは、結婚しないの?って何度も言われてきた。

「次の方、どうぞ」

診察室の扉が開いて中に入ると、先週お会いした先生が待っていた。

「ご家族には、話されましたか?」
「……はい」
「手術は早いうちにした方が良いと思います。来週には、検査入院をしていただいて、それから日程を決めましょう。お仕事の方は大丈夫ですか?」
「会社には言ってあります。大丈夫です。よろしくお願いします」
「それから、こちらをどうぞ」

術後の予後によっては、子供が産めなくなる可能性がある。先日話して貰った内容と同じようなことが、手渡された資料に書いてあった。ぐしゃり、と思わず握りしめる。主治医になる先生は、それを一瞥した後、何かを告げようとして口を閉じた。気休め程度の言葉なんていらない。子供が産めなくなる可能性もあれば、そうじゃない可能性もある。後者のことを伝えたかったのだろう。

診察室を出て、会計を待っている間にスマホを開いた。直接言う自信がなくて、ラインを開く。お目当ての人物は、トーク履歴の1番上にいた。

[英太、別れよう]

それだけ文字にして、迷うことなく送信して深いため息を吐く。天井を見上げれば、病院特有の風景が広がっていた。漂う薬剤の香りが、私の気分を更にどん底へと落としていく。

「……苗字さん?」

聞き慣れた声に名を呼ばれた。驚いて振り向くと、高校時代の後輩が訝しげに私を見つめている。

「やっぱり、苗字さんだった。お疲れ様です」
「白布…」

白布賢二郎。私は高校時代に男子バレーボール部のマネージャーをしていて、その時の部員だ。1年後輩の彼とも、それなりに交流はある。そもそも、卒業後も、うちの部のメンバーたちは仲が良く、年に何回かは飲み会があるので、その時に顔を合わせることも多い。

「……なんで白布が此処に?」
「実習です。来年からは職場になる予定ですけど」
「……まじか」
「何か不都合でも?」
「いいえ」

私の様子を見て、少し気分を害したらしい。そして、視線を落とされる。その目線の先には、主治医の先生にいただいた病状を記された資料がある。私は慌ててそれを鞄に押し込んだけれど、時既に遅し。

「……瀬見さんは、知ってるんですか」

1番聞かれたくない問いをピンポイントで告げられた。もう逃げられない。

「知らないよ。私たち別れたから」
「は?」

ほんの数分前に、私がそう告げた。彼は多分、それを読んだら受け入れる。そして、私たちの関係は終わるのだ。

「本気で言ってるんですか?」
「……うん」
「先月の飲み会で、あんなにイチャついておいて?」
「………」
「あまりにも不憫だろ」

怒気を隠すことなく、振ってきた冷たい言葉。敬語も外れてしまっていて苦笑してしまった。その時、ピロンとスマホが振動する。相手は恐らく英太だ。画面に触れて文字だけに目を通した。既読をつけなくても読めたメッセージに目を見開く。それは、目の前にいた白布にも見えたようで、深いため息を吐かれた。

「きちんと話し合った方が良いと思いますけど」
「………」
「聞いてます?」
「……、」
「苗字さん」
「!は、はい」
「高校時代から思ってましたけど、そうやって何でも自分1人で解決するところは、貴女の悪い所だと思います」

ぐうの音も出ない正論に閉口した。相変わらず、この後輩は痛いところを突いてくる。それでいて言ってることは正しいし、変に慰めもくれない。

「苗字さんが思っているよりも、瀬見さんは強い人だと思いますけど」
「……それは、」
「分かってるんでしょう。巻き込まれるのは嫌なので、さっさと話し合ってください。今日見たことは、全て忘れますから」

では、と頭を下げて去って行く後輩の後ろ姿を眺めながら、再び視線を落とした。

[嫌なんだけど、俺なんかしたか?]
[なんかしたなら謝る]
[近いうちに会えねぇ?]







結局、何も話せないまま検査入院をして、そのまま治療に入ることになった。まず、放射線治療を行い、その後手術になるという。手術を2週間後に控えたある日、コンコンと病室がノックされた。時刻は16時を過ぎたところだった。お見舞いに来ていた家族が何か忘れ物をしたのだろうか?と首を傾げ、戸惑いつつも入室を促すと、かなり不機嫌な顔をした白布が病室の中に入ってきた。

「……巻き込まれるのは嫌だと、俺、言いましたよね?」

開口1番の言葉から、何を言われるのかが安易に予想がつく。もしかして、と顔を青くしているとため息が降ってきた。

「こっちは、守秘義務があって、何も言えないんですけど?」
「あ……、そっか」
「そっか、じゃないんですけど。瀬見さん、バレー部の奴らに苗字さんと連絡が取れないって連絡しまくってますよ」
「………」
「苗字さん、グループラインの方も見てないでしょう。唯一既読がついてないのアンタですよね?」

通知オフにしていた白鳥沢OBのグループライン。メッセージのやりとりの量は3桁に及んでいる。そして、英太からの個別メッセージはもちろんだけど、天童や牛島、大平たちからの個別のメッセージにも返信していない。最近では川西や五色からのメッセージもある。

「瀬見さんはともかく、牛島さんに嘘吐きたくないんですけど」
「……相変わらずだね」
「そう思うなら、なんとかしてもらえます?」
「………」
「苗字さん」

ぎゅっと、シーツを握りしめる。白布の顔を見ることが出来なくて俯いた。

「はあ……そっちがその気なら、俺にも考えがあります」

パパッとスマホを触り、何かを打ち込んだ白布。そして、そのままスマホを差し出された。打たれたメッセージは、白布が超えれるギリギリのラインの内容だ。下手すれば引っかかってしまう。

[苗字さんのことなら知っていますが、守秘義務があるので、俺からは何も言えません]

そのメッセージには、すぐに既読がついた。

「、!しらぶ!」
「……巻き込まれるのは嫌なので、此処まで来たら、なんとかしてください」

白布の通っている大学の実習先を調べれば、私の居場所なんて一発で分かるだろう。それこそ、頭の良い英太や勘の鋭い天童辺りなら、それは最早時間の問題だと思われる。ヴーヴーとスマホの振動音が病室内に響いた。病院ということもあって、マナーモードにしていたのだろう。震えているのは私のではなく白布のスマホだ。私が静止しようとするのを遮って、白布は迷うことなく応答する。

「……はい」
『白布!アレはどういうことだよ』
「どういうことも何も、そのままですけど」
『何か知ってるんだよな?』
「瀬見さんって苗字さんがいないと文字も読めなくなるんですか。守秘義務があるので言えません」
『ほんっとに、かァいくねえなお前!』

ご丁寧にもスピーカーにしているようで、英太の声が私の耳まで響いてくる。やめてくれ、と睨み付けるけれど、それを華麗にスルーする後輩が憎たらしい。

「……で?」
『で?って、彼奴どっか悪いのか?』
「守秘義務です」
『お前、何処にいるのか知ってんだな?』
「知っていますね」
『教えてくれ』
「それは、守秘義務に引っかかります」

その言葉を最後に沈黙が流れた。普段ならば、白布は切って良いですか?と言うだろうけれど、今は黙ったままだ。何を考えているのか分からない光景に、私は見つめるだけしか出来ない。

『お前って、今、実習中だったな?』
「そうですね」
『今、何処に実習に行ってるんだ?お前の"実習先を聞く"のは、守秘義務には引っかからねえだろ』
「ちょ!」
「……青葉南病院です」

白布の持っているスマホに手を伸ばすけれど、かわされる。そして、小さく上げた悲鳴は、電話先の英太にバッチリと聞こえてしまったようだ。

『お前、名前と一緒にいんの?』
「……今、実習で色々な科を回ってるんですよ。……瀬見さん、俺からは、これ以上はもう言えません」
『わーったよ。助かった』
「はい」
『あ、白布』
「……なんですか?」
『んな不機嫌そうに言うなよ。もし、実習で名前に会ったら伝えてくれ。俺は離すつもりはねーし、お前のこと守るから』

気づけば、目から涙がこぼれ落ちていた。めんどくさそうに、それを拭うのは目の前の後輩で。深いため息を吐きながら、瀬見さんじゃなくてすみませんと言われる。巻き込まれたくないと言っていた癖に、相変わらずこういうところは優しい。出来た後輩とは、このことだ。ここまで背中を押されてしまっては、

「……青葉南病院の502号室、です。ごめん、英太」

そう告げるので精一杯だった。電話先の英太にはきちんと聞こえたらしい。

『名前、』
「俺では不満みたいです。この泣き虫な先輩をなんとかしてください。では」
『ちょ、おい!しらぶ、』

ブツリ、と電話の切れる音がした。英太の返事も聞かずに、白布は電話を切ってしまったようだ。眉間に皺を寄せて不満そうな顔をしていた後輩の顔は、いつの間にか普段の無表情に変わっていた。

「もう大丈夫ですか」
「うん、結局巻き込んでごめんね」
「世話が焼ける先輩たちですね」

お見舞いの花には不釣り合いなバラの花を抱えた英太がやってくるまで、後1時間。






20210102



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