ふ、しあわせ。
早朝の新幹線に乗って、東京まで戻る。旅館で大方みんなへのお土産もきちんと買ったので、誰も文句言わないはずだ。というか、文句なんて言う人いないとは思うけど。学校に着いたのは、丁度昼休みだった。
「ただいまー」
「おう、お疲れ!」
「はいコレ、お土産です」
「ありがとうな、梓」
「ツナマヨ」
食堂へ足を運ぶと2年生が揃っていたので、お土産の品であるチーズケーキを真希ちゃんに手渡す。食事の後にみんなで切り分けて食べることになった。
「身体は平気なのか?」
パンダくんから気遣うように聞かれた問いに頷く。
「うん、だいぶ良いよ。1週間も眠ってたから身体が鈍ってるくらい。真希ちゃん、後でロードワーク付き合って」
「仕方ねぇな。梓、体力ないもんな」
「後、体術もだな」
「パンダくん…追い討ちかけないで」
「事実じゃねぇか」
「しゃけしゃけー」
「…狗巻くんも!」
ドンマイ、と言うように狗巻君に肩を叩かれて項垂れる。それから他愛もない話で盛り上がって、お土産のケーキを切り分けて頬張る。みんな嬉しそうにしてくれてて、ああ、幸せだな…なんて思っていると、その輪の中に五条先生がやってきた。
「なになにー?梓、僕の分は?」
「大阪まで来てた人が何言ってるんですか…」
「それは、梓が寝込んだせいでしょう」
「不可抗力です」
「相変わらず、僕には冷たいんだから。で、梓。盛り上がってるところ悪いけど、お呼びだ」
一瞬にして、空気がピリッとなる。
「また、君の"耳"が必要みたいだ。今度は新宿の劇場」
また低級のカメレオンの呪いとかじゃないだろうなと目で訴える。口に出さなかったのは、私は一応"任務"で怪我をして意識不明だったと言うことになってるからだ。こう言う時に、一般の呪術師よりも呪力感知が得意なのは厄介だなぁと思う。それもこれも、出自が関係しているのではないかと思っているけれど、繁忙期真っ只中なので、それを調べる余裕がない。毎年2.3年恒例の京都校との交流が終われば、独自で調べてみるか…その時に加茂先輩に会うだろうから少し話してから考えてみるか…。
「……梓?」
「!、すみません、行きます行きます」
物思いに耽っていると、訝しげに名を呼ばれるので慌てて立ち上がった。五条先生と並んで食堂を出ようとしたところで、狗巻くんに腕を掴まれる。
「おかか」
「…?大丈夫だよ」
「おかか」
「確かに疲れてはいるけど、この時期はいつもだし…慣れてるよ…」
「おかか」
「ふふっ…狗巻くんさっきから、おかかばっかり…」
「こんぶ、めんたいこ」
__俺が代わりに行く。
「ちょっ、なんでそうなるの!!?」
「おかか」
「ほおー、お熱いねお2人さん。なら棘も一緒に来る?」
「しゃけ」
ピースをして笑う狗巻くんに、これ以上何も言い返せなかった。
▼
仕方なしに狗巻くんも一緒に目的地までたどり着く。
「こんぶ」
「来るなって…?大丈夫だってば…」
「おかか、すじこ」
__大丈夫に見えない、顔色が悪い。
「もう、狗巻くん!」
走っていく狗巻くんを追いかける。狗巻くんは足が速いので置いていかれそうだ。というか彼もそれを狙ってるんだと思う。帳の中に入って終えば、同じなのに。でも、いくら狗巻くんが同じ準1級だとしても、これは"私"に割り振られた任務なのだ。困ったような顔をした補助監督さんに帳をもう下ろしてくれとお願いして、足を速める。
「おねがいっ…まって、いぬまきく…」
ヒュッと喉元がなる。先を行ってしまう姿が、"あの日"と重なった。
「まって、あの日って、なに、」
断片的な記憶が1つ、つながるような感覚がした。視界が紅に染まって、身体が震える。
「いやああああああ」
「!」
絶叫を上げた私に驚いたのか、先を行っていた狗巻くんが私の方へと戻ってきた。ゼーゼーと喘鳴を繰り返す私の背を優しくさすってくれる。
「ごめっ、なさ…」
「おかか、ツナマヨ」
__気にしないで、薬は?
「…っ、」
胸元を自分で探って、震える手で薬を取り出す。手に力が入らなくて、中身が上手に出せないでいると、その様子を見た狗巻くんは、私の両手を優しく包み込んで、薬を手に取った。パチッと音が聞こえたかと思えば、錠剤が意図も容易く取り出されていて、口に放り込まれる。手元に水がない状態だったので、唾液でなんとか飲み込んだ。
「…ツナマヨ」
__ごめんね、と狗巻くんに謝られる。私は、フルフルと首を横に振った。
「…ひとりで、やろうとしないでよ」
「ツナマヨ」
「わたし、信用ないの?」
「おかか!」
弱気な発言ばかりが出てきて、嫌になってくる。
「…いくら、しらす」
「また、しらす…」
「ツ、ツナマヨ」
「…そして、ツナマヨで置き換えるの?」
その時、キーン、と耳鳴りが響く。その音がだんだん大きくなって、私は両耳を両手で抑えた。明らかに呪いの音。
「いたっ、」
それも、普段感じるものよりも大きい。そしてその音はあまりにも不快すぎる。黒板を爪で引っ掻いたような、あの音が、波のように押し寄せてくる。
「や、やだっ…」
生理的な涙が地面に落ちた。その瞬間、耳を塞いでいた両手の上に狗巻くんの手が重なる。はっとなって顔を上げると、力強い眼差しで、狗巻くんは、私のことを見つめていた。狗巻くんが耳を塞いでくれた途端、彼の体を流れる血液の音が聞こえてくる。ドクンドクンと波打つ音が、不快な音をかき消していく。
「ツナマヨ」
__大丈夫
ゆっくりと深呼吸を繰り返した。ようやく落ち着いてきたところで、耳を塞いでくれている狗巻くんの両手に触れる。そして、ゆっくりとそれを降ろしてもらった。再び訪れる不快な音の波に耐えながら、気配を探っていく。京都の呪霊とは別物だ。多分、超音波を放ってるんだと思う。見た感じ狗巻くんには聞こえてないようにも見える。
「狗巻くん、何か音聞こえる?」
「おかか」
「聞こえないか…なんでだろ」
モスキート音のような類いだろうか。
「!狗巻くん、うしろ!旋律呪法、第3楽章、」
その時、狗巻くんの背後に呪霊が迫っているのが見えた。
♪〜
ドレミファソラシド、ドシラソファミレド
ハーモニカに手を伸ばして、一息で奏でる。
『潰れろ』
ドガン、と大きな音を立てて、呪霊が潰れる。その瞬間、不快な音も消滅した。へたり、と座り込んだ私に狗巻くんが手を差し伸べてくれる。
「ありがとう」
その手を取って立ち上がり、2人並んで帳が降りた場所まで戻ると帳は既に上がっていた。つまり、任務完了だ。
「2級相当かな…これ私の"耳"相性最悪だったんじゃ…」
絶対に上からの嫌がらせに違いない、とため息を吐いた。補助監督さんに任務終了の連絡を済ませると、今回の任務は特殊だったらしく、帳の外で待っていなかったようで、迎えにくるには時間がかかるという。待ってるよりも電車で帰る方が早そうだ。そのことを狗巻くんに伝えると2つ返事で了承してくれた。
「大丈夫です。私たちは電車で帰りますので、そちらもあまり無理しないでくださいね。では」
▼
電車に乗り込む前にコンビニに寄って、ケホケホと乾いた咳を繰り返す狗巻くんに、のど飴を買ってあげた。そして、それを手渡す。
「ツナマヨ」
「ありがとうは、私のセリフだよ…多分、狗巻くんがいなかったら、私死んでた…」
「おかか!こんぶ!!」
__縁起でもないこと言うな
駅のホームで電車を待ちながら他愛もない話をする。
「そう、だね。ごめん…」
「…こんぶ?」
「身体は大丈夫だよ。ありがとう」
「しゃけしゃけ」
ポンポンと優しく頭を撫でられた。電車に乗り込むと、退勤ラッシュは落ち着いてるとは言え、座れるほどの余裕はないようだ。かなり疲弊してるであろう狗巻くんに少しでも休んで欲しかったのにな、と肩を落とす。でも、もし、座れるところがあれば、狗巻くんは私を座らせようとしそうだなとも思った。狗巻くんは真摯で優しいから。1年生に女の子が入ったと聞くし、きっと彼女にも優しくてカッコいい良き先輩となるだろう…なんて考えると胸がモヤモヤした。なんだろう、これ。
「わっ、」
そんなことを考えていたせいか、急にガタンと電車が揺れたのに対応できず、バランスを崩してしまう。そんな私の腕を掴んでくれたのは、もちろん狗巻くんで。その腕を見た途端、任務中に耳塞がれたことを思い出してしまい、なんだか恥ずかしくなる。
「…ツナ、高菜?」
__俺の腕掴んでていいよ
つり革に捕まっていない方の手を差し出される。
「私…そんな背、低くないよ」
つり革余裕で届きます、なんて可愛げのない返しをしてしまう。
「……めんたいこ」
__転びそうになってた癖に。
むっとした顔をした狗巻くんに、痛いところをつかれた。
「今のは考え事してたせいだもん」
「いくら?」
「なにをって…女の子は色々あるの…!」
「ツナマヨ」
「教えない」
「おかか」
「教えないったら!…わっ、」
そして、また腕を掴まれる羽目になる。そんな私を見た狗巻くんは、まるで面白い玩具を見つけたと言わんばかりにクスクス笑っていた。
「もう!狗巻くん!!」
「シーッ、い・く・ら?」
__車内ではお静かに。
「…誰のせいだと思ってっ!」
「ツナツナ、いくら明太子?」
__まあまあ。怒っても怖くないよ?
「〜っ!?」
その後、私が勝手に拗ねて、帰るまで口を効かなかったせいか、若干狗巻くんは不機嫌そうだった。それに気づいてないフリをしたけれど、狗巻くんは多分それにも気づいてて、私をからかって楽しんでるんだろう。悪ノリが好きなのも大概にしてほしい。
20201116