彼岸花が咲く頃に






※和っぽい感じなお題
※第三者視点ペンキャス+ロー
※江戸時代くらいのパロ








重たい籠を持って縁側から庭先に下りれば、雲ひとつないほど、澄み渡った青空が出迎えてくれた。
今日は忙しいと同じ使用人仲間が話していた。
私も洗ったばかりの長襦袢を干して、それから次の仕事に戻らなければならない。
そう分かっていても、あまりにも綺麗な初夏の日差しに少しのんびりしたい気持ちがあって、不自然ではない程度にゆっくり丁寧にしようと、私は歌でも歌いたい気持ちで洗濯物を手に取った。

籠の中の洗濯物の、最後の一枚を手にした時。
ふと、洗濯物の皺をのばしていた手を止めて、私は洗濯物の陰から庭先に視線を巡らせた。
今年も鮮やかに咲いた菖蒲の庭園の、その奥に人影を見たような気がしたのだ。



一面に菖蒲が植えられた庭園の奥深くに、何があるのか私は知らない。
そこに立ち入れるのは、雇われの庭師を除けば、この店の若旦那様か、今この屋敷で療養中の将軍家の若君様だけだ。



一介の使用人風情が気にしていい領域ではないのは分かっている。
それでもなんとなく気になって、手にした長襦袢を手早く干し終えて、私はその庭園へと足を向けた。






私が若旦那様の屋敷に勤めだして、二度目の夏が巡ってこようとしていた。












屋敷はこの界隈では一二を争う薬師問屋だ。
人相は多少悪いが、腕は確かな若旦那様が、診療も兼ねてこの店を取り仕切っている。


藍色の羽織は若旦那様のお気に入りだ。
珍しい赤い髪の、これまた人相が悪いが腕は確かな仕立て屋からの贈り物だそうで、若旦那さまは仕事中いつもそれを好んで身につけていた。



でも、私が見た後ろ姿がきていたのは薄い水色の羽織だった。




この店で、それを身につけているのは今のところ一人しかいない。
数年前から体調を悪くなされてこの店で療養されているという、将軍家の若君様だ。
天と地ほどの身分の差のせいか、私は若君様の顔も拝見したことはない。
下っ端の私と、雲の上の人の若君様の間には接点などありはしないのだ。

追いかけて行ってどうすると言うのだ。そんなことは百も承知だった。

それなのに、何故か、私はその姿を追って庭園へと入って行ってしまっていた。















一歩庭園の奥に足を踏み入れて、私は言葉を失った。





「………、」





なんて、綺麗。




白と紫の菖蒲が眼前に広がる光景に、私はしばし立ち尽くしていた。
見たこともない、美しい光景だった。
木々の切れ目から柔らかな光が差し込んで、深い緑と鮮やかな白が浮かび上がる。
柔らかい紫色がそのすべてを優しく包み込んで見せていた。



瑞々しい菖蒲は、数十本かそれ以上か。
時間が止まってしまったかのように、その場所は静かで、美しかった。







「誰だ?」





菖蒲の美しさに見惚れていた私は、突如投げかけられた声にどきりとした。
慌てて声のしたほうへ振り向けば、菖蒲の中に作られた道の途中に、一人の男の人が立っていた。

薄い水色の羽織。それより少し深い色合いの単着物。
黒い髪は艶やかで、とてもとても整った顔立ちの気品あふれるその人は、私の仮説を一つ確信に変えさせた。



若君様に違いない。






「も、申し訳ございません…っ、若君様の後ろ姿をお見かけして、それで…」

「いや、構わない。ローが、ああ、若旦那が呼んでいるのかと思っただけだ」





若旦那様の名前を口にして、若君様は微かに微笑んだ。
私は咎められなかったことに少し安堵しつつも、それ以上の言葉が見つからなくて黙り込んでしまった。


若君様は私のことは特に気にした素振りもなく、視線を菖蒲に向けている。




長くて美しい指が、時折菖蒲の花に触れて、花弁を揺らす。
ふわりと揺れた白と紫の花弁はその手に触れられたことを喜んでいるようだ。
光の中で、その光景は私が今まで見たこともないほど美しかった。








「今年は、彼岸花は美しく咲くだろうか」

「え?」


少しの間立ち尽くして。私がどうやってこの場を辞して戻ろうかと思考を巡らせていたときに、唐突に若君様が呟いた。
私は思わず聞き返してしまう。

その後で若君様に使う言葉づかいではないと、少し冷や汗をかいたが、別段若君様は気にしてもいないようだった。







「彼岸花、ですか?」

「ああ」




私は赤く咲き誇る彼岸花を想像して、少し眉根を寄せた。
言っては悪いような気がするが、彼岸花は死の象徴とされている。

毒々しい赤は、どうしてか目の前の気品あふれる若君様には重ね合わすことができなくて、私は返す言葉が見つからなかった。




療養中という言葉しか知らないが、若君様はもしかして重い病を患っているのだろうか。
それならば、無意識に死に惹かれているのかもしれない。だから、彼岸花を?


…でも、目の前の人は、どうしても死期を前にしている様には見えなかった。
死に引きずられた人間など見たことはないが、直感的にそうではないと感じたのだ。





黙る私を若君様はちらりと見て、それから静かに立ち上がった。







「来るか?」

「え」

「俺と、ローしか知らない秘密の場所に」







何故、出会ったばかりの名前も知らない私を誘ってくださったのかは分からない。
おそらくは気まぐれだろう。
それでも、私は反射的に頷いていた。

若君様は私が頷いたのを確認して、少し嬉しそうに微笑んだ。







先ほどの場所から、ほんの少し木陰の道を進んでいったところ。

そこは、菖蒲の庭園の最も奥深くだった。
細い道の先に、わずかに開けた空間がある。
そこに生い茂る緑色の細い葉は、菖蒲のものではなかった。
蝉の声も一瞬止んだかのような、不思議な静寂が私を包んだ。




その空間の真ん中にあったのは、小さな祠だった。




「これは…?」





口をついた疑問に、若君様は穏やかに答えを返した。







「俺の愛する人が、祀られている祠だ」




「へー………っ、え!?」





思わず変な声が口から飛び出してしまっていた。
引っかかる単語がよく分からない。
あいするひと?祀る?祠に?

どういうことなのか分からなくて混乱した視線を向けるしかできない私に、若君様は苦笑してその訳を語ってくれた。







十数年前。突如若君様の前に現れたその人は、このあたりの神社の守り神だったらしい。

ふわふわした金色の髪で赤い袴と白の長襦袢という典型的な巫女装束をまとったその人は、自分のことを妖狐と言っていたそうだ。
実際、狐らしく好物は油揚げだったらしい。




妖狐は幼いころに大病を患った若君様に、治癒の術を施すために来たそうだ。
それでも体調のいい日は町に降りては、二人でいろいろなものを見たり、お城の中で過ごしたり、とても幸せな時間だったのだろう。
若旦那さまと若君様が知り合ったのも、その頃らしい。


若君様の病気も治って、勉強熱心な若君様が国の政治を学ぶようになった頃、二人は恋仲になったそうだ。
自然と惹かれあっていたからな、と若君様は幸せそうに笑っていた。



しかし、それから数年が経たある年の秋。

城下町を大火が襲ったのだ。
私もそのことは、覚えている。火事が多いこの世の中でも、忘れようもないほど悲惨な出来事だった。
不思議なことにその大火は燃え広がりを見せたあと、急な大雨によって沈下したのだ。
その雨を操っていたのが、妖狐だったそうだ。


しかし、雨を降らしたことで妖狐は力を使い果たしてしまった。
神社も燃え、寄り代を失った妖孤はひどく弱って、若君様と若旦那様に別れを告げて姿を消してしまったそうだ。




「彼岸花の咲くころに、会いに来る」という約束を残して。









「この近くには、彼岸花が咲く場所が無くてな」




神社を立て直すときにその一部を譲り受けたこの薬師問屋の主人が、若旦那の希望を聞き入れてこの庭園を造ったそうだ。
彼岸花のほかに植えられていた菖蒲は、若君様が好きな花だそうだ。




神秘の人。
消息。
信じる者の幸福。


菖蒲には、そんな意味があるらしい。




昨年は天候が不順で咲かなかったこの場所の彼岸花が、今年はうまく咲きそうだと若君様が静かに微笑んだ。


そこで私はもう一度、目の前の緑に生い茂る草を見つめた。
彼岸花は花が咲く前に葉が枯れてしまうらしく、記憶に残ったことはなかったが、この葉は彼岸花のものなのだ。
若君様が話してくれるまで知らなかったが、狐の象徴でもあるらしい。






若君様はそこまで話して、少し沈黙した。
それから、私に同じ言葉を問いかけた。





「それで、今年は彼岸花はうまく咲くと思うか?」




私は、その言葉の裏の切ない恋慕の情を、今度は確かに感じ取った。




彼岸花が咲く頃に。

それは、再会の約束の言葉。






「ええ、きっと」




返した言葉に、偽りはなかった。
私はようやく若君様の前で心から微笑んだ。












それから私は若旦那様の勧めで、若君様のお世話係となった。
庭園を歩くか、店を手伝うか、勉学をなさるかという、およそ療養中とは思えない行動をなさる若君様についていく日々は不思議と満ち足りたものだった。



若君様が私に声をかけた理由は、祠まで一人で行くと若旦那さまが煩いからだそうだ。

そのおかげで、私は毎日稲荷寿司を作り、若君様とその祠へ赴くのだ。






彼岸花は、そう遠くないうちに咲くだろう。
まだ細い茎の先についているのはつぼみだが、それでも日々秋に近付居ていることを感じさせてくれる。

きっともうすぐだ。
祠に手を合わせて、今日も私は二人の再会を願う。




ふわり、と少し涼しい秋の風が吹き込んで、彼岸花のつぼみを揺らしていった。
その日も、若君様はいつもと同じように、小さく祠に何かを呟いて、それから屋敷に戻る様に祠に背を向けた。

私もなんとなく幸せな気分でいつもと同じように若君様と祠を後にした。











「あれ、女の子連れなんてまさかの浮気?」






後にしようとしたのだ。



背後から楽しそうな声が聞こえて、驚いたように若君様が振り向いて。
弾かれた様に走り出すその後ろ姿。その先にいる柔らかそうな金の髪の妖孤を、私は初めて見た。

私は、黙ってそっと踵を返した。

恋人たちの再会の抱擁を邪魔するのは野暮に違いない。






きっともうすぐ若君様は療養を終えてお城に戻られるのだろう。
その傍らには、金の髪の妖孤が居るのだ。
二人が正式に結ばれるかは知らないが、きっと幸せになるのだろう。
そう考えただけで、私も幸せな気持ちになれた。






吹き抜ける風が彼岸花を揺らして、その赤いつぼみが静かにほころんで花を開く。
この場所でその様子を見ることはもう、ないかもしれない。それでも、幸福な気持ちを感じながら、私はゆっくりと菖蒲の庭園を歩いて戻っていった。





end




和風に悶えて撃沈しました。
若旦那ローと仕立て屋キッドさんもさりげなく。
若君ペンと妖孤キャスはもう、なんというか趣味の塊でした。
とはいえ有希が江戸に詳しくないので妄想補完酷いですが(



彼岸花は毒を持っているから、土葬した遺体を獣に掘り返されないようにお墓に埋められる花だとか。
曰く付きなのは変わらないみたいです。









2010/06/15/tue
2013/11/21/thu 加筆修正




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