全員かぼちゃだと思いなさい。

朝早くから満員電車なんてものに乗る羽目になっているのは、ひとえに仕事だから、という理由に他ならない。少女漫画家なんていう仕事に就いてからは、普通の社会人と比べて外出する機会は大分少ないと自覚はしている。けれど完全にひきこもり万歳な生活をしているわけでもないので、それなりに対人スキルというものは併せもってはいるものの。

祭とかバーゲンセールならまだ分かる。目を爛々と輝かせ、活気に満ち溢れた場所に足を運ぶことは―その後は大概人酔いを起こすのだが―まがりなりとも嫌いじゃない。けれど、満員電車は別だ。確かに、同じ場所に多くの人間が集まっていることには違いないが、皆の目が死んでいて。沈黙のままぎゅうぎゅうとこんなちっぽけな空間に閉じ込めれている、その事実に気が狂いそうになる。何が楽しくてこんな場所に居なくてはならない。これではまるで、監獄に閉じ込められた囚人の集団ではないか、とここぞとばかりに閃く自分の発想力が恨めしい。いっそ狂ってしまえば、奇声を発してこんな場所から逃げ出してやるのに、とは思うものの、仕事だから、という理性的な声が頭に響いて、結局は追い詰められた鼠のように隅で小さくなるしかない。

せめて、あの死んだ魚みたいな目だけでもなんとかならないか。思考を張り巡らせてみれば、昔懐かしい魔法の呪文を思い出す。文化祭で劇を演じる際に、先生が緊張しないようにと伝授した呪い言葉。劇を見に来た人、全員をかぼちゃだと思いなさい。そうすればその視線を恐れることはないから。鮮明な台詞を思い出したところで、心の中で念じてみる。ここにいる人間はすべてかぼちゃ。全員かぼちゃ。黄色い色した可愛い奴等。だから、怖くない。

というか、そもそもなんで「かぼちゃ」なんだろう。ふと、疑問に思った。別にかぼちゃじゃなくても野菜であればなんでもいいんじゃないだろうか。茄子とかじゃがいもとか。うん?別に野菜じゃなくても動物とかでも良くないか?ほら、犬とか、猫とか。唐突に始まった思考の連鎖は止まらずに。よく考えたら、知らない人の無機質な目が俺は苦手なんだから、自分が嫌いじゃないものとすり替えればいいだけじゃないか?

例えば、幼馴染で親友で、恋人でもあるトリの顔だとか。


+++

「吉野?駅についたけど、お前今何処にいる?」
「…中央改札口の近く」
「分かった。すぐに迎えにいく」
「…トリ」
「どうした」
「酔った」
「たまに人の多いところに来ると、お前はいつもそうだよな」

電車に乗る人全員に、お前の顔を当てはめて。想像した優しくて熱い視線に耐え切れなくなりました、なんて。トリには死んでも言えやしない。


俺は、何に酔っていた?



満員電車





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