本ってつまりは人と同じようなものだと私は思うのだ。


小学生や中学生の読書感想文の優秀作品のまとめ文章やらは、だから私の言う“本”には当て嵌らない。この物語を読んでこんなふうに感動しましたという単純な感想。素晴らしいと呼ばれる作品はおそらく、書き方のテクニックだとか他の学生とは違う考え方だとか、割と安易な基準を持って順位をつけているに過ぎないのだから。自らが選んだ本は兎も角、課題図書なんて持っての他ね。課題が無ければ読まなかった本というのは、つまり読みたくないのに読ませられた本ということ。純粋に本を愛する者からしてみれば酷い話よ。強要された感想ほど詰まらないものは無いのに。しかも感想に“全くもって面白く無かった”と書く事すら許されない。どんな感想を持つのは個人の自由なはずなのに、書くべきも見のにはちゃんと“正解”があって、それに伴うようにと強制される。


読書好きな人間は、だから本を読むけれど感想文はそうじゃないでしょ?感想文集は、その本が如何に素晴らしいものであるかを雄大に語るけれど、書いた人物の内面を知ることは出来ない。本というのは言わば自分の中にある物語を具体化したものなのに、一つの文集の中に特有の個性を集めることにより“無個性”に仕上げている。それなら新聞のコラムに投函された率直な意見の方がまだ面白いってこと、どうして教育者は気づかないのと私は常々思っているんだけどね。


少々脱線したので話に戻ろう。本というのは一つの人間だと私は考える。本によって主張することがバラバラだというのは良く聞く話だけれど、それは物凄く当然のことだ。例えば、ある本には「努力は継続すべきである」と書かれていて、もう一つの本には「諦めが肝心」なんて言葉を目にする。おいおい。それぞれが矛盾したことを言っているぞと思うかもしれないが、それは間違いだ。前者は努力をして成功を収めた者が、後者は諦めて上手くいった者が書いたと考えれば、何も不思議なことではない。物事は一つであると錯覚しがちだが、人間の思考において真実は一つではないのだから。どちらが正解であるとも、一方が間違いであるとも断言は出来ない。


自分から産まれた物語は、だからその本人にしか描けない。他者に描けぬ本とは、つまりその本は著者自身だということ。人の考えが皆同じでなければ、その種類だけ文章を作れる。つまりこの図書館にある本達は、それぞれが違う人間として存在しているようなものなのだ。


私はここにこうして生まれた時から一人で、でもそれを特段寂しいと思うことは無かった。人間と話せないとしても、本を読むことで一人一人と語り合えた。だから自分が置かれた状況を可哀想だとも思わなかった。私の中にいる無数の人間は、人が一生で出会う人間よりも遥かに多い。上辺だけの付き合いをする人間より、私は本を読むことで多数の人間の思考を理解している。人には忌み嫌われる“孤独”というものを私は愛しているし、私も“孤独”から愛されている。


割と幼稚な考えでしょう?昔のことよ、笑ってやって。


様々な経緯は長くなるから省いておくわ。そうやって一人きりであることを至高の誇りだと勘違いを続けていた頃の話。私よりももっとずっと大人のあの人と初めて出会った。”あの人”とは、今は雪名透という名前の。


あの子と言うのはなんだか仰々しく、最近ようやく敬称を省くことを彼女自身から許されたので、透と呼ぶことにする。透は、ある日突然私の所にやって来てこう言ったのだ。


「ああ、嬉しい。ここにいたのはやっぱり私だけじゃなかったのね。良かったら友達になってくれない?」


その時の私は自分以外にも奇妙な存在がいた事に驚いて、深く考えることもなく頷いてしまった。私は一人で良かった。別に友達なんて欲しく無かったのに、と毎日のように会いに来てくれる透の前で不機嫌になっていたのも最初だけで、しばらくすれば彼女は私の唯一無二の親友となっていた。


透の本体はサークル棟という場所なのだそうだ。普段図書館から出ようとしなかった引きこもり気味の私を、彼女は一緒に見に行こうと連れ出した。透の体はとても古臭いものだったけれど、中にいる学生達の瞳がとてもきらきらしていることに驚いた。図書館は基本静かにしなければならない場所だから、皆でわいわい騒ぎながら楽しそうに笑っている声を聞いた時は、色々と衝撃的だった。人間は寡黙な生物だと思い込んでいたから・


そうやって透と毎日を過ごしていると、少しずつ自分の考えというものが変変わっていくのが嫌でも分かった。


いつの間にか、透が自分の元にやってくることを楽しみにしている。夜になって彼女と別れることを寂しく思っている私がいる。一人でいた時には知り得なかった感情。だから分かった。”孤独”というものは本来こういうものなんだって。


最初から一人でいた者が感じる孤独なんて孤独じゃない。誰かと一緒にいる幸福を知らなければ、誰もいない寂しさを理解出来るはずもない。私がやっていたのは、ただの孤独ごっこ。心が傷つかない孤独なんて無いのだ。そうやって考えを改め始めた時、少し思った。私は本を通して人と出会った気になっていたけれど、それは違うんじゃないかって。隣にいて話し合うことで分かり得る姿だってある。本は確かに人間の分身であるけれど、でも人というのは変わるものだ。文字と同じく時を止めている訳じゃない。だとすれば、今まで私が話していた相手は、全て亡骸なんだって。気づいてしまった。


図書館に良く訪れる人物の中に、昔の私のような人がいるのは知っていた。一人でいることを好み、孤独を愛し、誰の存在を受け入れようとしない少年。強いふりをして、誰よりも傷ついていたあの子。救いたいと思った。どうやって助ければいいかは簡単に分かった。私にとって透がそうだったように、彼にとっての誰かを見つけ出し会わせれば良い。それだけの話だ。随分時間と手間がかかってしまったけれど、私にとっては最高の出来だった。


透に私の所業がバレてしまったのは直後のことで、しばらくの間は不貞腐れて大変だった。あの少年のことを気にかけていたのは彼女も同じで、一緒にその手助けをしたかったのだと。それに小さくごめんねと謝罪して、でも私は繰り返しただけだよと彼女に向かって言い切った。


貴方は私を孤独から掬い上げてくれた。誰かと一緒にいる幸せを教えてくれた。愛を与えてくれた。


私のことを、見つけてくれた。だからそれを、彼らにも。



『問題編(元閑話休題6)』


あの場所で私はあの子を見つけました。私のことを誰よりも愛してくれるあの子と出会いました。

けれど、あの子は私の存在には気づきません。私はここにいるのに、あの子はそれを知りもしないのです。だからあの子は孤独でした。

その場所で私はこの子を見つけました。私のことを誰よりも愛してくれるこの子と出会いました。

けれど、この子も私の存在には気づきません。私はここにいるのに、この子もやっぱりそれを知りもしないのです。でも、この子は孤独ではありませんでした。


だから私はこの子をあの子の元へと導くことを決めたのです。二人が共にあるよう。二人が孤独で悲しむことのないよう。


その企みは見事成功しました。その結果に私は大満足でした。


まあ、一番の親友はそのことを未だに根にもっているのだけれど、ね。







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