珍しく本を開いているかと思えばこれだ。表紙には命名辞典とある。家庭教師を呼ぶ時間に少女漫画を開いていないだけはマシかと思いながら、そのまま彼のベッドに倒れる。相変わらずの仕事放置っぷりに自分でもな泣きたくなってくる。実際はため息を少しついたくらいで終わる自分の性格もあれなのだけれど。


スイの妻である舞が妊娠していると周囲に明かにしたのは結婚式の時で、その頃すでに三ヶ月を迎えていたらしい。最初は皆が驚いていたものの、目出度いことが更に重なったと二人はただ祝福を受けただけだ。あの時から半年を過ぎ、彼女はそろそろ出産予定日を迎えようとしている。


雪名曰く、性別は生まれた時のお楽しみにとっているらしく、故にその子の名前もまだ未定だという。半年前にも考えていたものの、つい最近になって思考が変化しそれらを全て撤回してしまったらしい。たかだか数ヶ月で揺らぐような名前では駄目だと。もっと誰しもが納得できる名前でないと。


人の名とは生まれてから一週間以内に定め、それを役所に提出しなくてはならない。日本にはそういう決まりがある。だから時間は無限であるわけでないから、百も承知で名前を公募することにしたという。相手は親族や親友に限定だが、動物園のパンダじゃないんだからという突っ込みはさせていただきたい。


「というわけで木佐先生も考えてください」
「候補ってそんなに少ないの?」
「いいえ、数十個くらいはもう用意されてます」
「じゃー別に考えなくてもいいだろ。その中から選べばいいんだし。つーか他人が人様の子供の名前を決めていいのかよ」
「あくまで候補ですよ。兄さんが赤ちゃんの顔を見たらきっとその子にぴったりの名前がその中から見つかるだろうって。見つからなかったら自分達でもう一回悩むって言ってましたし」


結局のところ最終的な決定権はスイと舞にあるようだ。だとすればそれほど深刻に考えなくてもいいのかもしれない。あの二人の子供の名前なら勿論真剣に検討はするけれど。


「こういう名前を考えるのって、楽しいですね」


雪名の無垢な笑顔に、胸がつきりと痛んだ。


雪名と付き合うようになってから、もう半年以上も経つ。今まで誰と付き合っても早ければ一週間長くても三ヶ月だった自分にとっては、今も最高記録を更新中だ。それは馬鹿でどうしようもない俺を好きだという雪名のせいでもあるし、思った以上に雪名のことが好きな自分のせいでもあった。相思相愛な二人。けれど時たま、こうやって取り留めのないことを一人悶々と考えてしまうことがある。


俺は子供が産めないから。だから雪名には自分の子供に名付けるという幸せを与えてやれない。


言えば雪名は何を言っているんですか、俺の気持ちがそんなに軽いものだと思っているんですか、と反論するだろう。彼の性格は知っているし、その言葉だって聞けば俺は簡単に信じられる。だからこれは現実的な問題というわけではなく、単に自分の中の不安が具現化しているだけなのだ。つまるところ、


結婚する以上に俺は彼を幸せにしてやれるか、という悩みに終局されるわけだ。


何という馬鹿馬鹿しさ!プロポーズする直前の男か俺は!と自分で自分に突っ込む。それを乗り越えて自分の手を取ってくれた雪名に対して酷く失礼だ。悩みながらも結局は奴の胸の中に飛び込んだ自分も。だから最初から答えなんて出ているわけで。


「また考えごとですか?」
「まあね」
「自分の中で消化出来たらいいんです。でも、もしそれが自己解決出来なかったら、ちゃんと俺に教えてくださいね。答えは一緒に見つけましょう。間違っても別れるなんて言ったら駄目ですよ?」
「お見通しかよ、お前」
「そうですね、よく見えます」


雪名の言葉をどうして疑えようか?


一緒に本を捲りしばらく二人で考え込む。あるはずのない幸せ。でもこうやって二人笑っているのなら、それが偽物でもいい。嘘でも、過ごした時間は真実だから。


「名前は漢字一文字のが良いの?」
「はい。でも読みは二文字じゃなくても良いって言ってました」
「でもお前は二文字をつけようとしてんだろ。しかも最後に“い”の字がつくやつ」
「分かりました?」
「分かるさ」


それだって俺くらい。お前の心は透明だから良く見える。



あ。




「木佐くんが考えてくれたの?いい名前ね」
「男の子でも女の子でも良いように、だって」
「嘘をつかない素直な子供に育ちそうね。スイと違って。」
「酷いな。でも、この子にぴったりだと思うよ。ほら、喜んでいるみたいだし」
「本当ね。じゃあ、これで決まり。こんにちは、やっと会えたね」


あなたの名前は“雪名透”です。







『問題編(元閑話休題7)』

触れれば感じるのは僅かな律動

そのモノに私は小さく尋ねるのです

貴方は今何を考えていますか?

貴方は今どんな気持ちですか?

答えはありません。答えが聞けるのはまだ少し時間がかかるのでしょう。

それでも私は尋ねます。尋ね続けるのです。

あなたの名前は何ですか?


from Y to ? 






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