ずっとずっと遠い昔の話だった。



お互いの情報を教えあおうと言い出したのは勿論彼女からで、一応は付き合っているという設定なのでそれぞれの情報を全く知らないというのはおかしいという理由だった。どうせ短期間で終わるはずだったこの関係にそこまでの信憑性は必要かね、と訝しげな顔を作ると、失敗ってものはね、いきなりドカンと大きくやってくるものじゃなく、小さな亀裂がじわじわと広がってやがてはそれが致命的になるものよ、と市ノ瀬は告げる。まあ、この契約を結んだ時点で俺が彼女に反対する術はなく、黙って市ノ瀬の言う通りにした。


「好きな食べ物は?」
「肉」
「じゃあ、嫌いな食べ物は?」
「特になし」
「高野くんの趣味は?」
「読書」


彼女の質問に一方的に答えるだけのその会話は、まるでお見合いでもしているみたいだ。それにしても自分のことを根ほり葉ほり聞かれるというのは何とも居心地の悪いものだ。他人の名前を聞くのならまずは自分の名前から、とは良く言われるものの、セオリーに乗っ取った市ノ瀬の自己紹介は、記憶としては一応は留めているものの、ちっとも興味が湧かなかった。


「それじゃあ、高野くんの誕生日はいつ?」
「十二月二十四日」
「…へえ!!クリスマスイブなんだ。顔に似合わずロマンチックなのねえ」
「一言余計だろ」
「ねえ、何か欲しいもの、ある?」



「なにか、ほしいものはありますか?」



屈託のない笑顔で、本を読む俺の顔を覗き込んでいたのは幼い頃の小野寺だった。二人で集めた本は山の峰のように重なり、それに囲まれた中心に、自分達はいた。まさむねくんのおかあさんに、きいたんです、と小野寺はきらきらと瞳を輝かせながら言う。まさむねくん、もうすこしでおたんじょうびだって。だからおれ、まさむねくんにおくりものをあげます。なにがいいですか?



わくわくとした表情で尋ねてくる小野寺に、ああ、あの時の俺は何て言ったっけ?色々と小さい頭で考えを巡らせて、俺は小野寺の質問に何と答えたっけ。



「そうですか。それならおれにまかせてください!!」



そう言い切って笑う小野寺の笑顔だけはすぐに思い出せるのに。





「何も無いよ」



と告げると途端市ノ瀬の表情は不機嫌そうになった。ほんとにほんと?と追及する市ノ瀬に苦笑して、当たり前だと答えた。やっとこうして、いつも俺にくっついていた小野寺を振り払うことが出来たんだ。そう望んだのは俺で、そしてその理想を手に入れたのもまた俺だった。



何もないよ。欲しいものなんて。何もない。




「そう言えば、もうすぐお隣の律っちゃんの誕生日ね。」



まるで狙ったかのようにタイムリーな話題を自分に振ってきたのは、他の誰でもな自分の肉親である母からだった。今日はスーパーで魚が安かったのよーとエプロンをつけながら笑う彼女の職業が、実は弁護士なのだというからそのギャップは凄まじい。仕事が早く切り上げられるときは、政宗の母親をやるって決めてるの!とい豪語する彼女は、実際家事も料理もすでに息子の方がスキルが高いというのに、一切俺に手伝わさせずに座って居ろと命令する。反抗期はとうに越えてしまった故に、大人しくコーヒーを啜りながら椅子に座って本を読んでいた。



「プレゼント、もう決まってるの?」
「ああ」
「それなら良いけど。当日にプレゼントを渡し忘れるなんて馬鹿なことをしちゃ駄目よ?」
「誰がするか。馬鹿馬鹿しい」
「そう言って、去年の誕生日は私が言わなければ忘れてたくせに」
「………」



大体、この年にもなって誕生日を祝うこと自体がおかしいだろという言葉は飲み込んだ。実際、自分の中では誕生日を祝ってもらうのは小学生ぐらいまでという認識がある。人によってその基準は異なるものだから、敢えては謂わないが。そして毎年毎年俺の誕生日にはえらく張り切ってお誕生会の準備をしているこの母親には尚更言えない。一か月も前から準備をしていたと嬉しそうに報告する母には、言えるわけがない。



無論その豪華な俺のお誕生会には小野寺は毎年参加していた。家が隣で、母親達もお互いに滅法仲が良いので必然と言えば必然だった。そしてその時に小野寺が俺にくれるプレゼントというのは、全く持って外さない。それどころかピンポイントで俺の心を突いてくるものばかりだった。例えば入手がそこそこ難しい本だったり、雑誌で少し気になっていたものだったり。挙句には、誕生日少し前に俺が迂闊にも壊してしまった日用品だったり。



それは自分自身手に入れたいなんて思ったことは無かったけれど、でも、ずっと自分が欲しかったのだと気づかせてくれたものばかりだった。



一応は以前まで聞いていたのだ。小野寺が奴の誕生日に何が欲しいかも。けれど小野寺の俺に対する答えはいつも同じで。



「俺は特に欲しいものはありません。ですから高野さんが俺にくれたものと同じもので結構です。そうすればお互いに気を遣うことも無いですから」



当の本人がそう言い切るので、だから俺はその言葉通りに同じものを小野寺に返した。本なら、彼にも本を。新しい文房具だったら、これまた新しい文房具を。だから今回彼に何をプレゼントするのかというも最早決定事項で、迷いようもなかったことだ。



「準備だけは早めにしておきなさいよ」
「はいはい」



母親の小言を聞き流しつつ、今度の休日にでも買いに出かけようかと心に決める。触れた指先の向こうにあるものは、小野寺が前の誕生日に俺にくれたマグカップだった。




いずれにせよ、この悪しき慣習はそのうち終わるだろうと思っていた。それを自分の意思でやり遂げることはとうの昔に諦めて、その後は成り行き任せ。社会人にでもなってしまえばいくらなんでも隣人を巻き込んだお誕生会など開催出来る訳も無い。どうせ、明確な終わりが見えているもの。悩むだけ、むなしいもの。



ふらふらと街に出てきたは良いが、普段本屋以外買い物らしい買い物をしたことがないのでいまいちどの店に入ればいいのか分からない。適当にアーケードの下を行ったり来たりして、結局は前に母親と一緒に日用雑貨を買いに来たことのある店へと入り込む。家族の買い物客が集う中、何となく落ち着かないままに足を進める。買い物の目的が明確だとその分選ぶ時間が減って助かるよな、と自分に誤魔化すように言い聞かせ。辿り着いた場所にとある人物の姿を見つけて、思わず隠れた。



畜生。何で小野寺がこんな場所にいるんだよ。



まさか贈り物を渡す当の本人が先回りしているとは思わなかった。無意識に舌打ちをしてしまう。これではこの店で小野寺への誕生日プレゼントを購入することは事実不可能になってしまった。そんな俺の気持ちとは裏腹に、小野寺は商品棚を真剣に覗き込み、その一つ一つを大事そうに手にとって見つめる。ふと、気づいた。最初はただ単に小野寺がここに買い物に来ただけだと思ってはいたが、もしかするともしかして。



それは自分の為ではなく、誰かへのプレゼントだったりするのだろうか。



自分の思考により信憑性を埋めていくように、小野寺はうんうんと悩みながらそれでもその中の一つを最終的に決めたようだった。無意味に隠れつつも、彼がどんなものを選んだのかが無性に気になって、息を殺してその姿を伺った。ちょっと嬉しそうに目を細めて、



小野寺が手に取ったものは、女子が好みそうなたいそう可愛らしいマグカップだった。



店の外で待ち伏せするみたいに店のロゴ入りの紙袋を抱えた小野寺を呼び止めると、案の定彼は酷く驚いたように目を見開いた。



「な、なんで高野さんがここにいるんですか?」
「何、俺がここにいちゃ悪いの?」
「いえ、そういう訳ではないですけど」



おどおどと弁明をする小野寺が少しだけ可笑しくてつい笑ってしまった。そんな俺の様子に軽く毒気が抜けたように小野寺は、本当に高野さんって人が悪いですよね、と悪態をつく。そんな軽口のやり取りが酷く懐かしく思えて、ああ、本当に彼の俺に対する気持ちさえなければこの関係はそれなりに気に入っているのに、と酷く自分勝手なことを思う。一旦突き放してしまった関係が、そう簡単に戻るはずなどないのに。



「それで、今日は本当にどうしたんです?もしかして、彼女さんとデートの最中ですか?」



小野寺の言葉で一気に現実に引き戻された。



「まあ、そんなところ」



何だか小野寺の言い方に無性に苛々してしまった。何故?小野寺には多分一切悪気はない。本当に何の気も無しに、そういった質問をしただけだというのに。


「中々感心じゃないですか。その調子で頑張ってくださいね」
「お前に言われるまでもない」
「そうですか。それならそれで良いですけど。あ、ついでにアドバイスしてあげますと、こういう店で高野さんが彼女さんにプレゼントの一つでもあげれば、きっと喜ぶと思いますよ」
「……へえ、お前みたいに?」


冷たい声でつい小野寺を問い詰めるみたくそんな台詞を吐くと、小野寺はさっと表情を曇らせた。


「えっと、もしかして。俺の買い物をずっと見ていたんですか?」
「………」
「どんだけ悪趣味なんですか」
「それ、誰にやるつもり?」
「…言えません」


最初は彼の母親にでも贈るものかなと都合良く考えようともした。けれど長年の付き合いがある故にそれが彼女の趣味に似合うものではないことは簡単に分かってしまう。勿論、俺の母親にも。だから贈る相手なんか俺の思考回路では検討もつかず、結局は小野寺の周囲にいる誰かかしらの女とう事実に思い当る。そりゃあ、こいつ自身、顔も良いし勉強も出来るし、しっかりしている家庭で育っているから、良い寄る女が一人や二人、いてもしかたないことだ。客観的な事実は認識している。しているけれど、無性に腹立たしくなるのは何故だ?あんなふうに嬉しそうな表情でプレゼントを選ぶ相手は、俺だけではなかった。小野寺には俺の他にも何かを贈りたいと思う人間がいた。それが、どうしてか悔しかった。


大体、何故そのプレゼントが俺のそれと同じものなんだと思う。贈られた相手はその真実に気づかないだろうけど、俺には分かる。小野寺がその相手を想って真剣に選んでいたこと。その想いがただの贈り物という範疇を越えていること。だからこそ気に食わない。ああ、気に食わない。


俺以外に、小野寺自身に他に大切な人がいるかもということ。


俺への当てつけみたくあんなに可愛いプレゼントを選びやがって。ああ、全く本当に、


「どっちが悪趣味だよ。あんなもの」


それまで恥ずかしいのか怒っていたような顔を見せていた小野寺から、表情が消えた。


しまった、流石に言い過ぎた。後悔しても、全て後の祭りだった。発した言葉は最早取り戻せるわけもなく、ただ、黙って俯く小野寺を言葉無く見つめることしか出来なかった。


「だって、仕方ないじゃないですか。俺があげられるものなんて、これしかないんですから。あげたくても、あげられないんですから」


言った途端ぼろぼろと涙を零す小野寺に呆気にとられて唖然として立ちすくむ俺に、小野寺はぎゅうぎゅうと紙袋を俺の胸に押し付けてきた。割れ物ですから落とさないでくださいね、と泣きながら言う彼の言葉通り、しっかりとそれを受け止めると彼は笑った。


涙を零しながら笑った。


「それ、高野さんの彼女さんに、です。来年からの高野さんの誕生日は、どうかその人に祝ってもらってください。俺が今まで高野さんにあげたものなんて、本当に些細なものばかりです。だからこれからは彼女さんに、貰ってください。俺の贈り物なんて捨ててしまっても構いませんから」






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