何だかんだと理由をこじつけるつもりもなく、結局は一目惚れだったのだと思う。


大学の生協で眠気覚ましのコーヒーを一つ購入して、店を出たところで大変面倒くさい奴に捕まった。直感的に逃げようとした矢先に、がしりと全体重を持って抱きしめられる。おい、やめろ。俺にはこういう場所で抱き合う趣味はない、と絞り出すような声で文句を言えば、自分の体を縛り付ける主な原因である友人が、だって優が逃げようとするから!とその行為がさも当然のように言い返してくる。血管を顔の表面に浮き立たせながら、ふざけんな、と文句がつい口から出そうになるのを懸命に堪えて、今度は何だよ、と渋々ながら尋ねてやれば、まるで地獄の中で神様を見つけたみたいに千秋が今までの切羽詰った表を一変させてぱあっと、そりゃあもう花が咲くみたいに笑顔になった。


人気のない空き教室に、二人隠れるように紛れ込む。精神を落ち着けようとコーヒーに口をつけた途端、真正面にいる千秋が唐突にだん!と机を叩いた。


「トリの奴、また女の子と一緒にいた!」


憤慨したように声を荒げる千秋に、内心ああまたかと思いながらコーヒーを啜る。冷静かつ冷たい俺の視線に彼は気づくことなく、今の今まで我慢していた、とばかりに抱えていたであろう心情をこれでもかと吐き出していく。


「あー、もう何なの!何なのアイツ!何であんなに女の子にもてるんだよ!」
「……さぁ?そんなの俺に聞かれてもね。知りたいんなら、本人に聞けば?」
「それが出来ないからこうやって優に相談してるんだろ!」


相談、というよりは明からさまな愚痴だろうそれは。と思いつつも、決して口に出さないのは、これ以上話をややこしくしたくないし、つまりそうなればこうやって自分が拘束される時間が比例して増すことを意味するから。黙ってコーヒーをごくごくと飲み込んでいると、その間トリの奴!トリの奴!と彼の幼馴染であり親友である存在に対する恨みつらみを語ったかと思えば、突然電池が切れたみたくぱたりと机の上に倒れ込んだ。


「…満足した?」
「…全然」


お前、人様の時間を使っておいてその台詞はないだろうと少し苛つく。まるで酔っ払いを相手にしているような気分だ。勝手に感情を爆発させておいて、一旦落ち着いたかと思えば、今度は勝手にぐじぐじと恨みつらみを女々しく語り始める。怖いのは、その相手が酩酊している訳ではなく全くの素面であるということ。


「分かってるよ。トリがいい男だってことは、充分なくらい。そんなの俺が一番分かってる!…でもさー、なんだろうな。分かってても、実際そういう場面を目にすると、やっぱり落ちこむ」


本当に酔っ払いの台詞だよなあ、と苦笑いを一つ零した。だって、トリって男の俺からして見ても格好良いし、性格も穏やかで面倒見も良いし、家事だって出来て料理だって上手いし…と、遠まわしに幼馴染を俺に自慢でもしているのか。小声でぶつぶつと熱く語っている。


全く、何なのだろうね。


千秋が、彼の幼馴染である羽鳥芳雪という男に盲目的に恋をしていると気づいたのは、多分高校で初めて千秋と出会ったその直後のこと。もっと明確に説明すれば、ちょっとしたきっかけで千秋と友人という関係になり、幼馴染の親友と呼ばれる例の男を紹介された時だ。千秋が、その男に惚れているであろうことを知ったのは。


別に妙な確信があった訳ではなく、ただ本当に、何となくそう思っただけだ。だというのに、考えたことをそのまま口にしてしまうような悪い癖がある俺は、例に漏れず「千秋はあいつのことが好きなの?」と単刀直入に尋ねてしまったわけだ。途端、ぼっと顔を赤らめた奴は、俺の肩をがしりと掴んで、「お願い、このことは誰にも。…トリにだけは絶対言わないで」というお願い…、というよりは脅しに近いような形で俺に迫り、それに渋々頷いてしまったのが運の尽きだったのだろう。


千秋は数年もの長い間、羽鳥への想いをひた隠しにしてきたのだと告白した。


本人にも、勿論誰にも悟られぬように必死に押し殺してきた恋心を、なのにたった数日しか付き合っていない友人に知られてしまったことに彼は驚き、そして同時に少し嬉しかったのだと言う。つまり、俺は丁のいい相談役だということだ。否、相談というよりもただの愚痴聞き役だけれど。


「落ちこむくらいだったら、もう諦めれば?」
「…優は簡単に言うよな…。それが出来てたら苦労しないって」
「じゃあ、とっとと当たって砕けてこい」
「砕ける、というよりは、多分塵になるだろうな、俺の場合」


本当に、ああ言えばこう言う奴だ。わざとらしく不機嫌そうな視線をじろりと送れば、やや冷静になったらしい千秋は、ごめんごめんと素直に謝ってくる。


「でも、それでも俺、トリのことが好きなんだよなぁ」


勝手に怒って、勝手に傷ついて、勝手に語って。それでいて勝手に自分の気持ちを他人の前で再確認するこいつは、本当に何なのだろう、といつも心底不思議に思う。


しかしながらこの話には勿論続きがあって、千秋と入れ替わるようにしてこの空き教室にやってきたのは羽鳥だった。別に俺がこの場所にいると伝えた訳でもないのに、だから颯爽と目の前に現れた彼の姿を見つけた時は、口に含んでいた最後のコーヒーを思わず吹き出しそうになってしまった。


「どうせお前のことだろうから、ここにいると思った」


こいつにはGPS機能でもついているのか?と諦めた面持ちで嘆息していると、随分と疲れたような表情で、羽鳥が先程まで千秋が陣取っていた場所に腰を下ろした。


「さっき一緒にいた女、誰?」
「見てたのか?」
「まあね」


目撃したのは俺自身ではなく千秋の方だけど、ここでぐだぐだと説明するとなると一向に話が進まないし、何よりも面倒臭すぎる。やたら自分勝手な俺の思惑などを勿論羽鳥が気づく訳もなく、いつもは無表情に近いその顔を明からさまに嫌そうにしかめながら、吐き捨てるように口にした。


「千秋に近づこうとした女」
「……ああ、なるほど」


少しでも勘の良い人間なら、大体の真相はここで理解出来るのだろう。実際、やたらめったら勘だけは人一倍鋭い俺には、初めから何もかもお見通しだったのだから。


否、あれはむしろ気づかない方がどうかしているのだと思うのだ。あれだけ千秋が羽鳥に対しこれでもかと好き好きオーラを出しているというのに、何故羽鳥がそのことに触れないのか。知りえないのか。


簡単なことだ。恋が人々を盲目的にさせるなら、こいつらはお互いのことを一番近くで見ているくせに、全く何にも見えていないのだ。


「どうせさりげなーく、千秋には他に好きな奴がいる、とか適当なことを言って、上手く誘導尋問させて諦めさせたんだろ?相変わらず手口の汚い奴」
「本当に、千秋に好きな奴が出来たら、その時は止めるさ」


おそらくは、千秋の恋心を追求した直後。これまた自分の悪い癖が案の定出てしまって、俺は羽鳥に「お前って、千秋のことが好きなの?」と直球的な言葉で尋ねてしまった訳だ。千秋とは違って、羽鳥は明からさまな動揺は見せなかったものの、俺に向かってやっぱりこう言ってくれたのだ。


「頼む。吉野には言わないでくれ」


一体こいつらは何なのだろうね。


俺からしてみれば、お互い両想いだって分かりきっていることだし、その気持ちに嘘がないことくらい、この数年の間充分過ぎるくらい思い知った。だから、さっさとどちらかが告白すれば良いものを。こじつけの理由をつけては最初の一歩を踏み出すことを躊躇うし、自分の臆病を棚に上げては頻繁に俺に愚痴ってくれるし。


けれどまだ千秋よりも律儀な羽鳥は、話を聞いてくれたお礼にとコーヒーを一つ俺にくれた。むしろ一人でコーヒーを飲む優雅な時間を返してくれと言いたいところだが、きっと今更嘆いても無駄なことだろう。


わしゃわしゃと髪を掻き乱しながら、二つの缶を並べながら思った。思いついてしまった。


あの二人を、何としてでも結びつける方法を。


例えばだ。例えば、俺と羽鳥が一緒にいるところを、千秋が偶然見つけたとする。で、何かの拍子に俺と羽鳥がキスをしているように見せたとすれば?ああ見えて、割と友人想いの彼は、もしかして優も羽鳥のことが好きだった?ときっと壮大な勘違いをしてくれる。妙なところで演技が下手くそな千秋は、明からさまに俺と羽鳥のことを避けるだろう。そんな千秋の様子を目の前で見たら、羽鳥は一体どうする?…そんなの狼狽えるに決まってる。羽鳥にとっての千秋というものは、つまりは命綱みたいなもので、その線が今まさにぷつりと切れようとしていたのなら。…流石に奴だって、その一線を踏み込むはずだ。


だとすれば俺に出来ることと言えば最初から一つだったのかもしれない。結局俺があの二人に出来ることと言えば、それくらいで。でももう何年も相談役をやりきったのだから、そろそろキューピット役に役を変更しても良いような気がした。


……分かっている。これは賭けではなく、単なる俺の願いであること。


何だかんだと理由をこじつけるつもりもなく、結局は一目惚れだったのだ。


あの二人が一緒にいる時の空気に、穏やかな流れに。一瞬にして散ってしまった淡い恋心を覆い隠すように、まるでそうあることが当然とでも言わんばかりの優しげな空間に。


「あの人だけには言わないで」という何とも馬鹿らしい約束を律儀に守って、長い間うんんざりしながらも奴らの相談にのって、そして今は自分の体を呈してあの二人の仲を前進させようとしている。全くもって涙ぐましい努力だ。


自分の恋すら投げ捨てて、それでも千秋と羽鳥がこの先ずっと一緒に笑っていられますように、なんて柄にもなく祈ってしまう自分が、奴らの大親友でないのだとするのなら。


三人一緒に馬鹿みたいに楽しく過ごしている未来を想像して少しだけ笑っている俺という存在は、一体何なんでしょうね。




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