一人暮らしを始めた矢先に、実家の料理が恋しくなるというのは割とよくある話で。自分で作る分には意外と少食のくせに、実家に帰って母親手料理なんかを振舞ってくれた日には、まるで春の日の腹ペコの熊のようにペロリと食事を平らげてしまうのは結構不思議なものだ。


のっぴきならない状況というか、色々と事情がございまして、何やかんやと隣人と毎日必ず最低一回食事を取ることになってから早一ヶ月。抵抗していた頃の記憶は遠い昔のもので、今は平然と高野さんの家に何の警戒心もなくお邪魔するようになってしまった。…つまり、慣れって怖いということ。


その日は、たまたま実家に顔を出して、たまたま母親が作った料理が大量に余ったからという理由で、まるで残飯処理の如くお土産に持たされて。安っぽいタッパーごと高野さんの家に持っていくと、案の定それは二人の食卓にてお披露目されることになった。


自分が作った訳ではないのに、高野さんの口元にその料理が運ばれていく状況にやや緊張する。


大げさな反応は無かったものの、一口食べたあともひょいひょいとその料理を箸で摘まみ上げるその仕草に、ほっと胸をなで下ろした。


二人で食事の後片付けをしている最中、高野さんが何食わぬ顔でこんなことを言った。


「あのさ」
「はい?」
「また、お前の家の料理、持ってきてくれる?」
「……それは別に良いですけど。…なんです?そんなにうちの母親の料理が気に入ったんですか?」
「俺、おふくろの味ってよく分からないから」


泡だらけのスポンジをぎゅう、と握りしめて、何食わぬ顔で皿を洗うのが精一杯だった。何だか聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がして。けれど高野さんは俺の同様には全く気づかない素振りで、淡々と言葉を続ける。


「だから、お前がどんなものを食べてきたのか。凄く気になる」


高野さんの台詞に、何故だか無性に悲しくなった。おふくろの味を知らないとさも当然のように言ってのけてしまうところとか。家で一人過ごす高野さんには思い出す懐かしい味なんてなくて。とても身勝手な想像かもしれないけれど、彼にはもしかするとそうやって家族みんなで食卓を囲むなんていう幸せな記憶が無かったのかな、なんて思い当たってしまって。悔しいことに、自分の馬鹿馬鹿しい考えがさほど間違っていないだろうなという確信に、少しだけ傷ついてしまった。


「自慢になりますが、俺の家庭の味は物凄く美味しいですよ」
「ああ。食べてみたから分かる」
「でも、高野さんが作る料理も。俺、嫌いじゃないです」


大変むかつくことに、最近疲れた時だとかふとした瞬間に食べたいなあ、と思い出すのは専ら高野さんの手料理ばかりで。おふくろの味と言うものがつまり自分の心を安らげるものだというのなら、ぶっちゃけそういうことなのだ。だから、嫌いじゃないのだと思います。


どちらかといえば、好きなのだと思います。


「なあ、小野寺」
「何ですか?」
「明日、何が食べたい?」
「………高野家の家庭料理で十分です」
「ねえよ。そんなもの」


正直、洗い物をしている最中に抱き締められるのは酷く迷惑な行為だけれど、高野さんがあんまりにも嬉しそうな顔で笑うから。結局泡だらけの手を渋々と背中に回す羽目になってしまった。


「なければ、作れば良いんですよ」


自分の好きな誰かと一緒に食卓を囲むという優しい記憶も、口にするだけで思わず笑顔が溢れてしまうような、何処か懐かしい幸せな味も。


或いは、これからの未来も。




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