結局その後何処をどう帰ったかは全く覚えていない。気づけば自分の部屋にへたりこみ、ぼうっと何もない壁を見つめている状態だった。もしかして自分が今見ていた光景は全部夢じゃなかったのかな、などと都合の良いことを考えて、でも掌の中に残るメモが否応無しにそれが現実であると突きつけた。そっか、夢じゃなかったのか。そう思えたら、何故だか腹の底から笑いが込み上げてくる。


灯りもつけない室内は真っ暗で、何も見えない。聞こえるのは、自分の呼吸だけだった。


膝を抱え込みながら蹲り、やってしまったなあ、と独りごちる。

まいったよなあ。雪名が俺のことを好きだと思っていたのに、それが全部自分の勘違いだったなんて。本当に、どうしようかな、と言葉を漏らした。


良く良く考えれば分かるはずのことだったのだ。だって雪名は幼馴染贔屓にしても、格好良くてまるで王子様みたいな容貌をしていて、性格も信じられないくらいに優しいのだ。世界中の女が通りがけに雪名を見たら、十人中十人が絶対に振り向く。それくらいに雪名は人を惹きつけてやまない魅力を持っているのだ。そんな彼が、どうして俺を好きだなんて思い込んでしまったのだろう。俺なんて何の取り柄も有りはしないのに。


俺の家に頻繁に通っていたのも、俺が雪名にとってもう一人の兄だからという以外に無いはずだ。もし彼と自分の立場がまるで逆であったのなら、インスタント料理ばかり食べて今にも死にそうになっている幼馴染を目にしたら、とりあえず助けに行く。何の他意もないそれだけの関係だった。


多分、あの女の子は雪名の彼女なのだろうなと思った。雪名はそれこそ女性に好かれるタイプの人間で、だからこそプライベートでは明確な境界を引いている。彼の許可なくその一線を越えようとした者には、優しくそれでいて冷酷に彼は突き放す。そんな雪名が手を繋ぐことを許したくらいの女の子だもの。どれくらい親しいかなんて直接本人に聞かずとも分かりうるものだった。


なんでその線を、俺には引いてくれなかったのかな。掠れた声は恨み節だ。


俺のことを好きじゃないなら、こんなに近づかないで欲しかった。放って置いて欲しかった。それならば雪名が俺のことを好きかも、なんて馬鹿なことを考えることもなかったし、俺だって雪名への想いを自覚することだってなかった。ああ、でも雪名を責めるわけにはいかないか。だっていつでも自分の家に遊びに来ても良いなんて、彼の来訪を許したのは俺だ。結局、何もかもが自業自得だった。そういうことなのだと思う。


好きだなんて一度も言われたことが無かった。だからその言葉をずっと待っていた。


でも、本当は。雪名は、俺のことなんて好きじゃなかった。だから、言わなかったのではなく、最初から俺が貰える言葉ではなかったというだけの話だ。


昔々に雪名が自分に告白してきたことなんて、彼にとっては過去のもの。自分だけが未練がましく縋り付き、自らの望みを現実に投影しただけなのだ。雪名がくれる優しげな微笑みも、暖かな言葉も、差し出してくれた掌も。雪名が俺に与えてくれていたものは、幼馴染であり家族のものであって、それ以上では無い。あんな些細な台詞が、どうして今の今まで続いていると信じることが出来ただろう。何故雪名が幼い頃の恋心を今も胸に抱いていると錯覚したのだろう。俺は、あんな言葉一つで雪名を繋ぎ留めることが出来ると思っていたのか。


一人で舞い上がっていた自分が恥ずかしい。まるで道化だ。


本当はあの時二人の手を薙ぎ払って、雪名から離れろと言ってやりたかった。でも俺には何一つその権利など無かったのだ。ああ、可笑しい。とても笑える。両想いだったと思っていたのに、本当は自分の一方通行だったなんて。何もかもが自分の勘違いだったなんて、本当に馬鹿だね、俺は。


握り締めた手の甲に何かが当たる感触がして、ぱっと顔を上げた。それが自分の涙であることに気づく。


ああ、くそ。こんなことになるなら、さっさと雪名に告白しておけば良かった。最初から振られてしまえば、期待なんかせずにすぐに諦められた。ここまで苦しむことだって無かったのに。単なる幼馴染として、彼ら二人をからかうことだって出来たはずだ。それが不可能になった理由は全て自分自身の傲りにある。



瞼を閉じた瞳からは、次々と涙が溢れた。噛み締めた唇からは音にならない声が漏れる。


そっか、そうだったのかと自分自身を笑った。今更気づくなんて遅すぎることかも知れないけれど。俺は、雪名のことを。


泣くほど、好きだったのだ。





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