大学構内にある黒革のソファの上に座ってゆっくりと寛いでいると、後方から高野さん、と名前を呼ばれた。気づくと同時に隣に座ったのは小野寺で、何を読んでいるんですか?と彼は興味深々に俺が手にしていた用紙を覗き込む。


「…大学院募集要項?何ですか、これ」
「見たまま以外に俺にどう説明しろと」
「まさかまた、弟と一緒にいたくてこの大学に通う、なんて言い出すんじゃないでしょうね」
「ねーよ」
「ま、それなら結構です。神聖な学び舎に私利欲だけで通うつもりがなければ。それは良いとして、折角ですしそろそろ一緒に待ち合わせの場所に行きませんか?もしかすると律達がもう待っているかもしれないし」


小野寺に急かされて、書類をかき集めて鞄の中に押し込んだ。今日は何を食べましょうかと、嬉々として語る小野寺に、先程のことは全く気取られていないことに安心する。その一方でこいつは頭が良いくせに本当に鈍感だよな、と嘆かずにはいられない。


弟ではなく、小野寺と離れたくないから、その手段を必死になって考えているというのに。


自分の気持ちを自覚したのはあの事件の直後のことで、数日の間はあまりにも衝撃的すぎて何度もベッドの上でごろごろとのたうちまわった。一時の気の迷いだと言い聞かせるも、小野寺への想いは積もるばかりで。ある日とうとう耐え切れなくなって、弟に自分の心情をそのままに告白した。兄さん、気づくのが遅すぎる。それが苦笑いを浮かべた弟の第一声だった。


「まあ、仕方ないよね。あんなことをしてくれてむしろ好きにならない方が不思議だから。小野寺さんだったら、もし付き合うことになっても兄さんを大切にしてくれそうだし。賛成しても、反対する理由が見つからないよ」
「随分冷静だな」
「俺は普通だよ。兄さんが冷静じゃないから、きっとそんなふうに見えるんだね。自分の心が見えなくなるのが、恋ってものだから」
「なんつーか、もう、むず痒くて仕方ない」
「それくらい我慢しなよ。誰もが通る道だから。むしろ、俺はほっとしたよ。良かったね、兄さん」


また誰かを愛することが出来て。


後で聞けば織田の方は弟よりも先にその事実を知っていたらしい。俺、言いましたよね?高野先輩が律っちゃんの優しさを理解できたら、きっと好きになりますよって。そういえば、確かにそんなことを告げられた気がする。過去を思い出しながらちらりと横目で織田の様子を伺えば、彼はいつもと同じようににこにこと微笑んでいる。その姿を見る限り、特に反対をするつもりは無いように思えたし、きっとそれが正解だろう。


外堀ばかりをせっせせっせと埋めてみたものの、肝心な小野寺との間にそれ程目立った進歩は無い。自分から歩み寄らなければいけないと知りつつも、最初の一歩は踏み出せぬまま。でもそれは俺の勇気が足りないからという訳じゃない。覚悟はとっくに出来ている。


俺は、待っているのだ。小野寺が変わってくれることを。それだけを信じて。


「あ、律っちゃんに、高野先輩」
「ごめんね。待った?」
「ううん。丁度嵯峨先輩と一緒に今来たところだよ」
「小野寺さん、今日は何処にご飯を食べに行きますか?」
「んー。前回は俺のリクエストだったからなー。で、その前は嵯峨くんと律でしょ?そうすると今回は高野さんが行きたい所かなって」
「それもそうだね。兄さんは、何か食べたいものはある?」
「何でも良い」
「それが一番困る回答ですよ、高野さん」


そうやって四人で揉めに揉めた結果、最終的には何でも一通り揃う在り来りなファミリーレストランに向かうことになった。どうやら織田が推薦した場所らしく、こっそりと俺に“昔律っちゃんが連れて行ってくれた例の場所ですよ”と教えてくれた。


道路の先に、弟と織田が楽しげに寄り添いながら歩く姿が目に入る。その様子を見守るように俺の隣にいた小野寺が、ぽつりと言った。良いなあ、と。


「俺、あの二人がああしている姿を見るのが一番好きです」
「全くもって同感だな」
「良いですよね。二人共お互いのことが大好きで、それがこちらにも伝わってくる。正直羨ましいです。俺も、二人のように心から誰かを愛することが出来たら、」


会話の途中で自分の台詞に恥ずかしくなったのか、小野寺は頬を赤らめてぶんぶんと手を振る。いや、でも俺にはこういうのは似合いませんよねと苦笑いをする彼に、そんなことはないだろ、ときっぱり否定した。俺の言葉が意外だったようで、小野寺は少し驚いたように俺の顔を見上げている。


「まさか高野さんに恋愛関係で慰められる日がくるとは。でも、一応ありがとうございます」
「一応って何だよ。一言余計だ、お前は」


怒るそぶりを見せれば、小野寺はそのやり取りが楽しいとでもいうように、柔らかに微笑む。


「高野さんも、ちょっと性格が捻くれていますけど、それが優しさだと分かってくれる人は必ず現れます。俺が保証します。高野さんは、きっと素敵な恋が出来ますよ」
「それはそれは、励ましていただきありがとうございます」
「もし好きな人が出来たら、是非俺に教えてくださいね?全力で応援します。大丈夫ですよ。高野さんが好きな人なら、その人も高野さんのことを好きになると思いますから」
「…あのさあ、小野寺」
「はい?」


そこまで言われて、流石に二の足を踏めるはずもない。


「今、教えても良い?」
「…え?何を、ですか?」
「俺の好きな人のこと」


状況が理解できていない小野寺の腕を掴み、勢いのまま自分の体へと引き寄せる。そして無防備だった彼の頬に、自分の唇を躊躇いもなく押し付けた。


「俺が好きなのはお前なの」


小野寺は自分の頬を掌で抑えながら、ぽかんと俺を見つめている。しばらく呆然と佇んでいた彼は、突如はっと意識を覚醒させた。薬缶が沸騰する如く小野寺の顔が一瞬にして真っ赤になるのを見たのが最後で、直後顔面に衝撃が走り瞼の奥に星が飛んだ。平手打ちされたということは、まあ予想していた反応の一つだったのでさほど驚きもしなかった。


「ば、馬鹿じゃないですか!」


大声でそう告げたかと思えば、小野寺は俺から逃げるように明後日の方向に走り去ってしまった。どうやら一部始終を見ていたらしい弟達が、こちらに向かって引き返してくる。ふっくらと赤く腫れた自分の顔を確認して、呆れた様に弟が言った。


「最初から随分派手にやらかしたね、兄さん」
「インパクトはあっただろ?あれ位が丁度良いんだよ、小野寺には」
「急展開すぎると思うけど。あんなの逃げられて当然でしょ。まあ、ここで兄さんを責めても仕方ないか。それにしても食事に行く約束はどうするのかな、小野寺さん」
「うーん。律儀な律っちゃんのことだから、きっと来ると思うけど」
「絶好のチャンスだな。お前達も協力してくれ」
「……本当、それでこそ兄さんだよ」


転んでもただで起きる気が全くない俺を、弟が喉の奥でくつくつと笑う。それにつられるように織田も両手を組みながらほくほくと微笑んでいた。


「分かっていると思うけど、小野寺さんの相手はきっと大変だよ」
「かもな。でも、それで嫌いになれたら苦労しねーよ」
「でも、俺は大丈夫だと思います。高野先輩はこんなに律っちゃんのことを大切に想っているなら、きっとその気持ちはいつか届きます。律っちゃんも、そんな優しい高野先輩を、絶対に好きになります」
「良かったね、兄さん。律の予想は物凄く当たるから」
「ああ、心強いことこの上ないな」


大真面目に言葉を交わしていたはずなのに、何故だか猛烈な笑いがこみ上げてきて。結局ほぼ三人同時に吹き出して、けらけらと声をあげて笑ってしまった。おそらくは、平和で。馬鹿みたいに幸せすぎて。


「それで?兄さんの作戦はどんなもの?」
「成攻法。俺の小野寺に対する熱い想いを、食事中に三対一で語る」
「鬼畜だね」
「何とでも言え」
「嵯峨先輩、そんな言葉は失礼ですよ。この場合は一途って表現してあげましょう?」


守られてばかりいたから、これからは小野寺を守ろう。全会一致の誓いは、きっとこの先一生続いていく。それを知った小野寺は、「誰が守られたままでいられますか!俺だってみんなを守りますよ!」とか何とか文句を言うのだ。そうなったら、後は小野寺に俺が教えてやるだけだ。弱いから守られるのではなく、守られている自分を許すことも、強さなのだと。


守り守られ前に進んで、そうやって強くなってゆけたなら。もう誰かの為に泣くこともなく、涙を流した分だけこれからはきっと笑い合えるはずだから。


今度こそ、一緒に。



誰かの為に泣くということ。これから高野さんによる怒涛の口説き落としが始まります!お付き合いありがとうございました!


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