いつも通りに吉野の自宅へと赴けば、玄関口に巨大なかぼちゃが置かれてあった。


先程通り過ぎた花屋で、終わったばかりのハロウィン用のお化けかぼちゃが二束三文の値段で売られていたことは知っていた。イベント用に育てられたそれは通常のかぼちゃよりは数倍サイズが大きいものだが、一方味はお世辞にも食用に適していると言えない。というかこれをどうにかして食うつもりなのかあいつは、どうせ作らせる気なんだろう俺に。と思い当たった瞬間に、ソファーの上でぐうぐうと眠っている吉野をどなりつけて起こしてしまった。まるで雷に打たれたようにびくりと大きく体を震わせ、え?俺、また何かやった?と不思議そうに彼は首を傾けている。全ての動作について、吉野自身にとって全く悪気がないのだから始末に終えない。悪意なく人を不愉快にさせるというのは、ある意味高度なテクニックなのかもしれないが。


「あれは何だ」
「は?あれって何?」
「玄関に置いてあったでかいかぼちゃのことだ」
「ああ、あれ。良いでしょ?アシスタントの子が八百屋で安く売ってるって教えてくれたから、つい買ってきちゃった。かぼちゃのくせに十キロもあるんだぜ?結局配達してもらったんだけど」
「それで、どうするつもりなんだ」
「どうするって決まってるだろ?」


何を言っているんだと呆れたように、吉野が自分に向かって何かを差し出す。反射的にそれを受け取ってみれば、掌の中に転がる超特大油性マジック。意図が分からず唖然としていると、へらりと笑いながら吉野が言った。


「顔を描いて、ハロウィンを楽しむ!」


ずきずきと痛む頭を抱えて項垂れる。聞いた俺が馬鹿だった。


冷蔵庫の中に珍しく食材が入っているかと思えばこれだ。凍えるような白の狭い室内の中には、これまた無数のかぼちゃが隙間なくひしめき合っている。八百屋のおじさんが普通のかぼちゃもどうかって、しかもサービスしてくれるって言うから、つい。とあっけらかんと吉野が言った。お前、毎日かぼちゃ食うつもりなのか?と聞いてみれば、食わないよ、皆にもあげるから大丈夫と通常通り考え無しの返答。何が大丈夫だかさっぱり分からないが、その“皆”の中に自分が含まれているか否かは今更聞くまでもないだろう。


とりあえず、包丁で手当たり次第かぼちゃに切り込みを入れていく。かぼちゃの煮物とかぼちゃのコロッケ。あとはかぼちゃのスープとかぼちゃサラダ。バリエティ溢れる品々だが、素材は勿論全てかぼちゃだ。作り置きの分を考えると、アシスタントの皆に一つずつ分配すればうまく食べきれるはずだ。食卓がたった一品の材料で埋め尽くされるのは微妙だが、まあ一日くらいは余裕で我慢できるだろう。味には確実な保証がある訳だし。


夕食の支度をようやく終えて吉野を呼び寄せてみると、あの巨大かぼちゃと遊んでいた彼はあっさりとこちらにやって来た!おお!美味そう!と瞳をきらきらと輝かせながら箸を取る。美味しい美味しいと感情のまま喜ぶ吉野を見ていると、次第に自分の険が取れていくのが分かった。この程度の料理で喜んでくれるとは、相変わらずに安い男だ。


一段落ついて放り出されていた巨大かぼちゃにはいかにも、というまん丸な目とぎざぎざの歯がオレンジ色の表面に描かれていた。一応は漫画家なのだから当然と言えば当然なのだが、絵本に出てくるようなお化けの絵。その絵の上手さにしばし感心していると、席を離れていた吉野が仕事部屋からカッターを持って現れた。


「何をするつもりなんだ?」
「中身を取り出して提灯みたいに出来ないかなって。ジャック・オ・ランタンって言うんだっけ?ああいうの作ってみたいなと」
「中の綿と身を取り出さないとまず無理だろうな。上の方を切ってスプーンで中身を取り出して。あとで目と口の輪郭通りに切り抜けばいい」
「お。なんか珍しいな〜。トリが遊び心を理解してくれるなんて」
「そのままにしておくと野菜だから腐るからな。中身はミキサーにでも掛けて濃い味付けで焼きプリンにしておけば何とか食えるだろ」
「ああ、そういうこと」


多少意気消沈している所に、自分はキッチンから包丁を持ってくる。何だかんだ言って手伝ってくれることだし、しかもプリンも作ってくれるし。良く良く考えたら自分にとっては良い事尽くしであると気づいたのか否か、普段の吉野に戻って無我夢中でかぼちゃに戦いを挑んでいく。そういえば昔にも同じようなことがあったっけと思い出す。夏休みの工作か何かで、宿題はほとんど手をつけないくせにその代わりに作品に対しては揺るぎない愛情を注いで。第三者である自分すら巻き込んで作り上げたその芸術品は、だからあれ程人の心を惹きつけたのだろう。何年も前からコイツはちっとも変わってないよな、と内心で呟き、そして僅かに微笑む。


「でもさー、何でジャック・オ・ランタンって言うんだろうな。ランタンってのは聞いたことあるけど。キャンプとかでよく使うライトみたいなものだよな?分からないのはジャックって方。どうしてもジャックと豆の木を思い出しちゃって、人の名前なのかなって」
「その通り、ジャックという男の名前だ」
「へ?そうなの?…てゆうか、なんでトリがそれを知ってるのさ」
「他の作家がその系統の漫画を描く資料を探した時に知ったんだよ」
「へえ。魔法使いが出てくる漫画かな?うん、俺はあんまりそういうの得意じゃないけど面白そうだな。ね、他には?知ってること何かない?」
「他には、ねえ。……これならどうだ?かぼちゃの中で瞬く火が、実はそのジャックという男の命であること」


ありきたりな昔々のお話だ。村にはジャックという大酒飲みで嘘つきの男がいた。ある日ジャックの前に悪魔が現れ、当然のように彼の命を奪おうとする。しかし彼は機転をきかせ、悪魔を言いくるめることによってその危機を回避した。男の願いによって悪魔が銀貨に変化したところで、彼は十字架付きの財布の中に閉じ込めてしまったのだ。十年は命を奪わないという約束を結び、悪魔は一旦その姿を消す。そして十年後、さあ約束通り男の魂を取るぞという時点になって、ジャックは死ぬ前にどうしても林檎が食べたいと口にするのだ。悪魔も林檎くらいは、と気を許し、木の上の実を目指して登ったところ、ジャックはその木に十字架を描いた。身動きを封じられた悪魔は、泣く泣く「この男が死んだ後、地獄に行かせてはならぬ」という誓約書を書き記してしまう。


そうして何十年が過ぎ、とうとうジャックの寿命が訪れた頃。日頃から嘘をつく愚かな人間であったジャックは、当然のように地獄へと導かれた。しかし悪魔と交わした誓約書が効を成し、ジャックは地獄行きを免れる。これで彼は天国に行けるかと思いきや、粗暴なジャックを天使達が招き入れることもなく、結果彼は存在する場所を完全に失ってしまったのだ。


ジャックは、この世とあの世の間を永遠に彷徨い続けているのだという。


当時の人々は地獄に落とされるよりも、天国と地獄どちらにも招かれないことの方がより残酷だと考えていたのだ。人も悪魔をも騙した非道な男は、石炭をくり抜いたカブの中に入れ、僅かな光をもって辿り着くはずもない自分のあるべき場所を目指して今も尚浮遊する。


「カブが何故かぼちゃになったのかの経緯は知らんがな。確かそういう話だったと聞いている」
「天国にも地獄にも行けないってことは、結局は現世に留まれるんだろ?天国に行くよりは辛いのかもしれないけれど、地獄に行くよりはマシなんじゃないのかな?」
「誰にも声が届かない、誰にも自分の存在に気づかない。自分の心を知ってくれない。それが永遠の時間だとすれば、これ以上のない拷問だろ。地獄とそう変わりない」


そう断言すると、妙に吉野の機嫌が悪くなる。ぶすっとした顔を浮かべて、黙々と目の部分をくり抜いている。自分の考えを否定されたのが悔しいのだろうか?否、それにしても変だ。もしそうであれば吉野の場合、大見得を切って反論する。それが今は沈黙のままだ。何か俺はまずいことを言ってしまったのだろうかと、少々不安になってしまう。


通常とは違う吉野の態度に、何と声をかければいいのか悩む。しかし結局は何も言い出せないまま、そうこうしているうちにかぼちゃ型のランタンが完成してしまった。


いつの間に準備をしていたのかは分からないが、おあつらえ向きに幾つかの蝋燭が彼の掌の中にあった。身長にかぼちゃの中へと埋め込んで、さあ火をつけようという段階になって、マッチ箱を自分に向かって渡してくる。


訝しげに吉野の顔を覗きこめば、彼は真一文字に唇を結んだままだ。仕方なしに小箱の中から一本を取り出し、ざらついた側面に勢いよく擦りつける。ぽっとその先端に赤い火が付き、それを蝋燭の糸に移し替えてやった。


本来の姿を確認する為か、パチリと吉野が部屋の電気を落とす。テーブルの上に置かれたその灯りをぼんやりと眺めながら、即席にしては割と良く出来ているではないかと考えていた。と同時にソファーの軋む音。吉野の体重が預けられた証拠でもあった。


「言ってくれていいから」


沈黙を守っていたはずの吉野が、唐突に言葉を発した。


「何が?」
「俺、トリよりも馬鹿だし鈍感だし。だからお前の言いたいことが何もかも分かるわけじゃないけど、だからこそ何かあるんなら正直に話して欲しい。全部が全部俺に出来ることとは限らないけど、頑張れるものなら頑張ってみる」
「……お前、何を言ってるんだ?」


突然決意表明なことをされてみても、その意味がちっとも分からない。疑問符を浮かべながらしばらくは彼の思考を推し量っていたのだが、それにしびれを切らしたように吉野が俺の掌に自分のそれをそっと重ねた。


「トリがかぼちゃのお化けになるのは嫌だ」


その台詞で吉野が何を言わんとしているのかが漸く分かった。いつも通りの漫画家らしい飛躍的な考えに、思わず大きな溜息が出る。と、その直後に笑い声も。全く、変に心配して損したとばかりに肩をすくめて、でも表情には笑みを貼り付けたまま。


誰にも声が届かない、誰にも自分の存在に気づかない。自分の心を知ってくれない。それが永遠の時間だとすれば、これ以上のない拷問だろ。地獄とそう変わりない。


この台詞を、吉野は俺の二十八年間に置き換えて考えたというだけの話だ。


俺が吉野のずっとその隣にいたのに、好きだというたった一言さえ言えずに。そんな恋心が存在しているとさえ気づかずに、けれど唯一無二の幼馴染であり親友という役割をそれが当たり前のように演じさせていた。吉野は、俺とジャックとやらを重ねてそのことを悔いているらしかった。長い間、そんな辛い想いをさせてごめん、と。


全く呆れた奴だなと思った。だけどそういう吉野だからこそ、俺は好きなのだ。


天国にも地獄にも行けずに彷徨ってしまう原因は、そもそも男の悪行が問題だった。それも実は俺自身に等しくて、結果に関わらずもっと早く吉野に打ち明けてしまえば良かったのだ。天国に行くよりも地獄に行く方が可能性は高いから、吉野に拒絶されたらきっと苦しいから。訪れるであろう結果を天秤に掛けて、結局は自分の弱さが招いた時間。それを彼自身のせいにする程、俺は愚かではないのだ。


「何笑ってるんだよ」
「いや」


お前が可愛すぎて、なんて台詞が吐ける訳もない。


「それなら、とりあえず締切は守れ」
「…善処はします」
「家事ぐらい自分で出来るようになれ」
「あれは俺には不向きって言うか…、いや、でも頑張ります」
「俺以外の人間と出かけるのは駄目。話すのも駄目。見るのも駄目。お前はずっと俺だけを見てろ」
「……無茶言うなよ!」


横暴な嘆願に吉野が憤慨したように声を荒げる。それに吹き出して笑って、思わず逃げ腰になった吉野を優しげに抱きしめた。


「じゃあ、この一つだけで良い。俺のこと、ずっと好きでいてくれ」


祈りを込めるようにして言えば、腕の中にいた吉野は戸惑ったように、そんなの当たり前だろ、と答えてくれた。二十九年間隣にいてくれた男を、今更嫌いになれるかと歯切れ悪く付け足して。


自分勝手な想いを全て吐き出したあの時の瞬間に、きっと俺の心は空っぽになってしまったのだ。何もかもを諦めて煉獄の炎にまさに焼かれんとした瞬間に、彼の掌が俺を引き止めた。そして何もない心に吉野はまた、彼自身を愛おしむ情を与えてくれたのだ。行く先が天国か地獄かなんて分かりはしないが、それでも心にこの灯火があれば。迷いながらそれでも自分達が望む世界にたどり着けるような気がしてならないから。


未来を灯す暖かな光。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -