窓の外を見るに本日の天気は良好。空には絵の具をぶちまけたような青空が広がっていて、その中には真っ白な雲が悠々と泳いでいた。いかにも洗濯日和な今日この頃。対して、自分の精神状態といえば、漆黒に限りなく近い灰色と称して問題ない。最悪すぎる目覚めだった。健全過ぎる朝日が目に染みて酷く痛む。


鉛のように重い体には、そこらかしこにべったりとした液が張り付いていた。シーツは整えられていた原型もなく何とも悲惨なことになっていて、また洗うところからやり直しかと頭を抱える。腰に響く鈍痛を抑えつつ、原因を作った張本人をぎりりと歯を噛み締めながら睨んだ。人の視線などものともせず、奴は未だすやすやと気持ち良さそうに眠っていて。それにぷくりと頬を膨らませ、すぐにしゅううと空気を抜いた。相手の意識がない以上、面倒な反応はすべきでないと判断したから。


俺は嫌だと言ったのに、とか高野さんが無理矢理、と相手が無反応にも関わらず恨み言を何度か繰り返し、最終的には自身に呆れ果ててしまうのだ。彼の行動はもはやお決まりのルーチンワークで、だとするのならそれに対抗出来ない自分は何なのだと。自分の無力さを思わず嘆く。


まずは兎に角シャワーを浴びよう。後のことはその時にと起き上がったものは良いものの、案の定ずべりと勢い良く床に転がり込んでしまった。痛いのは腰だけかと思いきや、全身の筋肉が萎縮してしまったようにきりきりと引きつけをおこしている。普通に歩こうと何度か試み、結局は這いずるようにバスルームへと辿り着いた。何とも情けない話だ。


勿論平常通り立っていられるはずもなく、椅子の上にぺたりと座りこんだ。シャワーヘッドから落ちる暖かな水滴が顔に落ち、ほっと一息つく。疼痛をなだめながら丁寧に体を洗っていくと、そこかしこに奴が皮膚に口づけた痕跡が残されていた。高野さん、痕残すの好きだよなーとどうでもいいことをしばらくの間考えて。


思い切って立ち上がると、何とも言えない感触が背筋を這い、と同時に太腿に生暖かいそれが伝っていくのが分かった。途端、顔が満遍なくかあっと高揚する。常々のことだとはいえ、この感覚はいつまでたっても慣れない。


そもそも、男が男を好きになるなんて相当おかしな事だよなと思う。


生物学的に言えば、同性同士における性行為などは無意味に等しい。一時の快楽を求めることならまだしも、それがいつかは新たなる生命を誕生させる訳もなく、非生産的にも程がある。淫らな行為に没頭している最中ならまだしも、こうやって意識を覚醒しいたく合理的に後悔するくせに、結局は高野さんとの関係を止めることなんて出来やしないのだろうと心の何処かで知っている。未来に残すにも値しない無為な時間を、これっぽっちも認めてなんかいやしないくせに


何処かで聞いたことがある。同性を好きになる感情が生まれるのは、脳の異常が原因だと。いっそのこと頭が変だと言われた方が楽だっただろうか。結局は男しか好きになれないのだからと、言い訳に使った方が良かっただろうか。


自分の体の中に残るあの人の残滓を零しながら考える。答えは結局見つからないまま。


風呂からあがって大分すっきりしながら部屋に戻ると、ベッドの上には未だ高野さんの姿があった。無論奴を起こして追い出さない限り、存在が消えてなくなるわけでもないのだが。彼を見ると否応なしに現実を突きつけられて嫌になる。行為を当たり前にする間柄でもないのに、結局どうあがいても受け入れてしまう自分にため息をついて。


とりあえず、この人を深い睡眠の中から引きずりだそう。最初は静かに髪を引き、次に頬をぺちぺちと叩き。それでも起きないのでその体を豪快に揺さぶる。と聞こえたくぐもった笑い声。どの辺りから起きてたんですか?と尋ねてみれば、お前がこの部屋に戻ってきた辺りからとの答え。相変わらずに意地の悪い人。


濡れた髪ごと引き寄せられ、乾いた唇が押し付けられた。


「朝っぱらから何考えてんですか?」
「気になる?そんなに知りたいのなら教えてやるけど」
「良いです結構です遠慮します喋らないでください!」
「何でそんなに全力で拒否するんだよ」


喉奥で笑いながら、高野さんはするりと服の中に手を差し込む。拒む理由などつまりはたった一つで、わざわざ教えてもらわなくても思い当たることがあるだということ。あーあ。先程シャワーを浴びたばかりなのに、また汗だくになるのかと心の中で嘆息する。まあ、今更この状態では戻れないよなあ、と荒い呼吸を吐き出しながら考えた。


嫌だ嫌だと口にする割には結局のところ受け入れて。言葉と行為が全くもって伴わない自分にうんざりだ。それでも分からないものは分からない。何故こうまでされても俺はこの人の跳ね除けることが出来ないのだろう。自分の心情すら理解出来ぬまま延々と抱かれ続け、そんな俺は高野さんにはどう見えているのだろう?………単なる性欲処理として?と思いついて胸がちくりと痛んだ。何もかも矛盾している。おかしくて歪。それでも、心から自分を求められると拒めない。自分が分からない。何もかも理解出来ない。


じり、と胸の奥が焦げる。ああ、この感情に何と名前をつければ良いだろう。


*

随分と変な夢を見たものだと目を細めながら考えた。自分の腕を伸ばしながら手の甲を見る。夢の中でみた一回り小さなそれではなく、見慣れている自身の掌。全く馬鹿げた夢だった。俺は小野寺の心を欲しいと願ったことがあるが、俺が小野寺になってどうするのだと一人ぼやく。


求めるだけ散々に求めて、疲れ果てたように腕の中で彼は眠る。


夢の中で小野寺は酷くつまらないことで悩んでいたと思う。先刻のシチュエーションの立場を入れ替えたくだらない幻。なのにその情景は何処かリアルだった。時たま彼は戸惑ったように瞳を揺らめかせることがある。そうさせる原因が何なのか気にはなっていたが、偽りの中で見つけたそれこそが真実のように思えた。


「馬鹿じゃねーの」


自然と口をついて出た台詞だった。何を悩んでいるかと思えばそんなことかと哂った。その声に安堵の息が含まれていたことを否定はしない。また勝手に一人で悩んで、勝手に落ち込んで、勝手に逃げられるよりは余程良かった。そうして次に小野寺が目覚める時には、彼の迷いなんて粉々に打ち砕いてやろうと心に決める。


そんなちっぽけなことで悩むのも、全部俺が好きだからだろうに。


その根本を認めようとしないから、何もかもが分からないのだ。逆に言えばそれさえ認識してしまえば、全ての辻褄があってしまうのに。けれど彼にとってはそれを理解することは酷く難しいことなのだろう。俺の気持ちを否定することで彼は十年を生きてきた。だから、今はまだ。


ばぁかと呟きながら、もう一度その体をしっとりと抱き締める。


折角だから答えてやるよ。お前が俺にどう見えているか。こんな些細なことでぐじぐじしながら、けれど本気で悩む小野寺を見ていると、心から愛しいと思うよ。いつもいつも俺のことばかり考えて、その度に泣きそうになって。いい加減分かれよ。俺はお前のことが好きなんだよ。そして、お前も、俺のことが。


胸の深いところから湧き上がる激情。夢の中の彼の心と同じもの。


それを人は愛と呼ぶ。



Mirage Scope(ミラージュ・スコープ)一つのものが多面的に見えるレンズのこと。

高野さんと律っちゃんの中身が入れ替わってしまう話


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