最近自宅に帰るのが非常に怖い。


そうは言っても帰宅しないわけにもいかないので、とりあえずその時間を少々先延ばしする為だけに毎日毎日寄り道を繰り返している。大体は図書館や本屋だが、今日はたまたま近くにあった雑貨屋なんかに入ってみた。先日についうっかり割ってしまったマグカップ。丁度良いからこの店で買ってしまおう。自分自身を納得させる言い訳が上手く出来たことに今はちょっと安心する。


店の店内は隈なくオレンジ色の塗料。壁には「Happy Halloween」の文字が書かれたポスター。橙色の陶器で作られたジャック・オー・ランタンにお化け装飾のキャンディー。携帯電話で日付を確認して思い出した。ああ、そういえば今日はハロウィンか。


留学先のイギリスではよく子供達がお化けに扮してお菓子をねだり歩いていたのを思い出す。ハロゥインがイギリス発祥の地だということもあり、あちらでは大人も子供も一緒になってその恒例行事を楽しんでいた。そういえば自分も変装なんてしていないのに、近くに住む夫妻から沢山のお菓子を貰ったっけ。結局一人で食べきれずに友人とお互い分け合って食べて、その後しばらくお菓子を見るのも嫌になったなあと思い返して、一人笑う。


お祭り好きな日本人のことだから、由来なども知らずにその慣習だけを輸入したのだろう。楽しいものをもっと楽しみたい。つまりはそれだけの話なのだが、真面目なくせにどこか面白みのある日本人に愛着を感じてしまう。まあ、自分も同じく生粋の日本生まれなわけだけれど。


店内をうろうろと歩いていると、ポケットに突っ込んでいた携帯電話が大きく震えた。どうやらメールが届いたらしく、その文面を確認してうへえ、と声を漏らした。差出人は勿論あの人。早く帰ってこい、映し出されているのはその一言だけだ。それだけで若干怒ってるなこいつと分かってしまうのは、まあそれなりに深い付き合いをしているからだろう。


結局ハロウィン仕様のマグカップを購入して店を出た。日に日に帰宅する足取りが重くなるのを感じつつ、手には小さな紙袋を一つ携えて。


自分の部屋に戻ると、そこには案の定待ちくたびれたような表情を浮かべた高野さんがいた。ローテーブルの上には今夜の夕食らしき料理が、所狭しと並べられている。人の家に勝手にあがりこんで何してんですか、あんたは!という台詞を今は吐けない。何故なら高のさんはこの部屋に来る正当な権利を持っているからだ。明言はなるべく避けるが、つまり彼との関係は上司部下、隣人という存在では説明出来なくなったということだ。そういう距離になったのは数日前のことだが、それを良しとして高野さんが前置きもなく部屋に入りこむようになった。文句を言えば、恋人なんだからこれくらい当然だろ、といたく飄々と答えやがる。それに反論できない代わりに、帰宅時間を遅らせるしか俺には手段がない。何とも幼稚な反抗だ。……子供か俺は。


渋々ながらも、ご飯は一緒にいただきます。高野さんの作る料理は、むかつくけれど美味しい。ゆっくりと咀嚼しながら高野さんに向かってちらりと視線を送れば、にやにやとこちらを見ながら笑っていた。彼曰く、こうして誰かと一緒に夕食を食べるのが酷く嬉しいのだという。昔はいつも一人で食べていたから、それが誰よりも好きなお前と共にすることが出来るなんて、と熱っぽい声で言われたらひとたまりもなく、結局こういった状況を生み出してしまった。惚れた弱みともでもいうのか。俺も高野さんには重々甘い。


押し込まれるように入った風呂上がり、ソファーでぼんやりとくつろいでいると、同じくバスルームから出てきた高野さんがやって来た。しばらくは大人しくドライヤーで髪を乾かしているかと思えば、終わるなり人の上へとのしかかってくる。重い、と文句を言う唇はそっと彼のそれに重ねられて飲み込まれる。


「何なんですか?」


やけに性急で、思わず尋ねてしまった。


「お前が持ってきた紙袋」
「はい?」
「に、かぼちゃのお化けが描かれてあった」


ああ、あれか。確かに店側がハロウィンフェアなんていうものをやっていたから、紙袋の絵もその一貫だとは思うが。けれど、それが果たして何だというのだろう?


「こういうオーソドックスなものも、一度で良いからやってみようと思って」「はい?」
「お菓子をくれないと、いたずらするぞ」


にやりと不敵な笑みを浮かべながら近寄る高野さんに、あーはいはい、と言いながら深く溜息をついた。ぐいぐいと厚い胸を押し返して、高野さんを残してソファーから離れる。おい、という制止の言葉も聞かずに、部屋の隅に置いておいた例の紙袋を持ってくる。元の場所に戻って、わざわざ高野さんの前でそれらを広げてやった。


白い塗料の上に小さなかぼちゃや魔女の帽子や三日月が、ラインを描いてくるりと一周しているマグカップ。しかもペアのだ。プレゼント用品らしくカップの中には可愛らしいクッキーが詰め込まれている。つまりお菓子がここにあるということだ。どうだ、これで文句が無いだろう!とふふんと奴に渡してやってみれば、一瞬だけ固まってそして我慢していたものを吹きだすように高野さんはけらけらと笑い始めた。


「お前、どんだけ用意周到なの?」
「高野さんがそう言うかなって思っただけですよ。イベントもの大好きでしょ?」
「大好きっていうか、まあお前と一緒にいられる口実に使えるから、使ってるだけだけど」
「良いように利用されたらこっちが困るんですよ」
「お前、俺とするのそんなに嫌?」
「そうじゃなくて!こういうこと、適当に“いたずら”扱いしないでください」
「それが何…」
「今からすること、“いたずら”なんかじゃなくて“愛し合う”って言うんですよ!」


自分から口にしておきながらけれどその言葉があまりにも恥ずかしくて、言い終えた途端思わずぷいっとそっぽを向いてしまった。わざわざイベントものにかこつけなくたって、俺はもう高野さんを拒絶するつもりはない。彼と離れて十年、結ばれるまで十一年。結局やっぱりこの人と離れられないという事実をこれでもかと思い知らされたのだから。


マグカップからお菓子を引っ張り出し、そのまま高野さんに頭からかけてやる。楽しい日々を楽しむことの出来なかった過去の少年に。こんなもの贖罪にもなりはしないけれど。でも、それでも。


「くそ」


というやけに悔しそうな言葉を残して、高野さんはソファーの上で俺の体をぎゅうと抱きしめた。それを静かに受け止めながら、くすりと一つ笑った。俺の言いたいことが分かりましたか?と尋ねれば、十分すぎるくらい分かったさ、という高野さんの返事。


「つまり、これからずっとお前が俺の隣にいてくれるってことだろ?」


話が飛躍しすぎじゃないかと思いつつ、勿論それを否定することも出来ない。色々な覚悟の上での選択だ。あるべきだった未来を投げ捨ててまで、でも俺は高野さんを選んだのだ。そこに今更後悔も迷いもある訳がない。それは無論彼にとっても。


「お菓子は貰ったからいたずらはしない。でも、愛し合いたい」
「はいはい。実際目の前で口にされると恥ずかしいものですね」
「お前がそう言ったくせに。何を今更」


ソファーに体の重力を預けながら思うのだ。もしこの人をいつか失うことがあったとしたなら、俺はその時一体どうすればいいのだろうと。全くの杞憂に過ぎないけれど、ふとした瞬間にそういった不安が胸に芽生えてしまうのだ。まあ、きっとあの十年を軽く超えてしまうような時間に違いはないのだけどね。


自宅に帰るのが怖いのは、ここに失えない幸福があるから。


幸せすぎて怖いという台詞はきっと、こういう時に使うのだ。


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