実体の無いものは信じることが出来ない。


昔から神やら幽霊やらの存在を私は信じていなかった。夏にはよく怪奇現象を映像化した番組がテレビで放映されていたがそれらに興味を示していたのは同級生位で、私はそんな彼らを呆れたように見つめていた。幼い頃は、私にもあったと思うのだ。おばけの存在やそれらが如何に恐ろしいと盲信し、いつか奴らが襲いかかってくるだろう幻を信じる。無意味な幻覚を全否定してくれたのは私の母で、存在する“実体”には“実体”にしか影響を与えることが出来ないと、まるで子供に言い聞かせるではなく大人に説明するように諭してくれたものだ。ボールは勝手に落ちるのではなく、誰かが落としているからそうなるのである。だから落ちているものは、誰かがそうさせたに違いない。その誰かが分からないからと言って、それを幽霊や化物の存在のせいにするには間違いである。母の言い分は至極最もで、反論するべく方法も見つからず。それは長く“目に見えない者”に対する私なりの指標となった。


という話を大学の飲み会を称した合コンで話したのがそもそものきっかけだった。男共は私を夢が無いと笑ったものだが、私の方から見れば男の方が女に夢を見すぎているような気がして。もうちょっと現実を見たらと雰囲気台無しにした私にそれでもくすりと笑いながら同意してくれたのが彼だった。


それで色々と話をしているうちに、私達はそれなりに仲良くなった。二人の関係を言葉にするならそれは、あくまで友人であって恋人じゃない。ううん、本音を言えば私はそうなりたかったけれど、彼の方がその気で無かったというのが正しかった。彼の部屋にはいつも女の人の匂いがして、私なんか必要じゃないと哂っていたから。


でも、それがどうしたと思った。匂いが残ろうと何だろうと。それを作った人間が多くいようがいまいが、今此処にこうして彼の部屋に存在するのは私だ。死者が永遠に生者に適わないように、残像と実像での力関係は明らかだ。だから、勝者は私なのだと。


彼の部屋でその本を見つけたのはたまたまだ。一つの本を取り出そうとしたら一緒に落ちてきたというだけの。それを拾いながら彼は言ったのだ。この本は昔大切な人が自分にくれたものだと。


そこから私が見たものはつまりは白昼夢みたいなもので、だから信じるかどうかに関しては皆様全てお任せする。彼がその本をおもむろに開いたとき、白いもやのようなものがその紙面から出てきたのだ。あっ、と私が言葉を失くして驚いていると、そのもやは一つに固まって人型を作る。見えたのは幼い少年で、それには気づかない彼を背中からそっと抱きしめながら幸せそうにこう言ったのだ。


好き。好きです。好きなんです、先輩が。


どう考えても異常すぎる光景なのに、何故だか涙が溢れそうになった。今まで彼の部屋で感じた“彼は私のものよ”と言わんばかりの強い自己主張ではなく、ただその幻が本当に彼のことが好きで、好きで、たまらなく好きで。思わず口をついて出てしまったというような純粋な言葉だったから。


その存在に気づかない彼はそれでも一つ笑って見せた。勝てない、と瞬間的に分かってしまった。


まああの不思議体験はもう何年も前のことで、それ以来似たようなことすら私の周りでは起こっていない。ああいったものは一度で十分だし、一度きりでご勘弁いただきたいというのが本音だ。ぼそりと愚痴をこぼして、あの時彼が持っていたものと同じタイトルのものをレジに差し出した。その一冊と、もう一冊は可愛い赤ちゃんが表紙の所謂そういう系の雜誌。


まだ顔も見ぬ我が子を想い、あの時のことを考えるのだ。私が見た実体のないあの光景は、けれど確かに存在したものだったと。今もし私の周りで同じような現象が起ころうものなら、きっとそれは私の子供に違いない。


実体の無いものがもし“愛”だとするなら、あの現象が生まれたのは誰かが彼にそれを与えてくれたから。それは幽霊や化物じゃなくて、実は彼の知っている存在する人なんじゃないかなと今は思う。少年が彼のことを愛していたから。彼が同じくその少年のことを心から愛していたから、見えた。実体が実体にしか影響を与えないのなら、愛には愛でしか返せない。つまり想う心の強さで、私は彼らに白旗をあげて降参したのだ。


見えない誰か。消えない何か。


街の中で偶然にも彼の姿を見つけた。どうやら言い合いの真っ最中のようで、彼の隣にいた人物は何かに憤慨したように怒鳴っている。暴言を受け止めながらそれなのに彼の瞳は何処か嬉しそうで。それを見て、今声をかけるのは止めようと思った。その時の彼はとても幸せそうに思えたから。


最後に、と振り返りながら見た隣の人。彼よりも一回り小さなその人は、幻の中に居たあの時の少年と似ているような気がした。





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