混雑時を過ぎた食堂で、ざかざかと手を一心不乱に動かしていた。課せられたデザインの提出期限まであと三日。机の上で散々考えても出てこなかったアイデアが、気晴らしの昼食終了と同時に降りてきた。なんつータイミングだ、とは思いながら、鞄の中から紙とペンを用意する。ふう、と意識を改めるように深呼吸を繰り返し、白い紙の中にいる平面の人に素早く服を着せてやる。


偶然にもふとよぎったイメージの端を掴み、するりと抜けていきそうなそれらを逃がすまいと。


しばらくの間時も忘れて書き続け。ようやく靄が掛かっていたような自分の考えが、白い紙の上に鮮明に描かれ閉じ込められる。よし、これで今度の課題も何とかなりそうだ、とほくほくしながら前を見れば、知らぬうちに親友がいたものだから驚いた。


「終わった?」
「………まあね。てゆーかいつからいたの?」
「里緒が鞄をごそごそやってるあたりから」
「ほとんど最初からじゃない。声かけてくれたら良かったのに」
「一応これでも芸術家の端くれよ?集中力を削ぐような無粋な真似なんてしないわよ」


言い終えると同時に、ささ、と紙パックのジュースを手渡してくる。お疲れ、と可愛らしく笑ってくるあたり、全く持って出来た友人だ。遠慮することなく受け取り、即座にずずりと啜る。慣れ親しんだ味を腔内で堪能していると、飲み込んだのを見計らったように友人が尋ねてきた。


「里緒がこんなところにいるって珍しくない?」
「あんたこそ。食事はお弁当派じゃなかったの?」
「お弁当は持ってきてるけどね。食べる場所がさ」
「あー…」
「あー、ってことは何?もしかすると同じ理由だったりする?」
「せーの、で答え合わせでもしてみる?結果は見えてるけど」
「これほど盛り上がりのない答え合わせもないわよね。………せーの」


居心地の良い教室を逃げ出してまでここに来た理由。聞かずとも互いに理解している。


全ては、雪名皇という人物のせい。



学園の王子様である雪名皇という男に恋人が出来たらしいという噂は、瞬く間に大学中に広がった。彼と付き合っている人物が長く不在だったために、ただでさえ五月蝿い女共が公害レベルで騒ぎ始めやがった。その噂が真実であるかを皇本人にわざわざ確かめにいって、誰かは言えないけれど付き合っている人はいる、と彼自身に宣告される。その告白にショックを受けて女生徒達は石化し、しばらくして息を吹き返すと同時に彼に突撃したそのままの勢いで私達に詰め寄りやがるのだ。雪名くんと付き合っている人は誰なの?と。知らぬ存ぜぬを突き通そうとしても、いや、そんなはずない。だって里緒達が雪名くんのお友達では一番仲良しでしょう?と諦めることなく食って掛かる。


実際は名前から趣味までその全てを知っているのだけれど、仲のいい雪名に口止めされているからこそ言えはしないのだ。


教室という安息の場所を追いやられ、食堂という何ともデザインを描くには不釣り合いな所にいるのも全てはそのせいだ。いつもの場所にいれば確実に自称雪名ファンクラブメンバーに捕まる。捕まったら最後、その日の二十四時間を無くしたものと見なして良い。一度経験済みのことだから分かるが、あれは地獄以外の何でもない。


「私さー、雪名くんは里緒とよりを戻すとばかり思ってた」


親友の突然の言葉に、ぶはっとジュースを吹き出しそうになる。それを口の中で堪えたものだから、液体が何処かに入ってしまった。ごほりごほりと咳き込むと、慌てるな、落ち着けと上から至極冷静な声が落ちてくる。誰のせいだ、誰の。


「どうしてそういった発想になるかなあ」
「ほら。里緒と別れて以降、雪名くんって誰とも付き合わなかったじゃない?だから雪名くんは里緒とのことが忘れられないんじゃないかって」
「なるほどね。でも、実際違ったでしょ」
「うん。あんなにデレデレした雪名くんを見るのは初めてだから、色々衝撃的だったわ」


学際のファッションショー以降ひた隠しにしてきた恋人の存在を今頃になって皇は明らかにした。彼ら二人の間に何があったかのか知らないが、察するに周囲の人間には簡単に壊せない絆を作り上げた結果なのだと思う。とうとう恋人自慢に走った彼だが、そこにはきっと色々な葛藤があったに違いない。彼の恋人という称号を得ることは、女の醜い嫉妬を買うということに等しい。正直に言えば、そのせいで私は彼と別れたのだ。彼女たちの噂やら陰口に耐えられなくなったから。彼への私の愛が失われたというわけでは決してなく。


「里緒の方はまだ雪名くんのこと好きだと思ってたんだけどねえ」
「………」


これだから親友って嫌だ。飲み物を吹き出しそうにならなかった辺り先ほどよりはましだが、体がぎくりと強張ってしまった。些細な動揺を見逃す彼女でもない。その表情には、やっぱりねという文字が浮かんでいる。


「奪っちゃえばいいのに」
「冗談言わないでよ」


昔々に別れを告げた恋なのだ。今更どの面下げてもう一度私と恋人になってと言える?自分の臆病さが迎えた結末。今の恋人を捨ててまで、私の元に戻れと?彼を不幸にしてまで自分の願いを叶える?笑わせないで。自分の好きな人を地獄に陥れて得た愛なんて欲しくない。それは愛ではなく、ただのエゴというものだ。


私は誹謗中傷に耐え切れなくて彼から離れた。皇はそれを知っていて、でも私を守ることが出来ないと分かっていたから別離の言葉を受け入れた。自分から言い出しておきながら本当はずっとずっと後悔していた。だからもし皇にもう一度好きな人が出来たら、その人を全力で守ろうと自身に誓った。周囲の圧力に負けぬ気丈な人であることを願った。


皇のことは好きだ。けれどそれは友達としてで、それ以上には成りえない。なってはいけない。私は彼を対した努力もせずに手放した人だから。裏切った人だから。だから私は彼ら二人を見守ることしか出来ないのだ。


………なんて想いを彼女に告げたとしても、きっとその意味が伝わることなんてないのだろう。どう考えても未練たらたらにしか聞こえない。彼らの幸せを自分が壊すことは許されず。だからもっと簡潔に、彼女の言葉をそれでいてばっさりと否定してやらなければならない。


一つ息をつき、ゆっくりと瞼を閉じる。短い時間で彼女が理解出来る言葉で彼との関係を説明する。どうやって?深く思考した瞬間にはっと閃く。覚悟を決めたように目を開けて、じっと彼女の顔を真っ直ぐに見据えた。


「皇が選んだのはあの人で、私じゃないよ」
「…でも、それは」
「ね?ちょっとよく考えてみて。八時間スプラッタ映画を一緒に見るのを強制する奴と、遊園地に行くというだけで真っ赤になって恥ずかしがる可愛い人。付き合うならどっちが良い?」


告げた途端、彼女の瞳が憐れみの表情に変化し、ああ、そうね、と何とも言えない声をあげた。


彼女を諦めさせる為だけの一言だけれど、納得されたら納得されたで意外とむかつくのね。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -