机の上に鏡が一つ置いてある。


その鏡は何か素晴らしい仕掛けがあるというわけではなく、その辺の雑貨屋で購入したどこにでもあるような鏡だ。現実の世界を反対に写したその鏡に向かって、俺は神妙な表情を浮かべながら正座をしていた。鏡を見るという行為は取りたてて珍しいものではない。ただ唯一異なった点は、摩訶不思議とも言うべきか、かれこれ一時間以上そうやって鏡を見続けていることだ。


じぃっと鏡の中を見つめて、口をもごもごと動かしてみる。途端、かあっと真っ赤に染まる頬。


ごめん、俺には無理です、ごめん、と誰に対しての謝罪なのかも分からず、頭ごと机の上に突っ伏す。一時間、一時間かけて練習したというのに、思いの他その成果は出ていない。


何故このような一人コントの様なことをしているのかといえば、そもそもの原因は雪名皇という人物にある。たまたま出かけた本屋で一目惚れし、たまたま一緒に相席することになった喫茶店で突然口付けされ、何の因果かそのまま付き合うことになった人だ。


すったもんだの紆余曲折を経て最近はようやく恋人らしい雰囲気になったわけであるが。今まで本気で人を好きになったことのない自分は、だから恋愛なんてただのお遊びだと思っていてろくに恋人関係を続けるということをしてこなかったものだから。“普通”に付き合うという事柄に、いまいち勝手が分からない。


お互いを下の名前で呼ぶこと。今の課題はこれだ。簡単そうで中々に難しい。前に付き合っていた奴にはなんの感慨もなくその名を読んでいたのに、雪名のこととなると話は別だ。何というか選手宣誓をする緊張さを併せ持つというか、心臓の震えが急加速して止まらない。名前ごときで自分が一々騒がなければ良かったとは思う。けれどどうしても彼の友人とやらがその名を呼ぶのが羨ましくてたまらなかったのだ。三十路のプライドが粉々に壊れた隙に、何とか雪名の名前を普通に呼べるようにならなくては。つまりこれら奇怪な行動は、全てそのための練習という訳だ。


気を取り直してむくりと起き上がり、鏡を手に取る。反転した世界に向かって語りかけるは、彼の名前。言い終えた途端、むずむずと唇が歪む。鏡に映るのは、なんともだらしない緩みきった表情。


思わず鏡を裏返しにして、机に思いっきりぶつける。くそ!恥ずかしい!俺何してんの?何でこんな恋する少女みたいなことをしなくちゃなんないわけ?自問しつつ拳を作った掌でバンバンと机を力任せに叩く。痛い。でも今は羞恥がそれを勝る。


無駄な努力に力尽きたように、ぱたりと床に寝転ぶ。眺めたところで変わらない天井をしばらくじっと睨み、ふと息を吐いた。自分の微笑みに呼応するように、強張っていた体がゆっくり弛緩していく。意味もなく上へ向かって両腕を伸ばし、けらけらと声を立てて笑う。もう、本当に馬鹿みたい。


人はいつだって選ばなかった方の選択肢を悔やむものである。


最近読んだ本の中で印象に残った言葉だ。流し読みした時にはあまり深く考えなかったが、後になってなるほどその通りだと納得した名言でもあった。例えば道が二つあったとして、その内のいずれか一つ選ばなければ先に進めないとする。強制的な選択肢の中、自分は右の道を選んだとしよう。歩き進めるうちに、道の先は木に覆われた行き止まりだと知ったら。きっと皆が皆、ああ、左の道を選べば良かったと悔やむのだろう。


けれどもう一つの道が正しいと誰が言った?


左の道は流れる川で遮られ、結局どちらも袋小路。悩むだけ無駄なこと。


将来の夢を編集者か漫画家で選ぶにしろ、いずれにせよ楽な道など存在しない。それは散々なくらい、実際見聞きし知ったことだ。


あの時ああしなければ良かった、と愚痴を零すのなら、もう一方を選んだとしてもきっと同じように文句を言っているに違いない。そう考えてみると人間とは随分愚かしい行動をしているように見える。だってどっちを選んだって、結局最後には等しく後悔するのだから。喉から思わずくぐもった笑いが漏れた。


ああ、でも気持ちは分からなくもないんだ。自分だって、雪名と付き合い始めた頃はこれで良かったのかと本気で苦悩していて。本当は遊ばれているのではないか、飽きられて捨てられたらどうしよう、とか。振り返れば相当くだらないことで、それでも自分なりに真剣に悩んでいたのだ。こんな想いをするくらいなら、いっそ付き合わずに遠くから黙って見ているだけで良かったのに。そんなふうに考えなかったと言えば嘘になる。


まあ実際は胸の奥で深くその不安がまだ根付いているものの、でも今はきっと少しだけ俺も変わった。


くだくだと悩みながら挫折しながら、それでもこうやって鏡の前に居座って離れないのは、それが自分の選んだ道だから。俺が雪名を選んだから。


そりゃあ俺だって迷うさ。自分より九歳の年下の雪名に甘えるということに、未だ躊躇いもあるさ。けれど人とは悩み続ける存在で、迷うのが人なのだ。なら、自分が選んだ道を自分が信じないでどうするのだ。他の誰でもない自分が信じてやらなければ、きっと前には進めない。


悔やむこともあるけれど、それでも雪名を好きになって良かったと今は思える。


彼の名前を呼びたいと言い出したのは俺で、それが原因で雪名を不安にさせたことは反省している。けれど、“皇”という名の言葉を初めて口にしたこと、俺は後悔なんてしてないよ。


がばりと勢いよく飛び起き、再び鏡に向き直る。そうか分かった。自分の顔を見ているから恥ずかしいわけであって、雪名の顔を思い浮かべれば。いや、そっちの方がよっぽど照れると気づいたけれど、あの時の彼の嬉しそうな表情を思い出し愉悦に浸る。


木で覆われた行き止まりなら、刃を振り回し切り開いていけばいい。川で遮られた道なら、右の道の木を使って橋を作り渡ればいい。一人なら凄く大変だけれど、でも俺は一人じゃない。二人が一緒なら、たとえ荊棘の道でも共に有ればきっと幸せになれるような気がするから。


ふう、と大きく息をつく。本当に、馬鹿みたい。


馬鹿みたいに、幸せだ。


自らの道を信じるということ。それはつまり“自信”であり、昔雪名がくれたもの。


俺が木佐さんを好きなことは木佐さんの自信にはなりませんか、という台詞が大好きです。



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