再度引越しをすべく元の部屋へ戻ろうとすれば、マンションの大家が既に他の人と契約を結んでしまったとのことだった。中々に気に入っていた部分もあり少し残念な気がするが、自分から家を出たのだから仕方ない。ここは思い切って新たな住居を探してみるのも悪くないし。部屋を変えるのなんて何年ぶりだろう。久々の新鮮さに喜々として物件紹介の雑誌を捲る。途中、コーヒーを淹れ終えた高野さんがリビングにやってきた。


「俺、良い部屋なら知ってるけど」
「え、本当ですか?」
「一人には充分な広さで、日当たり良好。駅にも近くてコンビニもすぐ。築数年だから新しく綺麗。価格も中々リーズナブル」
「随分良物件ですね」
「望めば三食付」
「マンションじゃなくて下宿か何ですか?」


会話の最中聞けば、高野さんは少し苦い顔をして、


「お前、もう鍵持ってるだろ」


などと言ってのけるものだから。


しばらくの間考えこみ、ふと思いつく。ひょっとするとひょっとして、これは同棲のお誘いというやつなのだろうか?悩みながら、ちらりと横目で高野さんを見る。あー、うん、この真剣な表情を鑑みれば、おそらくこの台詞は本気なのだろう。そっか。うん、そうなのか。


「よくそういう恥ずかしいことをぺらぺらと言えますね」
「職業柄」


じゃあ高野さんの耳が真っ赤なのはどういう理由ですか?追求しようとして、でも止めた。平然とコーヒーを啜る自分の顔、どうせ人様にお見せ出来る状態でないと分かっているから。くそう、何こんなことで照れているんだ俺。高野さんもいつまで俺から背を向けるつもりだ。


それでも二人、掌だけは触れ合って。


まるで中学生の恋愛ごっこだ。大の大人が全く、と思いつつも遺憾なことに、照れてしまうけれど嫌じゃない。本音を言えば、有頂天になってしまうくらい実は嬉しい。まあそれを口に出しては言わないけどね。


十年間友人だった二人の関係はそう簡単に変わるものでもないけれど。でも、これが自分達らしさのように思えるから。


「お世話になります」
「ご遠慮なく」


だからまずは互いに手を取り合って、最初の一歩を始めよう。



本屋の帰り道、少々疲れたので休息を取ろうと喫茶店に潜り込む。珍しく満員御礼な店の中に、どこか空席がないかと視線を彷徨わせる。とそこには、同じく買い物帰りらしい横澤さんの姿。店に到着した時点で自分を発見していたらしく、こちらに向かって大きく手招きしている。相席と同時に語りだす世間話。天気の話から、ライバル会社の動向。購入した新刊の内容と、最後に高野さんの話。


ちなみに今回の件についての謝罪はとうに済んでいる。ほぼ八つ当たりだったにも関わらず、土下座しようと構える自分の前で一つ笑ってみせ、いとも簡単に俺を許してしまった。ああ、やっぱり。思ったとおりに優しい人。


しばらく話して、今度高野さんと一緒に住むことになったと横澤さんに伝える。彼は少し驚いた様子を見せつつも、唇を歪めてうまくやれよと言って笑った。


帰り際に、思いついたように横澤さんが俺に尋ねた。


「もし、お前と俺の立場が逆だったら、どうしてた?」


一瞬悩んで、少し笑って。そんなの決まってるじゃないですか、と当然のように彼に声を投げる。


「許しますよ」


貴方が私を簡単に許してくれたように、ね。



人は一人では生きてゆけない。その言葉の半分は嘘で半分は本当なのだと今は思える。衣食住さえ満たせば人は寿命の限り生きていけるし、それは言葉通り生存することに違いない。けれど、それを“生きている”と言えるのだろうか。悲しみも苦しみもない世界は、だから喜びや楽しみだって無いはずだ。それを“幸せ”だと果たして言えるのだろうか。今の俺は、それは違うと言い切れる。


人は皆、幸せになりたくて生きている。けれど幸せとは一人では決して生み出せないから。だから皆は、愛する人のその手を取るのだ。


損得の量りにかける必要なんてない。だってほら、一緒にいるだけで幸せじゃないか。高野さんと最初に出会った時に見つけたその幸福は今も尚胸の中。見失うことも、探すこともない。一人では手にできない幸福を、そのままに二人でこれからも守っていこう。


人は一人では幸せになれない。だから二人で幸せに、生きたい。


今日は滅法いい天気で、大きく切り取られた窓からは暖かな陽光が降り注いでいた。床に寝転がりながら、その柔らかな感触を確かめる。幸せな気持ちに入り浸り、いつの間にかうとうとと居眠り。はっと目を覚ませば、同じくいつの間にか隣にいた高野さんもすやすやと寝息を立てていた。起きあがろうとして、やめて。その黒い髪を撫でてくすぐり、高野さん、と小声で呼んでは笑って。ああ、幸せだなと思った。幸せすぎて嬉しくて、目頭が熱くなった。


小さな悪戯に気づいたらしい高野さんが、鬱陶しそうに目を開ける。と、同時に自分は彼に、愛の告白を呟いてみたりする。それを聞いた高野さんは掌で俺の頬を包みながら、俺もと言って笑う。


「ちゃんと言ってください」
「何を?」
「“同じ”じゃなくて、俺の言葉通り言ってください」
「話してるだろ?」


高野さんの胸元に顔を寄せ、ねだるように見上げて告げる。


好きです。


言えば、高野さんはふと笑って。


「欲張りな奴」
「嫌ですか?」
「嫌じゃねえよ」


律、と彼は愛しげに名前を呼んで体を抱きしめ、それに応えるように俺も高野さんの髪に指先を絡めた。唇をかわして見つめ合って笑って。



「お前が好きだ。小野寺が、誰よりも好き。一番好き」



そうして貴方は私の言葉を繰り返し、私も貴方の言葉を何度も何度も繰り返し、繰り返すのです。


repeat after me,repeat after you.

お付き合いありがとうございました!



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