朝起きてみれば、キッチンのテーブルの上にメモが一切れ。羽鳥からの伝言かと思いきやそこには、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、ひき肉、ティッシュペーパーエトセラフの箇条書きの文字。数日前に修羅場を明けて、その間は彼に掃除も洗濯も料理も任せっきりだったわけで。つまりこれは自分の家の補充品であり、羽鳥のそれではない。文句の余地もありはしないので、素直に大人しく買い物に出かけるとしよう。散歩をして体を動かせ、そんな意図もあるみたいだし。


マンションから一番近いスーパーに出かけて、異変に気づいたのはレジで会計を済ませているあたりだった。外を映し出す大きな窓の近くに掲げられた大きな竹。そこには無数の短冊が繋がれ、笹の葉よりも圧倒的に多いように見えた。受け取ったレシートの日付を見て再確認する。今日は七夕か。


会計を終えたというのに店内に逆戻りし、そこでB4版の色画用紙のセットを買った。購入品を家の定位置に寄せ置き、あとは机の上にはさみとその色画用紙を準備する。背をのりで閉じられた紙を一枚一枚ぺりりと剥がす。短冊の大きさってどれくらいだっけ…?悩んでテレビのリモコンサイズを象った。


一つ作ってしまえば後は簡単で、次々に用紙に刃を入れていく。途中曲がったりもしたけれど、それはそれで一興だ。もともと自分の好きなことには集中しやすい質なので、黙々と作業を進めるうちにいつのまにか短冊の束が完成していた。


お願いごとは何にしよう。一旦は悩んでみせ、そしてすぐに笑ってしまう。小さなことから大きなものまできっと願いは沢山ある。ありすぎて、何から書いていいか分からないだけなのだと気づいて。うーん、でもトリだったらどうするかな?とふと思う。トリのことだから願い事は一つで十分だと堅いことを言いそうだ。考えてまた笑ってしまった。


願いを全部書いてしまっても良い。けれどその行為はきっと無意味というものだ。


昨年の七夕の願いを自分は覚えているかと聞かれれば、はいと答える人は多いのかもしれないが。それが一昨年だったらどうだろう。二年、三年前だったらどうだろう。十年前の七夕の願いを聞かれてそれを覚えている人なんて、記録でも残して置かない限り誰もいない。人は忘れてしまうものだから。多く記してもきっとすぐに思い出せなくなる。勿論それには自分も含まれていて、だからこそ思うのだ。


簡単に忘れてしまうような願いなど、願いとは言わない。


振り払っても手放せない想いが、本当の願いと言うものだ。些細な祈りが例え叶ったとしても七夕に願ったせいだと誰も信じないから。書くべきは叶ったときに誰これ構わず感謝したくなるような願い。真実の願い。本当の祈り。


水性ペンを持ちながら、一つの短冊の前に向き合う。何を書こうと散々悩んだ挙句、いつの間にか目の前には自分が作り上げたキャラクターの姿。あ、これラミネート加工とかにすれば栞になるんじゃないの?こういう感じのスタンプとかどうだろう。つーか、これサインの代わりとかに使えるんじゃない?気づけば、短冊は原稿用紙の代わりになり、広がる自分の世界。訪れたトリがその惨状を見ていつものように呆れる。


「ここに笹の葉なんてないだろう、何処に飾る気だ」
「天井」
「貼るのも取り剥がすのも自分でしろよ」
「えー…」
「えー、じゃない」


物体無いからトリも何か書いてみたらと手渡せば、腕ごとそれを掴まれた。


「俺の願いはお前にしか叶えることが出来ないよ」


よくそういう恥ずかしい台詞をこともなげに言えるものだ。


空の上の彦星と織姫はきっと今頃逢瀬を叶えているのだろう。衆人環視のその時も、後の時間は彼らだけのもの。今の時間は二人だけのもの。誰にも邪魔されることなく抱き合って。その想像にくすりと笑っていると、トリが集中しろと言わんばかりに体の中を突き上げた。息も絶え絶え。でも幸せ。


目覚めて見れば隣にトリの姿は無くなって、代わりにオレンジ色の短冊一枚。おはようという一言の文字。おいおいおいこれはメモ用紙じゃないんだぞ!と心の中で突っ込んだものの、期限をすぎた短冊に価値はなく、これが唯一の有効利用というものだ。一人納得して、その紙を手に取る。彼の文字を見て、顔がふにゃりと緩んだ。


短冊を受け取った織姫は、皆の願いの裏側に彦星の文字を見つけるのだ。会えずに悲しいと感じた時は大事にしていたそれを眺めては愛しさを積もらせて。寂しさを紛らわし、短冊の中に確かな彼の愛を感じて、祈るように抱きしめるのだろう。まるで次に出会えるためのお守りみたいに。


織姫の姿が自分の影に重なった。



紙のご加護があらんことを
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