委員会の会議があるから遅くなる。その返事が、ああそうという一言だけである。


実になったかどうかも知らない議題をようやく終えて、急ぎ足で教室に戻ってみれば夕暮れの赤が狭い空間を夥しく染めていた。中に潜む黒い影は、ごそりごそりと小刻みに揺れ、その有様は彼が自らの世界の中にトリップしている証拠でもあった。吉野、と声をかければ蠢く物体は直ぐ様振り向き、逆光でその顔は見えなかったものの雰囲気だけで微笑んでいたことは分かった。


待たせたな、帰るぞ。彼の答えはいつも通り。もうちょっと、あと少しだけ。


彼の席の前を陣取り、同じように机に広げられた紙の中を覗き込む。鋭い線。どうやらこの教室を模写していたらしく、人が不在の平面の部屋を眺める。ふと、吉野が尋ねた。トリ、お前の手描いてもいい?


仰向けの掌をじいっと凝視し、すらすらと紙に黒鉛を滑らせていく。外形を整えたかと思えばいつの間にか五本の指が現れ、自身のそれと瓜二つの絵が出来上がる。どうトリ、上手く描けた?迂闊にも返事が僅かに遅れてしまった。


赤い血液を得て生を受けた紙の中の自分の手が、あまりにも現実とそっくりすぎて。一瞬だけそちらの方が本来の自分の手ではないかと錯覚してしまった。自分の意思を離れたそれは、だから本能のままに動くような気がして。有りもしない空想に嗤い、細めた目の先で黒い指先がぴくりと震えたように見えた。


吉野の手によって閉じられた世界。俺の掌ごと消えてしまえ。


鞄の重さに負けた吉野がぐらりとバランスを崩し、けれど自分の腕が支える前に体勢が落ち着く。気をつけろと軽口を叩いたそばで、あの絵の中の掌が強烈に頭に浮かんだ。


心が揺れた。自分の欲求を認めてしまえと。指先が震えた。心のままに言ってしまえと。


あなたに触れたい。


告げても一言無機質な表情で、ああそうと返事が来るだけ。



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