皆様こんにちは。それとはじめまして。雪名透と申します。父親の名前は雪名彗。母親の名前は雪名舞。この二人の一人娘です。小学校四年生で、つい最近十歳になりました。今日は待ちにまった日曜日。久しぶり皇お兄ちゃんと一緒に出かけます。


皇お兄ちゃんというのは、私のお父さんの弟のこと。本来は叔父さんと呼ぶべきところをお兄ちゃんで押し通しているのは、まだそんな年でもないというのが主な理由だ。離れて暮らしているとはいえ、面倒見がいいお兄ちゃんには昔からよく一緒に遊んでもらったものだ。彼がつい最近社会人になったとはいえ、私の目からしてみればそこに明確な違いなんてあるわけもなく、お兄ちゃんはお兄ちゃんだと今でも言い続けている。誰からも反論されないことを鑑みれば、とりあえず間違いではないはずだ。


皇お兄ちゃんと一緒に出かけるのはいいとして、今日は余計なお邪魔虫もちゃっかり家にやって来ている。私より二つ年下の日高甘奈という少女。髪を編む私の隣で悠々と本を読んでいる。私のお母さんの妹の子供。つまり私の従姉妹に当たるわけだけれど、親族関係はいいとして、問題は妙に私に懐きすぎているということ。


甘奈は本を読むことが好きだ。けれど本を読む行為というのは、一人で十分事足りるものだ。鬼ごっこやトランプに付き合うならまだいい。年下で多少の遠慮がいるとはいえ、自分もそれなりに楽しいから。なのにこいつは、本を読んでいる時さえ私が隣にいることを強要するのだ。他のおもちゃで遊ぼうと言っても聞かないし、つまらないので眠ろうとしても泣いて起こす。なんで泣くのよ、泣きたいのはこっちよ、とほとほと困り果てた表情を浮かべれば、きっと透と甘奈ちゃんは二人でいることが運命で、もしかしたら前世で一緒にいたのかもね、とお父さんが笑いながら言う。


言い忘れていましたが、私のお父さんは嘘つきです。


本の虫である甘奈が、大学の図書館に行ってみたいと口にしたのが全てのきっかけだった。大学にある本など難しすぎて読めないだろう。当然のことを指摘しても、彼女は首を横に振りながら凛とした瞳で訴えかけたのだ。


あの空気に会いたい。


甘奈の言うことの九割が理解出来ない言葉で、でも残りの一割位は私にも伝わる。彼女のこの台詞を聞いた時がまさにそうだった。本当に何となくで、例えば甘奈がもし病気にかかって寝込んだりすれば、いつも文句を行っている私ですら彼女を深く心配することだろう。別に一人で平気だよ、なんて生意気な言葉を吐き、けれど心の中では神様に早く治りますようにと一心に祈っている。不器用なくせに千羽鶴を織りたいとか言い出して、きっと両親を凄く困らせるのだ。トイレに行く時までもくっついてくる甘奈がうっとうしくて、でもいなくなったら凄く寂しくて。甘奈が隣にいることを思い出し、会いたいなあと無意識に思う。甘奈が言いたかったのは、きっとそれと同じこと。


彼女の願いに応えたのは勿論皇お兄ちゃんだ。どうやら彼と一緒に暮らしている木佐さんという人がその大学のOBだったらしい。皇お兄ちゃんを通して伝わった、行ってみる?という気楽な台詞。大学に入るのには誰かの許可が必要なわけではないが、小学生の女の子が大学生の中に現れる状況はあからさまに怪しい。例えその木佐さんとやらが一緒だとしてもだ。


それは流石に無理だろう、と思い込んでいたものの束の間、気づけば自分も皇お兄ちゃんに一緒に行こうと誘われていた。


木佐さんが大学生だった頃、彼は読書愛好会というサークルの会長を務めていたらしい。散り散りになったメンバーを集めて、久しぶりに同窓会をしよう。その思いつきが発端だった。現サークルメンバーそして大学の了解を経て、ついには構内でそのパーティを開催出来ることになったのだ。中には子連れも一人いて、大人の中で子供一人では寂しかろうと推測し結果私達が呼ばれたわけだ。


「ほら、行くよ甘奈」
「ま、まって!透ちゃん。もう少しで読み終わる!」
「もう十分待ったでしょ。早くこないと置いてくよ」
「………!本も一緒に持っていく!」
「…勝手にすれば」


柔らかな小春日和の陽。小学校という世界は私たちにとって絶対で、けれどこんなにも簡単に覆されるのかと驚いた。敷地内の中には大きな建物ばかりで、足を踏み出す度にそれが自分の所に落ちてきたらどうしようと不安がり、ありもしない空想に甘奈と顔を見合わせてくすくすと笑う。


空ってこんなに広いんだ。風にそよぐ木々の葉の中の空間は青くて、伸ばした掌をやすやすとこえる陽の光が眩しい。温かな空気の中、何故だか妙に気が緩む。知らない場所に来ているのだから少しくらい緊張してもいいのに。体の高揚感と早まる鼓動が止まらない。


甘奈の掌をぎゅっと握る。手には汗が湿っていて、けれどそれは彼女も同じだった。


歩く大きな学生の中をすり抜けて、奥へ奥へと進んでいく。途中迎えに来てくれた木佐さんがやってきて。結構な大人である彼をどんなふうに呼ぼうか一瞬悩んだものの、容姿を考慮したうえで無難に木佐お兄ちゃんと呼ぶことにした。木佐お兄ちゃん。声に出してみれば、目の前に大きな掌が差し出され。四人仲良く手を繋ぐ。


どうしてだろう。酷く懐かしい。


まだたった十年しか生きていない自分にとって振り返る過去などごく僅かで、けれど郷愁で胸がぎゅう、と押し潰されるのだ。初めて訪れた場所なのに、前も一度来たことがあるような既視感。デジャブというものは要は脳の錯覚で、今の私の心境もそれだと言われれば否定は出来ないけれど。でも、深い底からこみ上げる感情は決して誤魔化せるものじゃない。


大きな掌。初めて触れたというのに、私は心の何処かでずっとこの時を待っていた。


切り開かれた道の中に、一際大きな建物。沢山の人がその場所に居て、私たちに向かって手を振っている。早くおいで、もう始まっているから、と笑う凄く綺麗な女の人。お母さんのお友達さんもその隣で楽しげに笑みを浮かべていた。


「これで全員揃ったか?」
「あ、大丈夫です。これで全員揃ったはずですよ、嵯峨先輩」
「えー?律っちゃんもう十年経つのにまだ先輩呼び?」
「そういう木佐先輩だって呼び方一つも変わってませんよね」
「は?」
「いいえ違いますよ、羽鳥さん。木佐さんは皆の前では俺を皇って呼ぶんです」
「ちょっ!雪名!」
「うーん。じゃあ俺も羽鳥さんとか呼ぶべき?」
「お前は俺に吉野さんと呼ばれて嬉しいのか?」
「…えっと、それはちょっと…」


「はいはい、皆。そろそろちゃんと始めよう?」


目前で繰り広げられる光景。今の会話ずっと前に聞いたことがあるような気がした。あれ?いつだっけ。凄く昔のことだったような気がするけど、でも確かに覚えている。この人達の顔、見覚えがある。自分にとって初めて会う人だと分かっているのに、それを肯定したうえで感じるのだ。………私は彼らを知っている。


いつだっけ?誰だっけ?私は何でここにいるんだっけ?どうしてこんなに胸が締め付けられるんだっけ?何で私はこんなにも泣きそうになっているんだっけ?何故私は彼らを愛しいと思ってしまうんだっけ?


私、何か大切なことを忘れてる?


自分に問いかけた瞬間、ぶわりと地面から空に向かって風が舞い上がる。篭った空気を全て攫って、清々しい空気が私に向かってじわじわと押し寄せる。まるで遠い昔の過去みたいに。静かに緩やかに、けれど確実に。


覚えている。胸が空くようなこの空気。思い出した。何もかも全部、すべて。


彼らの一人が私の元に歩み寄る。初めまして、小野寺律です。大人ばかりだけど、美味しいものも沢山用意しているから。楽しんでいってね?


返事は言えなかった。その代わりに、ぽろぽろと自然に涙が溢れた。


知ってるよ。みんなのこと。覚えているよ。


私が体を持たない私だったことも。ああ、律っちゃん。凄く大人になったのね、昔はちょっと自信が足りない男の子だったけれど、十年という時が律っちゃんを成長させたのね。傍にいる嵯峨くんも見違えるように成長して、でも二人の包む空気が今も優しくて愛しいものであり続けていて。貴方たち、あれからずっと幸せだったのね。木佐くんが私たちの雪名くんに見せる笑顔。自分の心を殺し続けた彼があの時息を吹き返して。それは今は大きな息吹となって、十年間彼ら二人を静かに守っていてくれたのね。お前は言い過ぎだと怒られる羽鳥くん。本当のことを言って何が悪いとささやかな口喧嘩をする貴方達。ああ、良かったね。葬り去った彼の言葉は、やっと二人の中に戻ってきたのね。


知っているよ。ずっとずっと見ていたから。ずっとずっと見ているだけだったから。伝えたい気持ち、何一つ言葉に出来ずに悔しかったあの頃。私、どうしてこんなに大切なことを忘れていたのだろう。会いたかった。みんなに会いたかった。


みんなに会えて、私は幸せです。


あの頃、本当は私も彼らの一員になりたくて、何度も胸を掻きむしった。律っちゃんと嵯峨くんの隣でどうして私は一緒に笑えないんだろう。少女漫画について、どうして三人で語りあえないのだろう。どうして私は彼の手料理を食べることが出来ないんだろう。


どうして私は、そんな小さな夢さえ叶わないんだろう、と。


答えは、私に実体がないということ。それだけ。ただそれだけのことが、どれほど残酷なものだったか。彼らが苦しんでいるのに助けてあげられない。悲しんでいるのに慰めることが出来ない。悩みの相談も出来なければ、だから喜びだって分かちあえるはずがない。悔しかった。悲しかった。苦しかった。……でもそれはもう過去の話だ。


私と一緒に泣き始める少女。ああ、彼女も昔のあの子だったのね。私の体が壊れた日の約束。ちゃんとみんなと一緒に守っていてくれたのね。


―またみんなで、ここで会おう―


堰を切ったように溢れる涙が止まらない。言いたいことは沢山あって、でもそれは言葉にはならずに泣き声が空に響く。突然の出来事に途方にくれる人々の中、たった一人。彼だけが私の髪を優しく撫でてくれた。


「おかえり」


美濃の言葉にまた涙が溢れた。それでも告げなければ。私を見つけてくれたこの人の為に、私の大好きな人の為に。この奇跡は終焉を意味するのではなく、私の物語の始まりであるのだから。


手の甲で涙を拭く。はあ、と一つ息を吐いて、大きく息を吸い込んだ。


「はじめまして、こんにちは。私の名前は雪名透です。これから宜しくお願いします!」


途端彼らの姿が幼くなって、私の周囲をぐるりと囲んだ。うん、本当にこうやって君と一緒に話せることを凄く凄く楽しみにしていたんだよ。嬉しそうに笑う彼らの口から、そんな言葉が聞こえたような気がした。



「ただいま!」






知っていたよ、君がどんなに自分達の中に入りたかったか。ずっとずっと優しく見守ってくれたことも、愛してくれたことも。本当は遠い昔から知っていた。だから俺たちも君に会いたかったんだよ。伝えたいことがあったんだよ。こんな単純なこと、君は知っていた?




おかえり。




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