変わる為に必要なもの。


特に意識があったわけではないが、昔を振り返れば随分ありきたりな道を歩いてきたと思う。反抗期も特になく、けれど親の言いなりというわけでもない。けれどただひたすらに真っ直ぐな道を何の疑いもなく進んでいた。目指す方向は決まっていて。しかし気づいたら、自分の知らない場所に立っていたという感覚だった。


胸の内に何処に向いたいかは知っていた。けれどその術が分からなかった。だから自分が信頼している人にその方法を尋ねた。声をかけられたその人は、驚きに目を見張って。


「ぶっ」


盛大にお茶を吹いた。


相川さんに聞いていたけれど、木佐先輩って本当に口から吹き出すのが得意なんだあ、とぼんやり考える。不意打ちで重大なことを話されると、お約束とばかりにこの行動に出る。その噂は知っていたけれど、今の今まで実際に目撃したことはないから。わー、と目を爛々と輝かせていると、袖で口を拭った木佐先輩が恨めしそうな瞳で尋ねた。律っちゃん、今のもう一回聞かせて?


「嵯峨先輩とえっちしたいんですけど、緊張して駄目なんです。どうしたらいいですか?」
「俺が知るか!」


即答だった。流石に質問の内容が悪かったか。


+++
先輩と付き合うようになってから、自分の世界というものは一変した。毎日一緒に帰ったり、図書館で待ち合わせたり、先輩と一緒に話したり、笑ったり。恋人らしくデートなるものも数回したし、その回数分キスもした。変化があったのは先週嵯峨先輩の部屋にお邪魔したときで、早い話がそこで迫られたのだ。熱っぽい声で一言、抱きたい、と。


まさかそんな展開があるものだとは思わなくて、その体をどんと押しのけて部屋から逃げ帰ってしまった。ぐるぐると一日中頭を悩ませ、翌日に先輩からの謝罪。ごめんな、お前が嫌だったらしないから、という言葉と一緒に。


先輩にも俺のことを好きになって欲しい。ずっとずっと昔から漠然とした願いが自分の中にあったことは認める。けれどまさかそれが実現するとは思っていなかったから、どうしたらいいか分からなくて。これからも先輩と一緒にいたいという想いは確かにある。けれどそこにどうやって辿りつけばいいのか分からないのだ。先輩に触られるのが嫌なわけじゃなくて、ただびっくりして、驚いて。自分でも予測不可能な現象に戸惑っているだけなのだ。


けれどそれが当然相手に伝わっているかと言えばそうでもない。いくら取り繕っても、先輩の中には“俺に拒絶された”という事実のみが残る。もし自分が嵯峨先輩に拒絶されたら。想像するなり悲しくなって、早くこの誤解をとかなくては、と焦燥に掻き立てられ。


「それをそのまま嵯峨くんに言えばいいんじゃないの?」
「…えっと、その先輩と話している間に、その、なんといいますか…」
「あー、うん。分かった分かった言わなくていいから。あんだけいちゃいちゃしてれば誰でも分かるから、それ」


気を取り直して入れ直したお茶を飲みながら、木佐先輩は俺を眺める。


「まー、変わりたいと思うのは誰にでもあることだからね〜」
「変わりたい?」
「あれ、違う?嵯峨くんの愛を受けとめる人間に律っちゃんはなりたいんじゃないの?」
「………そういうことになりますね」
「でしょ?」


ようやく本来の自分を取り戻したらしい。先輩らしく、少し大人びた表情で笑う。茶菓子にと用意されたどらやきをむふむふ口に放り込みながら、その瞳は何処までも優しげだった。


「嵯峨くんは変わったよね?」
「…そう…ですか?」
「律っちゃんは後から入ってきたからあんまり知らないとは思うけど、嵯峨くんって相当な人嫌いなんだよ。大学に入って、とりあえず一人友人は作ったみたいだけど。それ以外の人とは話しかけようともしないの。こっちが話かけたって、いつも早く会話を終わらせようとするしさ」
「………俺がこのサークルに入った時も、似たような感じでしたね」
「それよりももっと酷かったんだって。でも今はどう?聞いてもないのに律は可愛いだの、触ったら真っ赤になって俯くのがいいだの語りやがって。しかも雪名くんと最近どうですか?とか調子にのって聞いてくるし。恐ろしく順調だよ。何か文句でもあんのかよ!」
「後半はただの愚痴ですよね」
「まあね〜。でも、これで分かったでしょ?嵯峨くんが変わったの」
「少しだけですけど、何となく」
「嵯峨くんの変化のほとんどの理由は、律っちゃんだよ?」
「…俺、ですか?」
「うん」

断言してお菓子を食べ終えた木佐先輩が、もう一つのどら焼きに手を伸ばす。ペリ、とパッケージを引き裂いて、半分を割り、こちらにそれをよこしてくる。視線だけで、律っちゃんも食べな、と促され。言われるままに口に運んだ。

「変化っていうのは二種類あるんだよ。悪い変化と良い変化。悪い変化っていうものは、こっちが何をしなくても向こうからやってくるものだけど、良い変化はそうじゃない。欠かせない条件が二つある。それが何だか律っちゃん分かる?」
「変わりたいと願う意思?」
「ご名答。それが一つ。じゃあ残りの一つは何?」
「…分かりません」


にまりと木佐さんが笑った。律っちゃんはもうそれを手にいれているのに、と呟いて。


「変わりたいと思っていた俺もずっと変われなかったの。でも、今は変われた。それが何故だか律っちゃんには分かるはずだよ?」

+++
先輩の部屋に行きたいと言いだしたのは俺の方で、だからそれが何を意味するかなんて十分知っていた。先輩を拒絶したきりあの部屋に訪れることはなく、だからその言葉は覚悟そのものだった。


二人きりの空間で、先輩の唇が自分のそれに触れる。重ねられた掌からその鼓動が一緒に伝わって、思わず体が熱くなった。


好きでも、好きだからこそ進む恐怖が無くなったわけではない。けれどすっぽりと体を包むように抱きしめられ、力強く回された腕から先輩の想いを強く感じる。愛したい、愛されたい。でも嫌われたくない。なんだ、その感情は全て自分のものと同じものではないかと気づいて、笑った。愛しさで瞳が滲んだ。


先輩と付き合ったり抱きしめ合ったり。想像していたものが現実になって、驚いて途方にくれて。でもこれからもずっと先輩と一緒にいたい。その方法も、術も、道さえない目的地だけれど。先輩と一緒に切り開いていけばいい、それだけだと思った。


傍で眠る嵯峨先輩の顔を覗き込み、幸せそうな表情にほっとする。一つの困難を乗り越えたとしても、どうせ再びやってくるものだろうけど。けれどきっと悪いことばかりじゃない。それは自分が変わることが出来るチャンスでもあるのだ。


そっと手の伸ばして先輩の髪に触れる。少しだけ顔を歪めた先輩が可笑しくて可愛くて。


うん、やっぱり俺は、先輩が大好きです。今までも。そしてこれからも。


尋ねられた一つの問題。心の中で解答すれば、頭の中で「正解。やっぱり律っちゃんには分かったね」と木佐先輩が笑う姿が見えた。


一つは、変わりたいと願う意思。


もう一つは、自分に変わってほしいと祈る人がそれを信じてくれること。



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