季節は夏。めっぽう暑い。


じりじりと身を焦がしていくような熱気だった。教室の窓の外に顔を出し、少しでも風に当たろうとする。その努力虚しく受け取ったものは太陽の真っ直ぐすぎる日差しで、降参というように顔を引っ込めた。隣の席にいる相川はぱたぱたと下敷きで人工の風を作り上げている。何故今日に限って教室のクーラーが故障するのか。代理替わりに置かれた扇風機は広い室内の空気を入れ替えられる訳もなく、ただ結ばれ揺れる青い紐だけが清涼感をもたらす。


「なー相川」
「何よ、木佐」
「暑い」
「それは現状報告?それとも愚痴?」
「嫌がらせ」
「分かった。後で殴らせろ」


暑いよー暑いよーと二人で悶えているところ、遠くから翔太と自分の名前を呼ばれていることに気づいた。教室の出入口の部分で、やたらめったら綺麗な男子生徒と、その隣でにこやかに微笑む女子生徒。


男の名前は雪名彗。女の名前は日高舞。恋人同士の二人。


「アイス買ってきたから、屋上でも行って皆で食おう」
「遠慮しておく。二人で食べればいいじゃん」
「もう四つ買った」
「はあ?」
「絵理ちゃんは来るよね?」
「舞を怒らせると後が怖いからね」
「それでいいのか?」
「木佐。あんたも来るのよ?それで殴るのは勘弁してあげる」


どうやら拒否権は無いようです。


真っ青な空の下、四人で日陰の部分を探し出しそこでアイスを食す。何でわざわざクソ暑いところで食べなきゃいけないんだよ、と文句を言えば、冬に炬燵でアイスを食べるのと同じことだと反論される。どこが同じ何だよ。言い返さなかったのは、怒ったら更に暑くなるだけだと知っていたから。


袋は溶けたアイスでべとべとで、形態も一回り小さくなっていたようだ。ぱくりと口に入れて舌で甘い汁を啜る。あー冷たくて美味しい。ふわりと弱い風邪が自分の前髪を押し上げた。相乗効果で少しだけ涼しく感じる。

ぱたりとコンクリートの上に汗が滴り落ちる。無意識に体から湧き上がってくる現象は止めようがないよな。思って顔を上げれば、なんとも涼しげなスイの姿。あーはいはいそうでしたね、王子様は汗なんてかきませんよね。心の中で愚痴りながら隣にいる日高の顔も盗み見る。なんとも爽やかな笑顔だ。このお似合いカップルめ。


「今日さ、うちで花火しない?」
「え?スイの家で?」
「弟がどうしてもやりたいって駄々をこねてさ、両親が大量に買ってきて。一夏じゃ使い切りそうにないから出来たら一緒に」
「皆でやった方がきっと楽しいしね」
「お家の方にご迷惑じゃないの?」
「大丈夫もう言っておいたから。弟はお兄ちゃんのお友達が来るって朝からはしゃいでる」


人の意見を聞きもせずに行事は決定事項。相川と顔を見合わせて苦笑い。抵抗しようが何にしようが、この二人には敵わない。ほら、人が沈黙している間にもちゃくちゃくと恋人達が未来の出来事を作り上げてしまった。


本当は学校でもこの二人の姿を見ているのはきついのに、今日は外でもそれを強いられるらしい。


「相川」
「うん?」
「恋って面倒だよな」
「同感だわ」


現実って意外と残酷ですから。


+++
流石に手ぶらで行くのも気が引けて、相川と相談して近くの洋菓子店で適当な菓子折りを包んで貰った。雪名家に辿りついてみれば、夏の雰囲気よろしく兄弟揃って浴衣着だった。そう言えばスイの弟に会うのはこれが初めてか。弟思いのスイはいつも大好きなこの子を自慢していたから、初めて会った気がしない。噂通り、スイをそのまま小さくしたような兄そっくりの少年だった。買ってきた菓子折りを差し出した途端、ふにゃりと愛らしい笑みを浮かべる。


「うわあ。これ、貰ってもいいの?」
「うん。お土産」
「僕、ここのお菓子大好きなんだあ…。嬉しい。ありがとう!お兄ちゃん」
「どういたしまして」


お礼を言った途端、雪名の弟は箱を持ったままくるくると回転し始める。そのお菓子がよっぽど嬉しかったようで。大きな箱を受け取って全身で喜びを表す少年の姿が可愛い。自分の感情を押さえ込まずにそれを表現出来る彼が少し羨ましかった。


「お前って、兄貴とは全然違うんだな」


暗闇の中、遠くから自分と弟を呼ぶスイの声が聞こえた。


「線香花火に願をかけるっていうの知ってる?」
「流星が流れている間に三回願いごとをすれば叶うっていうもの?」
「そう、それと同じ。線香花火の火が落ちるまで、その時間が長ければ長いほど願いごとが叶うっていうやつ。面白そうだからやってみない?」
「長いっていう時間がどれくらいか分かんねーよな」
「うーんと、じゃあ皆で一緒に火をつけて、一番最後まで残った人の願いが叶うっていうことで良いんじゃないかな?」
「流石舞ね。ほら弟くんも、せっかくだから一緒にやりましょう?」


五人揃って火をつける。パチパチと雷のような火花を散らせた後、一番最初に落としたのは俺。次いで、相川、雪名弟、日高の順。最後に残ったのはスイの線香花火だけで、真っ暗な中そのぽつんとした光だけが随分長く存在する。


ぽとりと小さな火の玉が落下した。


「お兄ちゃんは何をお願いしたの?」
「この世界の全ての人が幸せになりますようにって」


三人で視線を交わして、心の中で同じ言葉を呟いた。


嘘ばっかり


この世界の全ての人が幸せにだって?馬鹿を言っちゃいけない。世界のシステムというものは分かりやすくて、誰かが幸せになるためには誰かが不幸にならなくてはいけない。雪名に恋する人間がどれだけ多くとも、彼が選ぶのはたった一人。全ての人が幸せになれる恋なんて存在するわけもないし、きっとスイもそのことを知っている。理解して、嘘をついた。それが優しさだと勘違いしているから。そうして、騙されたふりをするのも俺たちの優しさだった。


けれどそんな思いこみも、最終的には彼の弟によって粉々に壊されてしまったわけだけれど。


「木佐さん、今日花火しません?」


そうやって誘われてやる気になったのは、ちょっとした気まぐれだった。花火というキーワードの誘発されるように昔のことを思い出し。そう言えば雪名が自分を好きになったのは「兄と全然違う」と言われたことがきっかけだっけ。色あせた写真のような出来事が彼の台詞と合致した瞬間もう一度尋ねられて、ぼんやりと頷いてしまったのだ。


一度肯定したものを理由もなく断ることも出来ずに、外に出た雪名の後を渋々追いかける。


公園の水場近くを陣取って、二人で小さな花火大会をした。買ったのはスーパーで売っているパックの花火で。空に鮮やかに広がる光はないものの、各々美しい色を散らせる花火もなかなかに楽しくて。


あっという間にすぎる時間。最後に残ったのは線香花火。


「木佐さんは線香花火に願をかけるっていうジンクス、知ってます?」


どきりと心臓が跳ねた。止まない鼓動のなか、うん、と小さく頷いてその返事をする。聞き覚えのある昔のスイと同じような台詞。答えたことで昔のことを問い詰められるのでは、と心配したのも束の間、雪名ははい、と俺に一本のか細い花火を手渡す。


言葉なく火をつける。小さなオレンジ色の玉が、パチリパチリと弾けて、次第にその光が弱くなっていく。最初に落ちたのは俺。次いで雪名。


何かいつも自分のは一番最初に落ちるよなあ、と眉を寄せて嗤う。昔はどうせ自分の願いなんて叶わないと思っていたから、指先が震えて、結果落としてしまっていた。今は少し真剣にやってみたけれど、やっぱり落としてしまう。


俺の願いって、そんなにも難しいことなのかな?少し落ち込む。


「木佐さんは、何をお願いしたんですか?」
「そのうち焼肉が食べたい」
「それ願望じゃなくて、予定じゃないですか」
「良いんだよ、俺のはそれで。お前は?何を願ったの?」


雪名は、少し困ったように笑って。


「木佐さんと俺が幸せになれますように」


ありきたりな台詞を口にする。


随分と自己中心的な願いなんだな、と冷やかそうとして、でも言葉にならかった。俺も同じこと考えていたよ、なんて恥ずかしくて言えなくて。誰かが、自分の好きな人が、自分の幸せを祈ってくれていただなんて。嬉しくて少し泣きそうになってしまって。


雪名は昔のスイにそっくりで、でも中身は全然違っていて。そんな雪名をああ好きだなと改めて思ってしまう。スイよりもずっと、もっと。


「でも、これは保険ですから」
「保険?」
「木佐さんのことは、俺が必ず幸せにしてみせますよ」


言い切った雪名に微笑んで、堪えきれなかった涙がぽたりと溢れた。外は真っ暗だから、俺が泣いていることなんて雪名は知らない。今までずっと泣けなかった自分が、こんなにも簡単に涙を流しているなんて。でもこの涙は、悲しいものではなくて、自分の中の幸せが容量いっぱいになって溢れ出たものだから。


「木佐さん、まだ線香花火ありますけど。やりますか?」
「必要ないよ」


お前が俺を幸せにしたいという願いも、お前と一緒に幸せになりたいという祈りも。たった今全て叶ってしまったのだから。

夏の日。夜の公園。二人きりの空間。かわした言葉。今なら分かる。きっとその願いは永遠に続くものだって。


50000HIT礼・木佐さんと雪名で、ふとした瞬間に雪名に雪名の兄の面影を見出だしてしまうけれども、やっぱり今は雪名が好きだと木佐さんが再認識する


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