目を覚ましてみれば雪名の姿はとうになく、テーブルの上には用意された朝食と小さな紙切れが寄り添うように置かれていた。寝ぼけ眼のままぽりぽりと頭をかき、手にとったメモに視線をやれば、朝ご飯ちゃんと食べてくださいね、という文字。お前が作るものをいつ俺が残したよ。反論の相手は不在につき、言いたい言葉は喉に押し込む。


テレビを見ながらぼんやりと箸を進め、次第に意識が覚醒していく。食べ終わる頃にはすっかり目が冴えていて、忘れかけていた記憶が次から次へと蘇る。


昨日終えられなかった仕事。見損ねたテレビ番組。今度仕事で合う取引先。校正の準備。ああ、あれもやらなければ。これもやらなければ。脳内で物事の順序を組み立て、完成図の一番先頭を陣取ったのが、雪名の、食べ終わった後にはちゃんと歯磨きしてくださいね、という言葉。おいおい、他にやることは沢山あるだろう?とは思いつつ、自分の中で一番の優先順位が彼なのだから仕方ない。


洗面所に仲良く並んだ歯ブラシ一つを手にとって、雪名がくれた砂時計を逆さにする。


お風呂に入るときは十数えてからあがりなさい。子供の頃のお約束よろしく、雪名家では歯磨きは三分間しっかり磨くというルールがあったらしい。しかもそれは現在も適用中。大学時代に住んでいた部屋を引き払い、この家に転がり込んできた際に雪名が一緒に持参した旧式の時計。それが、これ。


三分間歯を磨きましょうね。


お前は俺の母親か!と文句を言えば、母親ではないですが、家族ではありますね。彼は恥ずかしげもなく言ってのけるものだから、動揺するこちらが酷く馬鹿みたいで。


ぐだぐだと昔のことを思い出していたら、いつの間にか上部に溜まっていた砂は全て下に滑り落ちていた。ああ、終わったのか。考えると同時に使い終わった歯ブラシを元の場所に戻した。


雪名のことを考えるには、これっぽっちの砂の時間じゃ全然足りない。それこそ世界中の砂をかき集めたって、これまでのそしてこれからの彼との時間にはちっとも満たない。愛おしむ想いが、雪名との思い出が、そして願いが、全て砂にその形を変えるとするなら。抗っても、拒んでも、降り積もる幸福の砂々に、二人で、どうせ溺れる。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -