宴もたけなわ。


誰もが待ち焦がれた日曜だというのに、見慣れた面が自分を囲んでいた。晴れ渡る空の下、こうして会社の人間が揃いも揃っていることには、相当の理由があって。否、理由というよりは我侭。気まぐれな取締役がこともあろう平日の夜ではなく日中に花見をしたいと言い出したことから。近年は仕事帰りの夜に花見と証した飲み会が開催されていたが、花見するのに桜がないところに集まってどうすんだよ、と至極もっともな意見を携えて休日の花見を実行すべく攻撃に出たらしい。


今回やらないと来年からずっと休日に行うが、それでも良いか?


一日限りの我慢と永久に続きかねない苦痛とを比較考慮し、現在の事態へと移る。昨年は小野寺が犠牲となり店の手配をした代わり、今年の準備は他部署に押し付けることが出来たものの。昼を過ぎてぽつりぽつりと人が帰宅し始めた頃合、撤収作業を頼むと半ば無理矢理にその役割を押し付けられた。業務用の青いブルーシートの上、 散々飲まされた挙句に酔いすぎてとうとうダウンした小野寺の姿。目覚めるまでは傍にいて、目覚めたら一緒に片付けろという意味合い。報酬は、買い込みすぎて余ったビールとつまみ。仕方ないからエメ編だけで二次会といきますか。頭上に浮かぶ桜の木々を細い目で眺めながら、木佐が言った。


特に話題を探していた、という訳ではない。なんとはなしに訪れる沈黙を一番最初に破ったのは美濃。担当していた作家が次の作品の参考にしたいということで、皆に聞きまわっているのだという。…各々の初恋のエピソード。


「高野さんの初恋はいつですか?」


おいおい。最初が俺かよ。一応お前らの上司だぞと内心呟く。一番に抜擢された原因は、美濃の真正面に座っていたため目があった。ただ、それだけのことなのだろう。美濃の場合、確かそれほど酒に弱い体質ではないはずだったが。それでも自分が答えてやる気になったのは、珍しく昼酒をしたせい、ということに今はしておく。飲み干したビールを白い袋に投げ捨てて、クーラーボックスの中の冷えた缶を一つ取り出した。状況証拠はこれで完成。 


「高校三年の頃」
「へえ…、結構遅いんですね。高野さんもてるのに」
「自分から本気で好きになった、という意味合いでな。」
「相手はやっぱり同級生ですか?」
「…いや、二年下の後輩」
「じゃあ、あれですか?放課後校舎の裏に呼び出して、先輩好きです!という少女漫画みたいな告白があったんですか?」
「それも違うな。…話しかけて、気づいたら告白されてた」
「相手、高校生にしては意外と大胆ですね」
「かもな」


その大胆な相手は今は俺の傍で気持ちよさそうにすやすやと眠っている。楽しい夢でも見ているのか、むにゃむにゃ言いながら嬉しそうに頬を緩めて。


「で、そのまま付き合ったと」
「まーな。でもすぐに別れたけど」
「え?何で?浮気されたとか?」
「なんつーか、すれ違いによる自然消滅かな。しばらくの間は忘れられなかったけど」
「あー、まあ。初恋ってそんな感じなのかもしれないからねー」
「初恋って叶わないってよく言うもんね」

最後に言った美濃の言葉に、場の空気が一瞬ピタリと止まる。自分だけなら兎も角、一緒に酒を飲んでいた羽鳥と、身を乗り出すように興味津々に聞いていた木佐までもだ。当の本人が勿論その状況に気づいていないわけでもなく、けれど相変わらずの笑顔を浮かべた表情で、飄々と自分達に語りかける。


「俺の場合そうだったけどなー」
「てか初恋ってさ、どの時点で叶ったっていうのかな?」
「自分も好きで相手も自分を好きだったと確認した瞬間じゃないか?」
「今の時代、付き合っても別れるなんてざらだよ。別れた後に初恋が叶った、なんて言うかな。俺は言わないと思うけど」
「別れるのを前提にしてりゃあ、叶うものも叶わないだろ」
「えー?じゃあ、初恋にしろ何にしろ、恋って本当は最終的に全部叶わないんじゃない?」
「極論だな」


酔っているのか、それとも何か思うところがあったのか。木佐が随分と絡んでいく。それを単語一つであしらっているはずの羽鳥も、何処かその表情に憂いを帯びていた。ぐいぐいと酒を飲む自分に、にこにこと微笑む美濃。寝転がって夢の中の小野寺というなんともちぐはぐでアンバランスな空間。冷たく流れた風が桜の花びらを空に漂わせていた。


自分の場合はどうだったのだろう、としばし考え込む。きっかけは小野寺からの告白であったものの、俺が恋を自覚するのにはそれほど時間はかからなかったと思う。付き合うという行為が告白の返事だとするのなら、特にわざわざそれを口にすることはない。そんな若すぎる自分の思い込みのせいで、結果淡すぎる昔々の初恋は終焉を迎えたのだ
ろう。


最終的に粘りに粘って十年前の初恋の相手だった小野寺を、再度手中に入れてから数か月。付き合って、別れて、また付き合って。こういうのを恋が叶ったと称していいものだろうか?考えて、僅かに首を傾げる。木佐の指摘通りに、つまりこれから別れる可能性がある限り、それを叶ったとは言わないのかもしれない。


何というか、人と付き合うというのは時間の経過に関しては不安定なものだなあ、と思う。別離を惜しんで、絶対忘れないでね、手紙を書くからね、なんて告げても、その約束は数年後には忘却の中だ。今は一緒にいても、明日には一緒にいられないかもしれない。今日は会話できても、明日は話せないのかもしれない。現在が幸せでも、その未来まで幸せが続くとは限らない。想像力が逞しい故の根暗な発想に、一人苦笑いを零した。


「俺は違うと思いますよ」
「違うって、何が?」
「付き合うとか、付き合わないとか、別れたとか関係ないんですよ。初恋というものは」
「言ってみろ、美濃。お前が考える初恋の成就って何だ?」


促せば、彼はけらりと何でもないように目を細めて笑う。


「その人を好きになって良かった、と思えたら。誰がなんて言おうとそれは幸せな恋ですよね?」


例えば昔に、もし自分があの時小野寺を出会わなかったならどうなっていたのだろうと考えたことがある。きっと押し寄せる川に流されるように、抵抗することもなく生きていただろう。自分の心を押し殺して、叫びを閉じ込めて。何の感慨も無く、明日にでも自分の命が尽きても構わないと、絶望しながらどうにもならない日々を繰り返していたはずだ。


確かに小野寺と別れた後の自分の状態と言えば、目も当てられないほど酷い状態で。何もかもが嫌になって、全てを諦めていた。全てを投げ出していた。それでも、小野寺をずっとずっと忘れられなかったのは、幸せだったから。小野寺と過ごした一瞬が、たまらなく嬉しかったから。この上ない幸福を、胸に抱けたから。


「…俺、もしかして幸せ者なのかな?」
「心当たりがあるのか?木佐」
「まあ、それなりにね」
「今までそう思えなかったら?」
「今から思えばいいんじゃないですか?長い人生、結論を出すにはまだ早いと思いますよ」


電話をかけてくると言い出して場を一番最初に離れたのは木佐で、そういえば吉川先生に資料用に桜の写真を撮らなくては、と後を追ったのが羽鳥。知り合いが近くに来ているらしく軽く挨拶をしてくるという言葉を残して美濃も立ち去り。


満開の桜の木の下。今は小野寺と二人きり。


茶色の髪の毛に絡む花びらを指先で取ってやると。小野寺はうーんと寝言を呟く。


「さくら、綺麗ですねー…、たかのさん」


よしよし。今度はちゃんと俺の夢を見ているんだな。


一段と風が強くなって、桜の花が吹き荒れる。流される髪をかきあげて、空を見上げて笑う。風の音が漏れた声を巻き込んで消して、空がピンク色に染まる世界はまるで夢の様。


放り出された掌を握って、眠る小野寺の耳元で今度こそ聞こえるように囁く。過去も、今も未来も。大丈夫、俺は絶対に幸せだ。



小野寺。お前を好きになって本当に良かった。



(初恋談議(エメ編→))

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