「俺は入院をした方が良いのでしょうか?」

興奮した高野さんが室内から去った後、医師に尋ねてみれば首を僅かに横に振って。その必要はありません、と今までの雰囲気とうって変わってにこやかな表情で語った。


「それくらい、手の施しようがないのですか?」
「いいえ、逆ですよ。入院する必要がないくらい必ず治る病気だから。その必要が無いのです」
「え?だって、治療法は今のところ無いって…」
「放っておいても治る病気に、治療法は不要ですから」


医師が言うには、俺と同じ病気を発症した患者は例外なく病気を完治しているらしい。挙げるなら、料理の最中に誤って包丁で切った指先。よほど深く切らなければ病院に駆け込むことはないし、大抵の人間は消毒液をつけて絆創膏を貼るだけで終わるだろう。つまりこの病気と同じようなものだとこの医師はおっしゃるのだ。


「認知度の問題なんでしょうね。この病気にかかる人は稀ですし、だから研究もあまり進まないことも理由の一つ。切り傷は放っておいても治ることを周知されていても、小野寺さんの病気が自然に治ることは誰も知らない。だからこそ全てをきちんとお話しようと思ったのですが。…お連れの方にはうまく伝わりませんでしたね」


但し、病気の症状の回復には個人差があるのだそうだ。忘却の途中で改善する人もいれば、一方で完全に何もかもを忘れて二、三年してようやく自分の記憶を取り戻したという人も。自分はどちらだろうか?不安に顔を陰らせれば、勇気づけるように医師は俺を励まして。


「確かな立証はないのですが、病気の改善に有効なものがあるという噂があります。根拠のないものを言いふらす訳ではないのですが、どうでしょう?実は近いうちに確立される理論になると私は考えています」
「…薬、みたいなものですか?」
「いいえ、違いますよ。そんな科学的なものではありません」


病は気からとよく言うでしょう?


「自分の信じる人が傍にいること。傍にいて話しかけてくれる人。笑ってくれる人。支えてくれる人。小野寺さんの周りに、自分が絶対の信頼を寄せている人はいませんか?」


+++
つまり約束とは、両方の合意によって成立するもので、一方的な意思だけでは存在しえない。いつかの昔、確か高野さんが自分の初恋の人本人と明かした時。彼はこう言い放ったのだ。もう一度俺を好きって言わせてやる、と。その言葉を貰った時は、何だアイツ、そんなこと絶対に言うわきゃないだろ!と怒り心頭だったが、高野さんと過ごす日々がその感情を少しずつ変化させた。


今になって分かる。今頃になって気づく。無理に言わせようとなんてしなくても、俺はもうとっくに高野さんを好きになっていたし、いつだって好きだと言えた。口にしなかったのは単なる俺の怠慢で、だから自業自得だと指をさされたって仕方ない。


今更高野さんに好きだと伝えても。だって、どうせ俺は全てを忘れてしまうから。


言える時に言わないで、言えなくなって後悔するだなんて。昔と何一つ変わっちゃいない。本当に大馬鹿すぎて、ほとほと呆れて涙が出る。


だから一つだけ約束しようと誓った。もしこの病気を乗り越えて、また高野さんの隣に自分が戻ることが出来たなら。心の中に隠れる想い、全て晒そう。全部告げよう。高野さんが好きです、と。たった一つのその約束は、自分にとっては未来への誓いとなり、彼にとっては絶対の願いとなる。


…もう一度俺を好きって言わせてやるんでしょ?だから約束してくださいね?どうか俺の口から好きだと言わせてください。時間を越えて指切りした約束。必ず守ってくださいね?




高野さんのこと、信じていますから。



+++
高野さん、高野さん、と泣きながら名前を呼んで、大きな背中に腕を回して。ありがとう、という言葉は、上手く伝えることが出来なかった。それでも高野さんは俺の名前を何度も繰り返しては、好きだと囁く。じんわりと胸の奥が熱くなる。良かった。本当に良かった。高野さんを信じて、本当に良かった。


失うばかりの日々だったけれど、絶対に手放したくない想いに気づくことが出来たから。守りたい絆の存在を知ったから。


掌から既に水は零れ落ち、全ての記憶は流れ消え。乾いた皮膚は、それでも二度と汲めないわけじゃない。だからもう一度集めよう。昔も、今も、未来の想いも全てここに。失くしても失くしても、必ず取り戻すことが出来るから。


ぽたりと掌に滑り落ちる小さな水滴。


最初のひとしずくは、きっと貴方の涙。




一滴=ひとしずく

ももいろうさぎの桃さまに捧ぐ

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