お互い良い大人だもの。線引きというものが必要でありましょう。


雪名皇という人物は油断ならない。見た目的には昔々の童話に出てくる王子様みたいな面相をしているくせに、内面は顔に似合わず情熱的だ。付き合い始めた当初は、彼なりに自分との年齢差を気にしていたらしく、本人曰く「年上の木佐さんに負担にならないようにと相当な背伸びをしていた」そうだ。相手を想っての行動が結局「愛されていない」という誤解を呼び、それが原因で破局しかけたという思い出も今は懐かしい。というか我ながら青すぎて出来れば記憶から抹消したいところだ。

その後まあ何やかんやと色々あって、自分が体調を崩した時に初めて雪名の本心を知ったと言っても過言ではない。最初から洗いざらい吐き出してくれれば自分だって不安に陥ったりしなかったのに。とは思いつつ、よくよく考えてもみれば「お前が初めて好きになった人だ」と白状したのは、あの瞬間が最初だった。となると相手の心を疑いながら自分の本心を隠すという訳の分からない状態をお互いに続けてきたということになる。素晴らしい阿呆だ。二人ともそれなりに良い年齢であるのに、何をやっているんだか。

けれどそんな状況も付き合い始めて数年となればがらりと変わる。少し前までは相手の心が自分から離れていくことに怯えていたが、今は各々が浮気は駄目だからな、と軽口をたたけるまでに成長した。家賃が勿体無いからこの際一緒に住もうと言い始めたのは俺の方だったし、一人分の冷蔵庫では足りないから浮いた家賃で家族用の冷蔵庫を購入してきたのは雪名である。二人で築きあげた歳月がもたらした変化は大きい。

かと言って全てが全て変わったかと言えばそうでもない。二人で暮らし始めてから、敢えて線引きをしたという部分がある。年齢差とか男同士、単なる遊びだとか。嘗てそういう名前で呼ばれていたそれらの線はとっくに雪名によって壊されている。考えてもみれば雪名と俺とを隔てる線は彼に捨てられても傷つかないようにという防波堤みたいなもので。心配事が無くなった今、最後に残る境界は「理性」のみ。


だらけているつもりはないが食用やら日常生活品は専ら雪名が買ってきてくれているし、酷いときには部屋のカーテンやらベッドのシーツやらがいつの間にか新品に交換されている。自分名義の部屋であることには変わりないし、流石にそこまでしてもらうのは…とは考えるのだが。では彼の代わりに自分が手入れ出来るのか?と自問自答を繰り返し、何も言わないことが俺の結論となった。

そんな状態を何年も続けていたものだから、気づけば部屋の中には自分の物なのかそれとも雪名の物なのか判別不能なものが溢れかえっていた。仕事の忙しさや家事を任せきりにしていたのを理由にその事実をなるべく無視していたのだが。流石に洗面場で仲良く並ぶ同じ色の歯ブラシを発見した時は、最早目を逸らすことは不可能だった。

「お前何で同じ色の物買ってきてんの?」
「そういう気分だったんです」
「ブルーな気分ってどんなだよ。ああ、もう、そうじゃなくて、こんなのどっちがどっちのか見分けつかないだろ!」
「木佐さんが間違っても、俺は別に気にしませんよ?」

お前が気にしなくても、俺が気にするんだよ。言い返さなかったのは、戯言を吐いた本人に全く悪気が無かったから。一点の陰りも無い華やかな微笑を浮かべるものだから、毒気を抜かれて更に追求する気にもなれなかった。これ以上の探求行為は自ら墓穴を掘る様なもの。下手をすれば「そんなに俺とお揃いが嫌なんですか?」と彼は泣く真似をして同情で訴えるのが関の山。となるとペアルックならぬペア歯ブラシを容認したことになり兼ねないので、勝負に出る前に自分からさっさと折れた。ついでに新しい色違いの歯ブラシを間髪入れずに買ってきた。

よし、これでお揃いなんていう恥ずかしいものから解放された!とこれ見よがしに雪名の歯ブラシの隣に置いてやる。あれ?木佐さん、前の歯ブラシはどうしたんです?古くなったから買った。一連の会話のシミュレーションも勿論完璧で何の抜かりも無かった。ただ、実際にそういう茶番を繰り広げて、一瞬だけ雪名が微笑んだ以外は。

それはさておき、周期的にそろそろ発酵してくる頃合い。どうせこれから数日間は帰宅出来ないことは分かりきっていたので、職場の後輩くんとコンビニに行くことにした。腹が減っては戦は出来ない。社内に閉じ込められる前にせめてもの食糧を準備しておかねばなるまい。

ぽいぽいと二人して商品棚から目当てのものを籠の中に投げ捨てる。とりあえずこれだけあれば十分だ。後は何か買い忘れたものはないかな、と考え込む。ああ、歯ブラシ。会社に置いていた歯ブラシが古くなっていたから、丁度良い、買ってしまおう。指先で探した直後、籠の一番上にと放り込む。

「………」
「どうかした?律っちゃん」
ぽかんとした表情を傍らで浮かべる後輩くんに尋ねれば。

「いえ。木佐さんっていつもピンクの歯ブラシを使っているんですね」
「…っ!」
「ああ、でも、木佐さんなら似合いそう」

言われた瞬間かーっと血が逆流して、顔に昇っていくのが分かった。多少なりとも疲れが溜まっているらしい後輩くんは、それ以上俺を追い詰めることもなくそろそろお会計しましょうか?と呑気に笑っている。一方でとんでもないことを指摘された俺と言えば心臓がばくばくと超加速で動くものだから、うんと答えるまでに三秒かかってしまった。

必死に雪名という存在に飲み込まれないようにと線を引いて。決してお前の色には染まらないぞ、という抵抗の色だったそれ。後輩くんの言葉で分かった。おそらく雪名もピンク色の歯ブラシでしゃこしゃこと歯を磨くのを見て同じことを思っていたのだろう。あの笑みはつまりはそういうこと。

作り上げた理性という境界は何処へやら?

俺と雪名の間にあった数々の線は、いつの間にか俺たち二人をぐるりと囲んで。ハートの型したその幸せは、言わずと知れたピンク色。


色違いの歯ブラシ
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