※待ち人、来たらずの続き
ぶつりと、白い糸をハサミで切った。興味本位だった。
するすると解け落ちる毛糸を指先に絡めて、マフラーだったものがただの線に戻るその有様が面白かった。床に落ちた、たった一つの線を手繰って、歪な形の毛糸の玉を作り、それを母に得意げに見せた。無論しこたま怒られた。
解いた糸は、もう元の形には戻らない。毛糸の玉は、二度とマフラーの形に成ることは無かった。子供だから、知らなかった。この世界には元に戻らないことがあるのだと。だから決して、解いてはいけないものがあることを。その時に初めて知って、少しだけ泣いた。
北海道の冬は寒い。お天気姉さんがテレビ画面で教えてくれる最低気温が、常にマイナス二桁というのだから信じがたい。今日は随分あったかいね、と横を通り過ぎた女子高生が会話をしていたが、確か今日も氷点下だったぞ、と首をかしげた。同じ日本という地域の割には、随分とその差は激しい。
ジャケットの中に放り込んでいた携帯が規則的に振動した。誰からの連絡だなんてすぐに分かった。相手は間違いなく、自分をこの地に呼び寄せた当の本人で、本日無事に成人式を迎えた雪名皇という人物だった。式が終わりましたので、今そちらに向かいます。それだけの一言。
喫茶店の中でずず、とコーヒーを啜ること十分。白い息を途切れ途切れに吐く雪名が現れた。呼びかける声に弾かれるように立ち上がり、そのままレジで清算を済ませる。
スーツ姿の雪名は随分と大人びた印象だった。彼に初めて会ったのは、まだ雪名が中学生の頃。あどけなさの残る幼さはあったものの、随分と綺麗な顔立ちで、これは将来自分のドストライクになるなと予想をしていたのだが。結果は、想像以上だった。悔しいのは、その経過を途切れ途切れにしか見守れなったということ。
二、三つまらない世間話をして、会話が途切れた。見上げた空は、グレイの厚い雲が覆っていて、今にも雪が降りだしそうだった。それを言葉にしようと口を開いたとき、雪名が言った。
「木佐さんが、好きです」
正直、雪名がこの日に会いに来てほしいと懇願したのは、この為なんだろうなと想像はしていた。だから驚きはしなかった。動揺した様子を見せることもなく、はらはらと静かに雪が落ちるように、当たり前のように、囁かれた言葉。
「答え、欲しい?」
「木佐さんが、忙しいのに此処までやってきてくれたことが、「答え」で合っていますか?
」
はいはい、満点ですよ。答える代わりに微笑んでやれば、雪名も少しだけ笑っていた。
「自分の言葉には責任を持てよ、青年」
俺はお前を、大人だと認めたのだから。
ぶらさげた掌をするりと雪名のそれに掴まれた。人影が見当たらない家までの帰り道。まあ、いいかと思いながら、指先に力を込めてそれを握り返した。気温は相変わらず低いままだけど、何故だか無性に温かかった。
二十歳という年齢は、大人であって、大人でない。ちっぽけな世界を生きてきた自分達は、大人という響きに、今よりもっと大きな世界で生きることが出来るのだと信じていた。実際は大きな世界に流れ込んで、ちっぽけな自分を今よりもっと知ることになるだけなのに。だからそうやって、夢や希望を、その小さな世界に置いてきてしまうのだ。子供の頃の夢だったものだと、未練がましく言い訳をして。
だからこそ、思う。置き去りにしないでくれて、ありがとう。大人になった今でも、俺のことを好きなままでいてくれてありがとう、そんなお前が、やっぱり大好きだよ、と。
繋いだ手はこの先二度と解かない。解いてしまったら、元には戻らないものがあることを、俺は十分過ぎるくらいに知っているから。だから、ずっとずっと繋いだままだ。
雪名が大人になることを待っていたつもりだった。けれど、果たしてそうだったのだろうか。俺の気持ちは雪名にとっくに知られていて、そんな俺がここにやってくることを、雪名は信じて「待っていた」のだ。いつの間にか逆転していた関係に、くつりと笑った。
でも、もうそんなことは多分どうでもいいことなのだろう。
だって愛する人は、ここにいる。
誰かを待ち続けた人も、誰かを待ちわびていた人も。今はもう何処にもいないのだから。
※
マフラー